狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

言葉や属性こそ事物の本質に一致すべきであり、逆に本質を言葉に従わせるべきではない。

2017年08月31日 16時18分42秒 | その他の日記




 全文の意味を汲み取らずに言葉の一部を抜き取って意味を変える。
 その文章を読み、元の文を読まずに、さらに勝手に解釈して意味を追加していく。
 そして改変されたその文を読んだ人は、元の文を知らずに評価を下す。
 言葉とは恐ろしいものです。
 発言者の意図を真逆に変えてしまうことができます。
 悪意を持った発信者がいれば簡単に発言者の意図は捻じ曲げられてしまう。
 このような行為をマスメディアが行う。知識人が行う。評論家が行う。政治家が行う。
 集団で行うので責任者が曖昧となってしまう。結果として誰も責任を取らない。
 元ネタを検索し検証すれば話が違うことに気が付くけれども、一般人には全ての事柄に検索して検証する時間がない。
 それ故に、好き放題に発言者の意図を捻じ曲げる行為が横行する。
 センセーショナルに派手に大袈裟に。
 発言者の意図は無視され、違う意味に変えられ、勝手に話が大きくなる。
 しかしその先には何があるのだろう?
 何も信じることができない世界が出来上がるだけなのではないか?
 分断と相互不信と不和と争いが満ちた世界が出来上がるだけなのではないか?
 マスメディアは、一部の知識人は、一部の評論家は、一部の政治家は、そんな世界が出来上がって欲しいと思っているのだろうか?
 思っていることを言葉で正確に述べることは難しい。そして誰かの言葉を発信者の意図通りに汲み取ることも難しい。
 しかし、誰かの言葉の一部を切り取って悪意を持って全く違う意味に変えてしまう行為は最悪の行為である。と私は思っているのです。


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