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反中国

2013-01-21 | 反中国

尖閣、400年前は支配外…明王朝公式日誌に- 読売新聞(2013年1月21日14時36分)

 中国の明王朝の公式日誌「 皇明実録 ( こうみんじつろく ) 」の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、明の支配する海域が尖閣諸島(沖縄県)より中国側にある台湾の 馬祖 ( ばそ ) 列島までと明言し、その外側の海は自由に航行できるとした記述を、長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が見つけ、21日午前に長崎市内で記者会見して明らかにした。

 中国は現在、尖閣諸島を約600年前の明の時代から支配してきたと主張しているが、石井氏は記者会見で、「歴史的に見ても、尖閣を巡る論争は日本側の主張が正しいということが、この史料からわかる」と語った。

 石井氏が見つけたのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述。沿岸を守る長官だった「 海道副使 ( かいどうふくし ) 」(海防監察長官)が、長崎からの使者・ 明石道友 ( あかしどうゆう ) を逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として納められていた。

 それによると、この海道副使は明石に対し、沿岸から約40キロ・メートルの「 東湧島 ( とうゆうとう ) 」(現在の馬祖列島東端・ 東引島 ( とういんとう ) )などの島々を明示したうえで、この外側の海を「 華夷 ( かい ) の共にする所なり」とし、中国でも他国でも自由に使える海域だと指摘したという。 魚釣島 ( うおつりじま ) などからなる尖閣諸島は、中国大陸から約330キロ・メートル離れている。

 中国は、明王朝の1530年代に琉球に派遣された使者の記録をもとに、琉球の支配海域の境界は尖閣諸島の東側にある久米島と同諸島の大正島の間にあり、魚釣島などは明の領土だったと主張している。だが、今回の記述により、明の支配海域は沿岸から約40キロ・メートルまでで、尖閣諸島はどこの国にも属さない「無主地」だったことが明らかになった、と石井氏は指摘している。日本政府は、尖閣諸島が「無主地」であることを調査・確認したうえで、1895年に日本に編入したとしている。

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もう、こういう議論事態が、・・・

だいたい、明と今の中国は全くちがうわけですから。中国という国は歴史上存在しない。いわゆる、中華民人が住んでいる地域という概念はある程度あるでしょうが。歴史上、その支配した政権・王朝の支配がおよぼす地域はことなるわけですから。

一体、明の時代それでは、チベットはだれが支配していたんでしょうか?

彼らは、自分の都合のいときだけ、支配・勢力圏だったというだけ!民の時代、チベットは、チベットの王朝が支配していたはずなので、チベットはチベット人のものなんですが!

無人島(昔、日本人が住んでいた事実はあるらしいですが・・・)のこと、中国領土だという前に、チベット人が住んでいるチベットを武力で占領していること・・・これ自体が問題なんですが!

本当に、中国と対峙する覚悟を決めれれば、国連で、反中国でチベット問題・独立を提案するぐらいの覚悟してもいいのかも?

だれも、怖くて、そこまでいえる国はないんでしょうが。

 

 

 

 

 

 

 

 



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