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おりょうの万葉浴

おりょうの万葉浴展・ ギャラリー香・2017年12月  

万葉集巻第2・223

2009-12-06 | 万葉集巻2

【  鴨山之  磐根之巻有  吾乎鴨  不知等妹之  待乍将有  】

【  かもやまの  いはねしまける  あれをかも  しらにといもが  まちつつあるらん  】


                                                                     柿本人麻呂


   鴨山の

 岩根を 

  枕にして

     瀕死の状態でいる

                       私のことも 

                         知らないで

 ぃとしぃぁなたさま  

   私の帰りを

                      すき              

                  待っていてくれている 

                   ことでしょう


  わかります
       
 私も 

   瀕死の状態で

                           寺島富郷氏

                          助けて 

                            頂きました時
  
      夫は

 待っていることでしょう 

    と思いました

        おなじ気持ちでした

   【 柿本朝臣人麻呂  石見の国に在りて 死に臨む時に 自ら傷みて作る歌 】

                         とありますね

  人麻呂さまは

 歌聖と 

  あがめられながらも

                            正体不明の

                         歌人とも  

                           いわれておられました

   なぜなのでしょう

  と

思います 

 この歌の題詞に

    死と書かれていますね

                       ご身分は  

                        高くはなかったそうです

   晩年

 石見の国に 

   住まわれて

      ぉ命尽きられます

                        その時の 

                         辞世歌ですね

   宮廷に

 長いあいだ  

  お仕えになられ

                           どうして

                          って  

                            思います

  人生終焉の

 地を 

 石見にみつけて

                          歌集の編集に

                        情熱を 

                          傾けられました

  行路死人に

 ご関心のあった  

  柿本人麻呂さまです

      けれど

                      行路死人とは 

                        鎮魂歌のことです

   旅先で

 飢えて倒れたり 

  不慮の事故や

     災難にあって

                      亡くなって 

                       しまわれました

   ご無念の

 が  

   あらぶることの

      ないように

                         祈りを込めて 

                           歌われました

 太古の人々

旅は 

  何かトラブルがあって

      人里の近くでも

                         どんな人か  

                            わからないので

   簡単には

 助けて 

   いただけなかったのでしょう

                           野ざらしに

                         なってしまった 

                           人のことを

  その土地で

 生活する 

  人々であっても 

       旅人でも
 
                           死

                         というものを 

                            けがれ

                               と 

 考えられて 

   いましたので

                        また

                   災難が起こることを 

                       恐れて

       体が

  土となっても

そこに  

 残されてしまった

    おもいを

                       受け入れて 

                        あげて 

   ご無念の魂を

 やわらげるために  

   歌われたのでしょうね




                         ありがとう於良


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