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「セントライトとシンザン 東京五輪と名馬誕生の深い縁、今度は…」:イザ!

2013-09-19 14:23:09 | 日記
【馬じぃの継続は非力なり】
セントライトが3冠馬になった1941年(昭和16年)は日米開戦、太平洋戦争に突入した年だ。
実は前年40年に東京でのオリンピック開催が決まっていたが、日本が対中国との戦争を続けていたため返還・中止になっていた。
平和な時代なら、初の東京五輪も初の3冠馬セントライトも明るい話題として日本中をわかせていたはずだ。
その苦い思い出を払拭したのが二代目3冠馬シンザンだ。
1964年10月、幻の東京オリンピックが現実のものになり、日本中の高揚気分がさめやらぬ11月、淀のターフを駆け抜け菊の栄冠を獲得した。
セントライトもシンザンも世紀の名馬である。
その名馬誕生と縁の深い東京オリンピックが7年後にまたやってくる。
今度はどんな名馬が誕生するのか。
シンザン以後もシンボリルドルフ、ディープインパクトなど稀代の強豪が登場しているが、それを上回るようなスーパーホースが現れるのか。
夢がふくらむ。
セントライトに話を戻すと、馬主の出版社社長、加藤雄策を抜きには論じられない。
加藤は親交のあった菊池寛のすすめで馬主になったが、卓越した相馬眼の持ち主で、2年前のダービー馬クモハタも持ち、ともに種牡馬としての実績も大きく、2頭ともJRA顕彰馬に選ばれている。
セントライトは3歳時だけ走って12戦9勝2着2回3着1回。
菊花賞後は極量ともいえる重ハンデを課せられるのを嫌い、愛馬心が強かった馬主が早めに引退させたという。


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