▶:鈴木重雄氏(56)
「石原後継」を打ち出し、430万票余りを獲得、
順調なスタートを切った猪瀬直樹東京都知事が、
最初に特別秘書への起用を決めたのは、都知事選で
選対事務局長を務めた鈴木重雄氏(56)だった。
今後、鈴木氏は政務担当特別秘書として、
知事の日程管理や政策実現への助言を行う。
都が公表した略歴は、1983年3月、大東文化大学法学部を
卒業して石原慎太郎事務所に入所。1990年5月、
富士ホームサービス㈱に入社。2012年12月、同社退社、
というものだ。
ごくシンプルだが7年間、石原氏の秘書をやっていたために
12月18日に行われた就任記者会見で、
「石原氏の影響を受けるのではないか」という質問が飛んだ
だが、猪瀬知事は意に介さず、
「僕がすべて決めていくので心配なく」と、述べた。
剛腕で知られる猪瀬氏なら、
一介の秘書の影響を受けることはあるまい。ただ、鈴木氏が
「石原秘書軍団」の一員で、彼らがチームで動く
ことを考えれば心配にもなる。
鈴木氏の持つ「政官パイプ」
まず、富士ホームサービスという会社である。
大阪に本社を置く不動産会社で、
富士コミュニティー、
富士エンジニアリング、
エクセルホームなどのグループ会社があり、
一世を風靡した富士住建グループの一社である。
富士住建は、バブル期に
『住専』からの4,000億円を中心に1兆円の負債を抱えていた
率いるのは安原治氏。高卒で、鉱山会社を皮切りに、
電気工事会社など職を転々、1969年、自営で建築業を始め、
71年、32歳で富士住建を設立した。
高度経済成長の波に乗り、急速に業績を伸ばすが、
それは『住専』との二人三脚で成し遂げたもので、
やがて資産は負債に転化、「西のビッグ3」と呼ばれる借金王
となった。
末野興産・末野謙一、
朝日住建・松本喜造、
そして富士住建・安原治・・・。
大阪の繁華街に数多くの社交ビルを保有、
芸能人との派手な交友で知られた末野氏に比べると、
仕事の虫で自宅もつましかった安原氏は、
マスコミの餌 食になることはなかったが、
債権飛ばしのあげくに資産を隠したとして、
1997年1月、法人税法違反容疑で逮捕・起訴され、
公判の末、2000年7月、大 阪高裁で懲役2年6ヵ月、
執行猶予5年の有罪判決を受けた。
そうした苦境にありながらも安原氏が選んだのは、
会社を倒産させるのではなく、
債権者の同意を取り付けながら、
グループ企業を統廃合、借金を返済していく道。
富士ホームサービスはその中核だった。
もともと、政治家を支援することが好きな安原氏は、
事業が好調な時、
本社近くの同社所有マンションに石原氏後援会の
「石原慎太郎関西本部」を置いていた。
また、鈴木氏を会社に迎え入れたのと同時期、
先輩秘書で石原氏が運輸相の時、
運輸大臣秘書官を務めたこともある柳原常晴氏を
金融不動産子会社・イースタンコーポレーションの取締役に
迎え入れ、92年7月から約1年半の間、代表に就けていた。
つまり、安原氏はバブル絶頂期から、
辛酸をなめ、復活した現在に至るまで、一貫して石原氏を
支援、その「東京駐在」が鈴木氏だった。
東京・青山の 富士ホームサービス東京支店長だった鈴木氏は
石原氏が2ヵ月に一度の頻度で開いていた「石原慎太郎の会」
という昼食会で司会を務めており、
「政官パイ プ」を絶やさなかった。
記者会見で任命理由を聞かれた猪瀬氏は、
「会社に長く勤め、実際にマネジメントをしていて、
大阪維新の会の立ち上げにも協力。
国に対して太いパイプを持っている」
と、述べた。
それは鈴木氏のこれまでの履歴がもたらしたものである。
石原氏のしがらみをいかに捌くか
一方で、鈴木氏は猪瀬氏の弁にあるように、
大阪維新の会にも関与している。そうした動きは、
鈴木氏個人の意思ではなく、引退したとはいえ
富士ホームサービスグループに隠然たる影響力を行使する
安原氏の思惑によるものだろう。
昨年の大阪市長選の最中、安原氏の名が、
マスコミに久々に登場した。
『週刊新潮』(11年11月24日)の「橋下前知事麗しき友情」
という記事のなかで、同誌は、
橋下後援者として安原氏の名をあげたうえで、
富士住建グループ関連会社の次のようなコメントを掲載している。
「安原は現在、グループの全ての企業の役職を退き、
相談役という立場です。安原が、大勢いる橋下さんの後援者の
1人であることは事実」
日本維新の会は、「野合」という批判を浴びながらも、
「維新」のために小異を捨てて大同に就き、
橋下-石原連合を組んだ。そこには、
支援者としての安原氏の思惑もあり、
その尖兵として動いたのが鈴木氏だった。
45年の政治家生活、そのうち13年半が東京都知事だった
という石原氏の政治家としてのキャリアはダテではない。
数多くの人脈があり、
しがらみも少なくない。
それをうまく捌くために「石原秘書軍団」がいて、
「6奉行」「7奉行」といった呼ばれ方をするが、
そのほかにも今回の鈴木氏のように、一般には無名でも、
長く石原氏を支えた「外部秘書」もいる。
そうした秘書の背後には、
それぞれに石原氏の支援者やファンがいて、思惑を持ち、
都政に関わってきた。
猪瀬氏は、そこに一線を画し、
斬新でスピード感のある都政を推進するが、
「石原後継」としての"尻尾"を残し、
象徴である鈴木氏を特別秘書に任命した。
その"捌き"もまた、猪瀬氏の腕の見せ所である。
▶都知事特別秘書に元本紙記者
2013.1.17 17:42
特別秘書に任命された石元悠生氏
東京都の猪瀬直樹知事は17日、
元産経新聞社会部編集委員の石元悠生氏(45)を特別秘書
に任命した。
石元氏は平成3年に駒沢大法学部を卒業し、同年、産経新聞社
に入社。社会部で石原慎太郎前知事が初当選した平成11年
から都庁取材にあたっていた。
24年1月から1年間、社内留学制度で米コロンビア大
東アジア研究所客員研究員を務め、今月15日付で退社した。
特別秘書の任命は
知事の専権事項で、条例で2人まで置くことができる。
猪瀬知事は24年12月、
石原前知事の元秘書の鈴木重雄氏(56)を特別秘書にしており
石元氏は2人目。
過去の知事では、鈴木俊一氏や東龍太郎氏らが報道関係者を
特別秘書に任命していた。