お多賀さん
母と
最後の旅の
昨日行った
です
その時の
少し前に
身体をとめて
普段
型を
しばらく
いました
母が
90才を
これから
どう生きるか
「 お嫁に行くまでが
第2の人生
そして
90才からが
どう生きるか
生きる
決める 」と
ました
先ず
嫁ぎ先の仏壇と
お寺の中の
実家のお墓にも
福井県にある
自分の生家の
仏壇に
手を合わせに行って
東尋坊の
宿泊して
お多賀さんへ行きました
「 俊乗坊重源上人 」
東大寺復興造営を
成就する
ために
延命を願ったそうです
その時
「 俊乗坊重源上人 」が
母の住む
伊賀
建てられていまして
「 俊 」
ここから
両親がつけたのでしょうか
母は
同じように
天命を
祈りました
母は
第3の人生を
みずから
決めて
椋本にある
老健「 ロマン 」で
人生最後の
果たしました
その
感謝 !
多くの
お友達が
いっしょの
手をつないで
寝ていました
毎日
いろんな所に
いろんなおけいこをしたり
歌ったり
踊ったり
ただ
「 今を生きる 」世界です
だって
その瞬間に
過去を
けんかしちゃっても
忘れちゃうから
残りません
笑って
またみんなで
何時間でも
飽きません
先の事など
深く
考えないで
遠い昔のことは
みんなお話しして下さいます
いろんな方々の
壮絶な人生を
とてもすごいことでした
やはり
母は
団体生活に
慣れていまして
「 ここは職員室 」と言います
いつの間にか
介護士さんたちから
お国から
内閣総理大臣 小泉純一郎
村からも
届くようになりますと
「 この施設にいて
越えた人が
いるらしい 」と
希望の星となりました
母のお部屋の
入り口に
「 生き神様です 」
100才を
そのような
介護士の方など
母を
来てくださぃます
「 成さねばならんなにごとも……‥ 」
人々を勇気づけます
きっと
戦争中も
みんなが
生きることを
必死に
のでしょう
夏祭の
大きな
空襲のように
おもうようでした
母の
過ごせたことは
与えてくれました
お多賀さんから
頂いた
母に
足りなかった
与えてくれました
ありがとう於良