舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

どうせこのまま一生無職で終わりそうなら、いっそのこと目標に向かって一点突破に賭けて一発逆転を狙ってみようという自分なりの現実的な選択肢について。

2019-05-07 23:35:57 | Weblog




特に意味はないですが、いい感じの踏切の写真が撮れたので載せておきます。



全然関係ない、自分の気持ちについて書いていきます。



5/6(月)、家族と自分の将来について話すことがありました。
僕は大学生の時に就活に挫折してからこの11年間、家族とは度々こうして話す機会があるのですが、特に2011年に新潟に帰ってきてからのここ8年間はかなり頻繁に話し合えるようになりました。

一番多く話し合ってきたことは、僕の仕事のことでした。
僕はこの10年間、仕事がちゃんと続いたことがほとんどなく、その度に家族に相談してきました。

この日も、自分の将来について話し合ったのですが、いつものように「次の仕事はどうするか」という話をしたわけではありませんでした。
結論から言うと、「もう仕事はできない」という気持ちを、両親に伝えたのでした。

結論だけ聞くと、いい歳して物凄く両親に依存している内容に聞こえると思います。
しかしこれ、僕なりに悩みに悩んで伝えたことだったし、両親も悩みに悩んでくれたものなので、ちょっとその内容を書いていこうと思います。



そもそも僕が大学生の時に就活ができなかったのは、精神疾患が原因でした。
大学卒業後も、精神疾患と仕事の兼ね合いについて、家族に相談したり、医療機関を利用したりしながら、11年間、自分なりに色々な生き方を自分なりに試してきました。

大学卒業後、松本で演劇がしたかったので一人暮らしをしていたのですが、最初に勤めたスーパーのアルバイトは、どう頑張っても週に一度は遅刻をしてしまう、どう頑張っても時間通りに仕事を終わらせられない、という仕事がどうしてもつらくて、度々欠勤するようになり、一年と経たずに仕事をやめてしまいました。
その後、コンビニの夜勤のアルバイトを始めるも2ヶ月と経たずに同じような状態になりやめてしまいました。

この頃はまだ、何かしらの定職に就くことが理想だと思っていたので、ハローワークの紹介で4ヶ月間の職業訓練に通ってヘルパーの資格を取得し、有料老人ホームに勤めたのですが、そこも2ヶ月でやめてしまいました。
この時、僕はこのままヘルパーに一生を捧げるくらいの気持ちでいたので、早く一人前になれるようにと誰よりも頑張っていて、職場でも一目置かれるほどだったのですが、その反動が出てしまったのか、双極性障害の症状だったのか、ある日を境に通えなくなって無断欠勤が続き、そのままやめてしまいました。

その頃、ちょうど僕が一人暮らしを始めて2年が経とうとしていたのですが、両親が新潟から松本に来て、もうこれ以上仕事が続かないなら新潟に帰って来なさいと言われました。
その後、しばらくしてスーパーとホテル清掃のアルバイトを始め、どちらもいい職場だったので自分なりに頑張ってはいたのですが、それもやはり2~3ヶ月で通えなくなり、新潟に帰ることが決定しました。

新潟に帰ってから、両親と一緒に暮らせることで、しばらく安心して社会復帰に努められるなと思い、張り切って就活したのですが、新潟県庁の臨時職員のアルバイトにタイミングよく決まり、その仕事は非常に働きやすい上に待遇もよく、また僕自身が張り切っていたこともあり、5ヶ月の任期を無事に終了しました。
この勢いで社会復帰していくぞ!と意気込んだものの、ヘルパーの資格を活かした老人ホームのアルバイトは例によって2ヶ月で通えなくなり、自分なりにはやりがいを感じていた農家のアルバイトは農家の人とソリが合わずにパワハラ的な扱いを受けるようになり、テレフォンアポイントメントの仕事に関しては仕事内容が覚えられないプレッシャーに耐え切れずに研修の最終日にバックレました。

それからしばらくしてスーパーでアルバイトをしたのですが、ここが自分の人生で最もしんどかった職場で、仕事ができないことを毎日上司から激しく怒鳴られていました。
今思えば、他のアルバイトと比べる、全員が見ている場所で怒鳴るなど、明らかにパワハラだし、後から分かったことなのですが彼が原因で過去に何人ものアルバイトがやめていたそうなのですが、当時は自分に原因があると思っていました。

それで、どうすることも出来ずにただただ精神を病んでいって、そのパワハラ上司が転勤したあとも治らずに、そのまま仕事に通えない日が続き、一年くらいで辞めました。
スーパーのアルバイトを辞めた後は、仕事に対する恐怖が今まで以上に強くなり、まったく仕事をする気にはなれずに、一年くらいふらふらしていました。

その後、職場選びにかなり慎重になっていたのですが、一年後くらいにまた別のスーパーで働き始めたところ、そこの上司が非常に親切な方で職場が楽しい雰囲気で、また仕事にもやりがいを感じ、生まれて初めて、二年以上仕事が続きました。
しかし、そんな仕事も、二年目くらいから徐々に例のごとく通えなくなる日が増え、上司も店長も親切な方だったので何度も相談に乗ってもらったのですが、その仕事も結局、辞めてしまいました。

この体験の、あそこまで働きやすかった仕事が続かなかったショックが想像以上に大きくて、あれ以来約2年間、まったく働いていないどころか、就活さえしていません。
そして、この先も働けるようになるとは思えないし、就活しようという意欲が出るとさえ思えません。



こうして振り返ってみると、基本的に余程自分に合っている職場じゃない限り言われた通りの仕事ができない、仮にいい職場に出会えたとしてもどこかで通えなくなる時がやってきて辞めてしまう、ということを繰り返していることが分かります。
そしてこれだけだと分かりづらいですが、仕事を辞めると、短くてもそれまで働いていた期間と同じくらいの期間は働けなくなり、次の就活に向けて動き出すのが非常に難しい、履歴書を書くことさえも苦痛になってしまう、そういう人間なんです。

で、じゃあこれからどうする?って話なんですけど、今まで通りにまた新しい仕事を探していこう…と思えればいいのですが、もう働ける気がしないんですよね。
いや、めちゃくちゃ頑張ればバイト先は見つかるとは思いますけど、どうせまたどこかで出勤できなくなって、そのままやめてしまうのは目に見えていると思うんです。

本当なら、今度こそ上手くいくかもしれない…!と頑張るべきなのかも知れませんが、もうそんなことを10年以上も続けてしまった以上、もう上手くとは思えないんですよね。
そして、頑張って就活して就職して働いては辞めて働けなくなって…また頑張って就活して就活して働いては辞めて働けなくなって…っていうことを、もうこれ以上繰り返していけるだけの気力はもうなくなってしまいました。

そして気付いたんです、双極性障害や発達障害などの精神障害を10年もやっているけど、一番の自分の障害は「働けないこと」なのだと。
障害があっても人付き合いとかは比較的うまくやれているし、精神障害とは案外うまく付き合っていけていけていると思うのですが、この「働けないこと」だけはどう頑張ってもなかなか克服できない最大の障害だということ。

誰にだって得意不得意があり、それを仕事に活かしていくことが大事なのかなと思いますが、僕みたいに「働くこと」がピンポイントで苦手な人間にとって、「働くこと」封じられるのは想像以上に生きづらいということ。
以上を考慮した結果、もしかしたらこのまま一生無職で終わっていくかも知れない、今までは怖くて認めることができなかった現実を、10年以上悩み続けて初めて覚悟することができました。



で、じゃあこれからどうやって生きていこうか、と考えたのですが、ここで逆転の発想をしてみたいと僕は思いました。
つまり、どうせこのまま生きていても普通に仕事をすることはできないのだから、もうそれはすっぱり諦める。

その代わり、自分の得意なことを、好きなことが仕事にできるように考える。
それって何かって考えたら、こうして11年以上も書き続けているブログや、最近では月刊ウインドさんに書かせてもらっている記事のように、文章が書きたいという気持ちなんですよね。

昨年、北書店で遠藤麻理さんとRYUTist宇野友恵さんのトークを見て、自分も本が好きだし、いつか本が書いてみたい、という気持ちになった僕は、最近まさにその遠藤麻理さんの本の出版した編集者の方とシネ・ウインドでお話する機会もいただきました。
ここまで来たらもう、作家やライターとして文筆業を仕事にしていけるようになること、そして本を出版すること、これを自分の目標とすることを、突然ですがここに宣言します。

将来の目標もない、仕事もできない自分が、ここにきて突然、夢に向かって頑張るぞ!みたいな人生を歩みだしたことに、正直自分で戸惑っています。
そりゃまあ、今まで一度も考えたことのないことですから当然なんですが、でも、今まで30年以上も遠回りと試行錯誤と紆余曲折を散々繰り返した人生の果てに辿り着いた目標がこれなのであれば、それもアリなのかなと思います。

そして、普通そういう夢を追う人生はリスクが付き物ですが、僕の場合はどうせこのまま生きていても一生無職で終わりそうなわけで、夢が叶わなくてもマイナスじゃなくて今の状態に戻るだけなら、逆に失うものは幸か不幸かもう何もないんじゃないかなって思うんですよね。
だったらいっそ一点突破に賭けて一発逆転を狙うみたいな人生、そろそろ真面目に考えてもいいのかも知れないと思うんですよ。



ただ、それまでの当面のお金をどうするか…正直に書くと、今は完全に両親に頼っているのですが、とりあえず、障害年金を申請してみようと思います。
障害年金が通ったら、それをもらいながら別の仕事もできるように少しずつ考えていけばいいし、仮に通らなかったら、その時はまた両親を頼ることになってしまうと思います。

正直、僕だって30代にもなって両親を頼りたくはないし、これについて考えるとだいぶ凹むし、そういう気持ちで10年以上生きてきたんですよ。
そして両親も、できれば僕に働いてほしいと思っているし、それも僕は理解しているのですが、僕も両親も10年以上、何度も何度も悩み続けた結果、ひとまずこういう結論になりました。



夢を追って生きていく人生は現実的ではないとずっと思っていましたが、僕のように現実的に生ていけない人間にとっては案外これが現実的な選択肢なのかも知れません。
この先、本当に出版で生きていけるようになれる保証はありませんし、僕の人生が今後どうなるかはまったく分かりませんが、ひとまず目標に向かって頑張る人生を生きてみようと思います。

10年以上悩み続けて、30代になって、ようやくスタートラインに立てたのかなという感じです。
ダメだったらその時はその時だし、幸運なことにそういう自分の人生を理解してくれる両親もいるので、こんな感じでしばらく頑張ってみたいと思います。





そんな感じでよろしくお願いします。
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-01-29 12:49:35
ちひろくんはストーリーテラー。仕事はすぐやめてしまうかもしれないけど、ブログはずっと書き続けてた。それもまた才能とおもいます。応援してます。
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Unknown (あむあむ)
2020-01-30 04:42:18
何かを諦めることもまた大事な事だと思います。ご本人にしか分からない、辛いこともあるでしょうし。応援してます。
返信する

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