
前の記事「バレンタインデーに精神科行ったらプレゼントもらった。」の続きです。
2月14日(金)、普通に精神科に診療してきました。
しかし、2月14日以降、やっぱり頭の中が整理できてない感と、やらなきゃいけないことたくさんあるけど何も出来ない感は強くなっていきました。
こればっかりは、一日で治るもんじゃないからね。
もしかしたら、年末からそれまで調子が良かったのは多少の躁状態もあったのかもしれないです。
その反動もあって、全部は頑張れないから、どこか削る必要があるなあと。
考えた結果、仕事をやめることにしました。
仕事をやめて、それまで出来なかった分のブログを書いて気持ちを整理したら元気になるって、本気で思ったんです。
というのも、僕は高校生くらいからずっと「時間の流れに取り残されてる感」みたいなものを感じています。
何かって言うと、今日という日の気持ちの整理が終わらないままに、明日を迎えてしまってなあなあで日々を過ごしている、という感覚です。
例えば高校時代は学校と部活が忙しくて帰ったら寝て起きるだけの生活でした。
その頃から日記を書いていたのですが、忙しいとなかなか毎日書くのは難しかったです。
しかし、時々テスト前とかになると部活が休みになるので、その時にまとめて日記を書いていたことは言うまでもありません。
特に受験シーズンは何も強制されず開放的な気持ちで過ごすことが出来たなあって思います。
その後、大学時代は高校に比べると気持ちがだいぶ楽でしたが、やっぱりこの感覚は無かったわけではありません。
途中から双極性障害が発症したりしましたが、ブログを書くことでその都度何とかやり過ごしてきた部分があります。
卒業して、楽になった部分もありましたが、それ以上に自分の働く能力の無さに気付かされました。
その結果、バイトをやめては、その気持ちの整理が終わる前に次の就活をしなきゃいけない、という事態に何度も遭遇しました。
大学では辛い時でも長期休暇という調整時間というか逃げ場がありました。
しかし、社会に出てから気持ちの整理が毎日に追い付かなくなったら、もうニートになるしかない、って思いませんか?
ただ、ニートになると収入がなくなるので、更に精神的に追い詰められてどんどん余裕がなくなっていく、という悪循環もあります。
一人暮らしの時はそれでだいぶ苦しんだものです。
でも今は実家暮らしだし、最悪飢え死ぬこともないだろうし、今は堂々とニートになろうと。
しばらく仕事のことは考えずに、自由な時間を作って、そこでブログを書く、以外の選択肢は考えられませんでした。
ニートになるのは一般的に好ましくないとされていると思います。
仕事をやめるくらいなら他に削るところがあるだろうという考えの方が一般的でしょう。
しかし、それ以上に僕にとってはブログを書くという行為は、生きていく中で大きな意味を持ってしまっていた。
ニートになろうが何だろうが生きていく必要がある訳で、そのために時間が必要なら、堂々とその時間を作ってもいいんじゃないかと。
今までそれをちゃんと考えずに、なあなあで何となくバイト始めてはやめてを繰り返してしまったんだ気付きました。
だったらニートは恥ずかしいとかそういう価値観をまずは捨てようと。
そんなことで悩むのは時間の無駄だと。
それで、これから落ち着いて生活していくために時間をかけようと。
だから、ニートになるという選択肢が必ずしも間違っているとは僕は思いません。
ただね…辞め方が問題だったんだよなあ、って。
次回に続く!
