
UFO の お話し を
思い出しました
夫 の 幸勇さん とも
頂いて いました
昔 の
過ごされました
思い出 の おうち
弁天荘 の 玄関 を 入りますと
階段落ち の シーン に 出てくる ような
上り ますと
大きな ふすま で
畳 の お座敷 には
こたつ が あって
床の間 あたり には
早くに
ご主人 の お写真 でしたでしょうか
10年程たって しまい まして
覚えて いない のです けれど
夜になる と
ご主人さま が 彫られた 観音様
いたしましたね
弁天荘 を 新しく 建て直された
どこか 外国 へ 行かれていた 息子さま が
おられた のでしょうか
お話し を なさる 清子さま は
おりました ので
していました
息子 の 帰り を 待つ
母 同士 で
意気投合 致しましたね
五島列島 の 福江島 へ 参りました 時も
風を待つ ように
元気 な 息子の無事 を 祈り
毎日 を 過ごす
母 の さみしさ を
語り合い ました
私 の 母 吉岡俊 は
老いて だんだん と
忘れて ゆきました
最後 の 旅の終わり に
お多賀さん へ お参り させて頂いて
命尽きる まで
私 も ともに
生き ました
忘れる ことは
長生き の
秘訣
私 も よく
立っている 電話 を 見て
?
からっぽ の
こころ は 清らか
清らかな 心 の
清子さま
いっしょに 見ました 獅子座流星群 は
清子さま に 教えて 頂きました から
孫の三浦健太 と
宝 が 出来ました
きらめく 星空 の 中
山いっぱい 持ってんねん
あげよか(差し上げる) って
寒い夜
なにやら
宇宙 と
おしゃべり なさって おられる ような
永遠の命 の 光 が
おられる ような かんじで
おられました
目の前 の
毎日 行かれる お姿 は
ご神木 と
ようでした
生かして下さってありがとう
ですね
がんばって下さいね
虫の知らせ でしょうか
きました
私の母 も 102才 まで
笑い ながら
泣き ながら
まさに 生きる ですね
生きるって すごい って つくづく 思いました
その姿 を
娘の私 に 見せて くれました
今 その体験 が 珠玉 と なって
私の心 に 残り
支え と
なって います
ありがとう於良
阪田清子の
放蕩の息子でございます。
盆正月以外は、時には盆正月さえ
世界中を放蕩させていただきました。
その頃は母、神社や地蔵さんへのお参り・・
親とは、素晴らしいものです。
このような形で、母「阪田清子」のことを記載して頂き、有難うございます。
UFOの頃(10年前?)でも80歳近く
偉かったんだな~と思いました。
貴重な記録となりました。
重ねて、有難うございます。
おりょう様のお母様同様、忘れても・忘れても
長生きして欲しいものです。