
前の記事「無職への逃走!」の続きで、2月の鬱を振り返っています。
前回、2月14日(金)に精神科を受診した後、自分にはバイトをやめて再び無職になる道しかないと気付いた俺。
一見人の道を外れているかのように思えるその選択だが、実は考え抜かれたものであり、本人の中では一応筋は通っていました。
これによって精神的に安定を取り戻すであろう、そう、あの時までは…
結果的に言うと、その一週間後の2月21日(金)、俺は再び精神科を受診することに。
その日までに、鬱がかなり悪化していました。
で、これの原因を考えてみると、無駄に悩み過ぎているんだと思います。
いや、悩むこと自体は悪いことではないんだけど、悩むだけで行動せず、そのことで精神的にどんどん自分の立場を危うくする、というのが問題なのです。
一番のきっかけは仕事をやめたタイミングだったと思います。
何度も言うけど、やめたこと自体は後悔していません。
でも、そこまでやめる必要があるって分かっているのなら、きっぱりとやめて、休養するなり次の行動に出るなりしろと。
なんですけど、この辞め方がすごくギリギリまで悩んだ末にある日突然やめたという感じで、すごくグダグダだったなあって思います。
そもそも僕は今まで何度かバイトを休んでいたのですが、休む時は出勤時刻(8時)の30分~1時間前には連絡することになっていました。
しかし、大抵ひたすら悩んだ後で5分前くらいに電話をかけて、電話口でも翌日出勤した時もすごく怒られる、ってことを繰り返していました。
これ、どういうことかって言うと、1時間前くらいだと、バイトを休むかどうか、脳内で凄まじい葛藤が繰り広げられているんです。
「あ、体調がヤバいな…」ってのと「いや、頑張れば行けるかも…」ってのがどっちもあるんですよ。
まあ、行ってしまえば行ってしまえると思うし、実際それで何とかなったことも何度もあります。
だから、行こうとするんですけど、なかなか体が動かず、しかも時間は過ぎていき…というのを繰り返すとすでに出勤30分前は過ぎてしまう。
そうすると「ああ、今連絡したらもっと早く連絡しろって言われてたのにまた怒られるなあ」って思えてくる。
と同時に、今出勤しても確実に遅刻するって時間になってきて、「それはそれで遅刻するなあ」とも思えてくる。
要するに、無駄な罪悪感ばかりが頭の中に出てきて、結果、行動力を削ぐ結果になるんですね。
いや、そこまでヤバいんだったらさっさと休めよって話ですが、その時はもう電話をかける気力もなくなっており…という感じです。
で、仕事のやめ方もそれによく似てました。
やめるかどうかを決めかねたまま、取り敢えず2月15日(土)に仕事を休み、翌日も休み…
…と言うのを繰り返し、数日後に電話でやめたいという意思を伝えました。
その時はもう多分店側もやめるだろうなと思ってたようで、特に何も聞かれずに制服を洗濯して持って来なさいとだけ言われました。
あまりいい辞め方とは言えませんよね。
シフトを組んでいた店側には少なからず迷惑がかかっただろうし、暫く罪悪感にとらわれていました。
そう、この罪悪感というやつのコントロールが僕はすごく苦手です。
そのことに気付いたのは、3月21日(金)にカウンセラーさんに指摘された時です。
例えば仕事をやめた時も、どうせ迷惑かけるんなら、バイトなんだしと割り切って、堂々とやめて普通に生活していればいいと思うんですよ。
いや、頭ではそのつもりなんですけど、無駄に罪悪感というのが生じてしまうわけです。
どうせ罪悪感なら、じゃあ迷惑かけないようにしよう、とか、ちゃんと謝ろうとか、そういう方に動ければいいんですがなかなか上手くいかず。
その結果、何も行動が出来なくなるくらい悩み続けるという最悪の事態に、要するに鬱状態に繋がってしまうと。
これのよくないところは、例えば仕事をやめたことを悩むあまり、悩んでいるうちに演劇の稽古も休んでしまう。
そうすると、演劇の稽古を休んだことでより強い罪悪感に、という悪循環です。
多分、引きこもっている時期でも、本当にすごい鬱の時期ってせいぜい2、3日くらいだと思います。
復帰には体力を使いますが、いざ復帰してみると案外どうとでもなる、という体験が今までたくさんあります。
だから、今回もどこかのタイミングで戻れれば良かったなあと思います。
ただ、もしかしたらバイトに対して異様なまでのストレスを感じながら、人生で最長期間(9か月)働いた、っていう反動だったのか、という気もしなくもないです。
あと、2月という時期に、演劇の稽古二つと、劇写での絵の展示、動画配信とラジオの出演をしようとしていた、というハードスケジュールが原因だったとも考えられます。
きっと直前が躁状態だったんだと思いますが、いやー無理はよくないですね。
いやね、躁状態の時ってすごい自分に可能性を感じるからガンガンいこうぜ!って気持ちなんですね。
だってね、ラジオに出てりゅーとぴあで絵を展示したら、一気に自分という才能が世に出ていくきっかけだなあと。
精神的に不安定なので、自分への認識は躁か鬱かで、カリスマか社会の癌かくらい大きく変動します。
どっちにしろ考えすぎですね。
2月の鬱の時期は、自分はここらへんが限界だったのかとか、限界を自分でここらへんに設定していたのかとか、そんなことを考えてました。
今考えるとそれも考えすぎなんですがね。
それにしれも、多くの人って何だかんだで毎日同じ職場に通って、それ以外のプライベートな部分もこなす訳ですよね。
例えば仕事しながら演劇するとか、家庭を持つとか、あるいはその三つとか。
いや、俺なんか4時間程度のバイトを9か月以上続けたくらいが今のところ限界なんで、あらためて多くの人はすげえなって思います。
まあ、この一件で自分は演劇人である前に患者だなあって気付いたんで、何をするにも病気基準で考えていこうかなあこれからは、って思うに至っています今は。
