高橋のブログ

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【カーキ色のユートピア 「リンツ第三帝国ブルックナー管弦楽団」(2)】

2019-04-17 20:08:23 | 日記


※現在のリンツ・ブルックナー管とは別のオーケストラです。

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ヒトラーはブルックナーを、リヒャルト・ワーグナーと変わらぬくらいに崇拝していた。
ニュルンベルク党大会で文化について演説する時は、いつでもブルックナーの交響曲の中から一つの楽章を選んで演奏させたほどである。
彼はザンクトフローリアンをブルックナーの聖地にして、当時すでにフランクフルトやマインツにあった音楽学校の一つをここに移転しようと考えた。

 結局、この計画は大戦が終わるまでに振り出しに戻ってしまったが、そうこうする間にこの修道院に関心を示していたのが、帝国放送協会だった。

 大ドイツ放送の総監督.ハインリツヒ・グラスマイヤーは、若い頃に故郷の城の公文書館で仕事をしていたが、1924年に統一ウェストファリャ公文書館の館長に就任した。
故郷では、貴族の椅子にしっかりと腰を下ろして生活していた彼は、ザンクトフローリアンでの安閑として暮らしを夢見る「城主コンプレックス」に襲われることもあったが、
結局、その職は長続きせず、わずかの後に政敵によってベルリンから追放されることになった。
そして次に彼が関わったのが、日常の国政にはなんら直接的な影響を及ぼすことのない「オーバードナウ計画」である。
彼が担当したのは国民への啓蒙と財源確保のプロパガンダであった。

 彼は次のように説明する。

 「ブルックナーの伝統に基づいて、高い価値を持つクラシック音楽創造の拠点をこの地(リンツ.ザンクトフローリアン)に作り出す必要がある。
芸術的に比類なき情緒豊かな空間、音楽の多様性や美しさ、また音響的な完全性の点で、世界のどの放送局も実現し得なかったような空間からこそ、
音楽は送り出されるべきなのである。

 ここでは有名なブルックナーオルガンの他にも、四台ものオルガンを放送局が使用できる。
装飾に満ちたいくつもの部屋をもつ華麗なバロック建築は、大ドイツ放送と国際放送連合を代表する共同の本拠地となるであろう。
そして、ついには会議、教育、講習等・を、それぞれにふさわしい場所で開催出来るようになるのだ。」

 グラスマイアーは、1942年から1944年の間に、古い高価な家具類や絨毯、シャンデリアといった美術品を700万マルク相当も購入した(残念ながら、
中には本物に見せかけた贋作も含まれていたが)。 勿論、テレビ放送のためなどではない。
それら美術品によって放送局の同僚達が創造的な雰囲気で満たされ、その結果として間接的な形でではあるが芸術的な空気がそこから発散されるようにとの配慮なのであった。

 ウィーンの博物館からもグラスマイアーは1枚の大きな皿を購入した。
盛大な食卓を飾るためである。金で縁取られたその陶審の皿には、ザンクトフローリアンの紋章とハーゲンクロイツ、そしてグラスマイアー家の紋章が描かれた。
それに合わせて、フォークやナイフなどの食審類もバロック様式を真似た銀の手工品が用意され、純金や純銀の皿、クリスタルのグラスも揃えられた。
それらは戦時中の貴金属不足の折にも、ベルリンの帝国総理府の計らいで接収を免れた。

 こうして、グラスマイアーはザンクトフローリアンをこよなく愛し、戦争末期、当修道院が爆破されることを必死に護ったのである。これは評価すべきことである。

(続)
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