
【 鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有 】
【 かもやまの いはねしまける あれをかも しらにといもが まちつつあるらん 】
柿本人麻呂
鴨山の
枕にして
瀕死の状態でいる
知らないで
私の帰りを
すき
瀕死の状態で
寺島富郷氏に
助けて
頂きました時
夫は
と思いました
おなじ気持ちでした
【 柿本朝臣人麻呂 石見の国に在りて 死に臨む時に 自ら傷みて作る歌 】
とありますね
人麻呂さまは
歌聖と
あがめられながらも
正体不明の
いわれておられました
なぜなのでしょう
と
思います
この歌の題詞に
死と書かれていますね
ご身分は
高くはなかったそうです
晩年
石見の国に
住まわれて
辞世歌ですね
宮廷に
お仕えになられ
どうして
思います
人生終焉の
石見にみつけて
歌集の編集に
傾けられました
行路死人に
柿本人麻呂さまです
不慮の事故や
災難にあって
しまわれました
ご無念の
魂が
あらぶることの
ないように
祈りを込めて
歌われました
太古の人々の
何かトラブルがあって
わからないので
簡単には
いただけなかったのでしょう
野ざらしに
人々であっても
旅人でも
死
と
土となっても
残されてしまった
おもいを
受け入れて
あげて
ご無念の魂を
歌われたのでしょうね
ありがとう於良