おりょうの万葉浴

おりょうの万葉浴展・ ギャラリー香・2017年12月  

万葉集巻第1・21

2009-11-30 | 万葉集巻1

 【  紫草の  にほへる妹を  憎くあらば  人妻故(ゆえ)に  我(あれ)恋ひめやも  】


                       大海人皇子( 天武天皇 )

  紫草のように

匂う 

 ぁなたが

                      憎らしいなどと  

                        思ってたら 

              人妻と 

              わかっていて

恋しく 

 思いませんょ

                                     ぁんっ

                  ぃとしぃぁなたさま 

                     すき 



      そうです !

 自分( 大海人皇子 = 天武天皇 )さまと 

     娘( 十市皇女 )さまを 

                                         おいて

                        自分の兄の 

                       ( 中大兄皇子 = 天智天皇 )さまのもとに 

                                                           嫁いでしまった

 

     額田王さまの 

ことを 

 憎くんではいないと
 
                                                    まことの心

                        歌って 

                           おられますね

  そうでしょ そうでしょ

 私でも 

  もし 

            夫を姉妹に

                                          差し上げるなんて 

                         ことがあったら 

                       どうなってしまうか

                              わかりませんものね

 ほんとうに 

   兄のことが好きで

     行ってしまったのなら

                              あきらめも 

                             つくでしょうけれど

    万葉集巻第1・20

 額田王さまの 

  ぉ歌を聞きますと


                          やはり

         ( 大海人皇子 = 天武天皇 )さまのことを 

            愛しておられたのではないでしょうか

  大きな

天皇さまという 

 お役目のある方々の

                          間で

                      個人的な気持ちを 

                       相手に気付かせてしまうことは

   とても

 危険なことに 

   つながってしまうかもしれないですね

                           でも

                ( 大海人皇子 = 天武天皇 )さまは 

                   万葉集巻第2・166

   大伯皇女 = 大来皇女さまが

  弟 

大津皇子さまの 

  死を悲しまれています

                       そのぉ歌でも

                   わかりますけれど 

                     いろいろな子供達が

    父のくるしいとき

 引き受けるかのように 

   悲しい出来事が起こってしまいますね

                          伊賀国

                    名張の

                 夏目廃寺のお寺跡地は 

                   大伯皇女 = 大来皇女さまが

         父 

  天武天皇さまを

しのんでつくられた 

  のではないかとされています

                         愛する人を

                      生き別れであっても  

                       なくしてしまうことは

   本人も回りも

 大変なことです  

   額田王さまは

        正式な

                           奥様では 

                            なかったのですね

   天武天皇さまの

奥様は 

 その頃は

                         兄天智天皇さまと

                       親しい 

                        談山神社の藤原鎌足さまの

                           娘さまでしたので

    愛されたが 

 ゆえに 

  愛する人の

       元を

                           去らなければ

                        ならなかった 

                          のでしょうか

   おつらいことです

 そこで  

  おんなとしては

                        死ぬか

                     生き抜くかの 

                       選択を

                         せまられたことに 

   なりますけれど

額田王さまは 

 生き抜く人生を 

     あゆまれます

                           娘の

                        十市皇女さまは 

                           母を 

  さかさかがみ

と  

 なされたのでしょうか

                           母を見て

                          母とは違う 

                            永遠の命

                         のほうへ

  まことの心

捧げられた 

 のでしょうか

                            お父様の

                        人間味ある 

                          ご性格を

                        うけておられたのでしょうか

  天武天皇さまは

 娘 

  十市皇女さまの 

      お葬式で

                       人目も気にしないで

                   大泣きされるほどの 

                     人間味のある

                         男性だったようですので

 母性本能を 

  くすぐられてしまいますね

      私がもし

                          額田王さま 

                        ならば 

                          子を残して 

                        出ていく限りは

    飛び込む

 相手だけを見つめて  

  生きてゆくことでしょう

                                 ほかに

                         何もみないで

                       旦那様に 

                        迷惑かける様なことが 

    起こらないように

  と 

 思って 

  ね

                     額田王さまは

                  伊賀采女宅子さまも 

                    愛された

  天智天皇 = 中大兄皇子( なかのおおえのおうじ )さまの

 奥様に 

  なられます

                   伊賀采女宅子さまとの間に

               大友皇子 = 弘文天皇さまが 

                  お生まれになられて 

                      いますけれど

    額田王さまに

 お子様は  

  おられなかった

     せめてもの

                  天武天皇さまへの 

                    おもいやり

                        お気持ちでしょうか

    万葉集巻第1・20

 額田王さまの歌と 

  この万葉集巻第1・21の

      天武天皇さまのぉ歌は

                           お兄様の 

                            天智天皇さまが

   滋賀県の

 近江に 

  都を造られて

                    額田王さまが 

                      妻となられます時に

     滋賀の 

 太郎坊山から

見下ろした 

  田園あたりの

      蒲生野で 

                             狩をなさった時の

                           宴会での 

                             2首だそうです
 
  天智天皇さまも

 お二人の 

  お気持ちを

                     受け入れて 

                       おられたのですね

 
             ありがとう於良


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