狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

HOW WE SURVIVE IN THE FLAT FIELD

2017年03月08日 16時12分06秒 | その他の日記






 防御拠点として設けられた建築物を攻める場合。防御側の数倍の兵力で敵の拠点を包囲して相手の補給線と情報網を遮断し、防御側の拠点の水や食料や備蓄軍事物資を消耗させて相手を追い込む、という攻め方があります。
 水や食料がなくなれば戦うことは出来ません。日本では兵糧攻めと呼ばれていますね。
 現代では、城を包囲するのではなく都市丸ごとの包囲・経済封鎖であったり国丸ごとの経済封鎖であったりとより一層大規模に行われています。
 日本も当然その行為をおこなっています。
 戦闘なき戦争ですね。
 戦争という言葉をどのように定義するかにもよりますが、太平洋戦争以後も日本は戦争に延々と参加してきているのです。
 さらには太平洋戦争以後に他国の軍隊に日本人が幾人も殺され連れ去られた事例も幾つかあるわけです。
 それらを無視して太平洋戦争以後は日本は戦争をしていないと嘯くのは欺瞞でしかありません。

 戦争をしないほうがよいというのは当たり前です。しかし相手が話し合う気がないのならば話し合いなどできはしません。
 だからといって相手の言いなりになるわけにはいきません。相手が死ねと要求してきたならばどうします?
 だからといって、大規模戦闘に安易に突入するわけにもいきません。勿論、相手が攻め込んできた場合は全く話は別ですが。

 戦後の日本は大規模戦闘に巻き込まれないよう経済力を使った戦闘なき戦争を延々と行っているわけです。生き残る為に。
 日本国憲法が呪文のような摩訶不思議な効力を発揮して日本が守られているというわけではないのです。今も日本は戦闘なき戦争をしているのです。

 安全保障に関することで国会で言葉遊びとしか思えないような指摘をする野党にはうんざりします。
 どのような論を出そうとそれは構いません。日本は共産主義国ではないのですから。思想は自由です。
 しかし、言葉遊びに淫しているだけならば自ら放った言葉に喰われることになりますよ。
 安全保障の問題は命がかかった問題です。
 言葉遊びは止めてください。お願いします。


 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山茱萸(サンシュユ)その7。 | トップ | 『帰ってきたヒトラー』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

その他の日記」カテゴリの最新記事