6/23(日)、2泊3日の松本旅行もついに最終日。
初日6/21(金)は松本でgive me little more.と洋酒店醇に行き、6/22(土)は安曇野ちひろ美術館とBLUESコントライブに行くというかなり充実した松本旅行。
しかし、あまり楽しみすぎて途中でお金が足りなくなり、最終的にコンビニのおにぎりばかり食べていた!
初日はネットカフェに泊まってブログを書いていましたが、2日目の夜はそうめいとタケインの家に泊めてもらえてラッキーでした。
普段は新潟の実家で、しかも休職中なので食事もお金も両親を頼って暮らしているだけに、いざ旅に出ると自分で自分の生活を維持する大切さを実感します。
重要なのはやっぱりお金ですね…節約の大切さもあらためて学んだ松本旅行でした。
旅の最終日、6/23(日)の朝に松本市を出発して、お昼に長野市で友人のともかさんと会いました。
ともかさんは日常的に連絡を取り合う数少ない友人の1人なので、久し振りに会って話すことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/86/c11be2c316a1ce80c0544b9c306ada81.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/47/c7f04f844ba70b3d372e92f951698c06.jpg)
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というわけで、長野駅前にある喫茶店、ティールーム幸(ゆき)へ。
ここは公園の前にある昔懐かしさあふれる紅茶のおいしい喫茶店で、地元にあったら通いたいくらい居心地が良かったです。
ともかさんもBLUESのコントライブを見ていたし、ともかさんもNegiccoが好きなので、BLUESとNegiccoの話をしてきました。
話しながら思ったのは、やっぱりBLUESとNegiccoには僕が大切にしたいものがあるから、好きなんだろうなということ。
BLUESに僕がいた13年前、当時は知識も経験もないのに若さ故の勢いだけで無茶をして綱渡りのように活動していたし、失敗もたくさんありました。
それからメンバーの変遷もあり試行錯誤もありつつ、コロナ禍も経た今、おもケン、コウヘイ、タイガとスタッフの皆さんによる年一のコントライブという活動は、内容的にも安定した活動ペースという意味でも、一つの正解を見つけられたのかなという気がします。
BLUESのいいところは、初期の「売れてやるぜ!」みたいな欲望で頑張るのではなく、あくまで自分達が好きな表現を無理せず楽しめる道を見つけたこと。
思えば初期のおもケンは無茶はしていたものの、演劇人なら東京で売れないといけないみたいな風潮に抵抗して、地元の松本で楽しめることを始めた人間なので、あれから成長しても根底にある気持ちはブレていないのかなと思います。
振り返れば僕もこの13年間、松本やBLUESが好き過ぎて新潟に馴染めない時期、逆に新潟で活動するためにBLUESを卒業しなければ!と無理をしていた時期もありましたが、新潟での生活が安定したことで松本やBLUESのことも素直に好きになれた気がします。
BLUESが大人になったように、自分も大人になったのかもしれませんね。
僕が新潟を好きになれたきっかけの一つがNegiccoとの出会いなのですが、Negiccoもまたアイドルは東京で売れなければいけない!というプレッシャーも経験しつつ、今では地元の新潟で自分らしい生き方を大切にしていて、そこが好きなんだろうなと思います。
無理をすることだけが頑張ることではないし、東京で売れることだけが成功でもないし、自分なりの正解という生きる道という見つけることが人間一番幸せなんでしょうね。
思えば13年前、僕が精神疾患を理由にBLUESを辞めて松本から新潟に帰ってから、新潟をとにかく楽しむようになってから、子供時代にはあまりいい思い出がなくて虚無な印象の強かった新潟が好きになれた経験があります。
それからは逆に、松本や長野を旅するたびに住んでいた時には気付けなかった良さにも気付けるようになって、住んでいた時にもっと楽しめば良かったなー!と思うくらい長野や松本が好きになれました。
人間、長年住んでいる場所をちょっと離れて旅をすると、新しい視点から自分を見つめたり、気付けなかった良さに気付けたりする。
人生も同じで、無我夢中で頑張っていたことから距離を置くと、自分の本当の気持ちに気付けるものだなと思います。
人生は旅、遠回りも大切。
そんな自分の気持ちにも気付けた、実りの多い旅でした。
初日6/21(金)は松本でgive me little more.と洋酒店醇に行き、6/22(土)は安曇野ちひろ美術館とBLUESコントライブに行くというかなり充実した松本旅行。
しかし、あまり楽しみすぎて途中でお金が足りなくなり、最終的にコンビニのおにぎりばかり食べていた!
初日はネットカフェに泊まってブログを書いていましたが、2日目の夜はそうめいとタケインの家に泊めてもらえてラッキーでした。
普段は新潟の実家で、しかも休職中なので食事もお金も両親を頼って暮らしているだけに、いざ旅に出ると自分で自分の生活を維持する大切さを実感します。
重要なのはやっぱりお金ですね…節約の大切さもあらためて学んだ松本旅行でした。
旅の最終日、6/23(日)の朝に松本市を出発して、お昼に長野市で友人のともかさんと会いました。
ともかさんは日常的に連絡を取り合う数少ない友人の1人なので、久し振りに会って話すことに。
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というわけで、長野駅前にある喫茶店、ティールーム幸(ゆき)へ。
ここは公園の前にある昔懐かしさあふれる紅茶のおいしい喫茶店で、地元にあったら通いたいくらい居心地が良かったです。
ともかさんもBLUESのコントライブを見ていたし、ともかさんもNegiccoが好きなので、BLUESとNegiccoの話をしてきました。
話しながら思ったのは、やっぱりBLUESとNegiccoには僕が大切にしたいものがあるから、好きなんだろうなということ。
BLUESに僕がいた13年前、当時は知識も経験もないのに若さ故の勢いだけで無茶をして綱渡りのように活動していたし、失敗もたくさんありました。
それからメンバーの変遷もあり試行錯誤もありつつ、コロナ禍も経た今、おもケン、コウヘイ、タイガとスタッフの皆さんによる年一のコントライブという活動は、内容的にも安定した活動ペースという意味でも、一つの正解を見つけられたのかなという気がします。
BLUESのいいところは、初期の「売れてやるぜ!」みたいな欲望で頑張るのではなく、あくまで自分達が好きな表現を無理せず楽しめる道を見つけたこと。
思えば初期のおもケンは無茶はしていたものの、演劇人なら東京で売れないといけないみたいな風潮に抵抗して、地元の松本で楽しめることを始めた人間なので、あれから成長しても根底にある気持ちはブレていないのかなと思います。
振り返れば僕もこの13年間、松本やBLUESが好き過ぎて新潟に馴染めない時期、逆に新潟で活動するためにBLUESを卒業しなければ!と無理をしていた時期もありましたが、新潟での生活が安定したことで松本やBLUESのことも素直に好きになれた気がします。
BLUESが大人になったように、自分も大人になったのかもしれませんね。
僕が新潟を好きになれたきっかけの一つがNegiccoとの出会いなのですが、Negiccoもまたアイドルは東京で売れなければいけない!というプレッシャーも経験しつつ、今では地元の新潟で自分らしい生き方を大切にしていて、そこが好きなんだろうなと思います。
無理をすることだけが頑張ることではないし、東京で売れることだけが成功でもないし、自分なりの正解という生きる道という見つけることが人間一番幸せなんでしょうね。
思えば13年前、僕が精神疾患を理由にBLUESを辞めて松本から新潟に帰ってから、新潟をとにかく楽しむようになってから、子供時代にはあまりいい思い出がなくて虚無な印象の強かった新潟が好きになれた経験があります。
それからは逆に、松本や長野を旅するたびに住んでいた時には気付けなかった良さにも気付けるようになって、住んでいた時にもっと楽しめば良かったなー!と思うくらい長野や松本が好きになれました。
人間、長年住んでいる場所をちょっと離れて旅をすると、新しい視点から自分を見つめたり、気付けなかった良さに気付けたりする。
人生も同じで、無我夢中で頑張っていたことから距離を置くと、自分の本当の気持ちに気付けるものだなと思います。
人生は旅、遠回りも大切。
そんな自分の気持ちにも気付けた、実りの多い旅でした。