夜行バスで往復、高知はの予定でしたが、サクラ早く、先週満開、もう葉サクラかもしれず、天気も悪そうなので、中止、午後に京都へ行くことに、明日は仕事に変更!
午前中は仕事→京橋駅→出町柳駅→→京都大学→哲学の道へ→→銀閣寺~入らず→哲学の道→→桜は漫画~厳密には、一歩手前ぐらい
満開やでー、満開でおます、満開でっせ、満開じゃがねー、満開ずら、満開なもし
→南禅寺→→地下鉄・蹴上駅→河原町御池駅→→阪急烏丸駅→阪急梅田駅→ヨドバシカメラ→大阪駅→自宅駅→帰宅 PM9:00過ぎ
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なんでしょう!
本当は、台湾は中国から完全に独立した存在であるべきなんでしょうが。
中国は、絶対に許さない!
歴史上は、台湾は中国にとゅて、沖縄ぐらいの存在だったかもしれませんが・・・?
「仙台に愛を届けよう」80年前の恩義忘れぬ台湾・台南市 義援金1億円超に- 産経新聞(2013年3月30日17時39分)
東日本大震災で大きな被害を受けた仙台市と、台湾の台南市が、震災から2年あまりが過ぎた今も固い絆で結ばれている。福島第1原発事故への懸念が高かった震災直後に、台南市長自ら仙台に駆けつけ、1億円を超える市民の義援金を寄付。仙台の学生を元気づけるため、短期滞在を受け入れる事業も続けている。手厚い支援の根底には、80年あまり前の日本統治時代に台南でダムを造った日本人技師への恩義があった。(高久清史)
■「仙台に愛を」
「『義援金を送りたい』『支援しよう』という電話が次々と寄せられた」。台南市の頼清徳市長は、東日本大震災直後の台南市民の反応をこう振り返る。
台南、仙台両市は双方の七夕の祭りなどを縁に、平成18年に交流促進協定を締結。震災後は、人口180万人超の台南市で「送愛到仙台(仙台に愛を届けよう)」を合言葉に募金運動が展開され、義援金は約1億700万円に上った。
頼市長が義援金の小切手を携えて仙台市役所を訪れたのは、震災から間もない23年4月22日。原発事故を受け、外国人観光客らが東北を敬遠していた時期だったが「家族をお見舞いする思いだった。行動することで仙台市民を激励したかった」。頼市長は学校体育館の避難所も訪問した。
義援金はその後も寄せられ、総額は約1億3千万円に。さらに、頼市長自ら旗振り役となり、台南の地元企業が24年2月から3年計画で仙台の大学生らの短期滞在を受け入れている。
仙台国際交流協会によると、短期滞在はこれまで4回実施され、約120人が参加。1~2週間程度の日程で観光名所をめぐり、地元の人たちに浴衣の着付けを教えるなどして交流を深めたという。
■ダムが生んだ絆
息の長い支援を生み出す台南市民の親日感情。頼市長は背景として、日本統治時代の1930(昭和5)年、台南市に烏山頭(うさんとう)ダムを築き上げた日本人技師、八田(はった)與一(よいち)(1886~1942)の存在を指摘する。
八田の指揮のもとで総延長1万6千キロの用水路も整備され、不毛の地とされた一帯は穀倉地帯に生まれ変わった。八田の功績は台湾の教科書でも紹介され、記念公園も造られた。
「八田さんのおかげで台南が今、豊かな生活を送れている」。頼市長は深い思いを込めて語る。
支援先は仙台市だけではない。頼市長は平成23年6月、約300人の訪問団を結成して観光友好都市の栃木県日光市に入った。「行こう!日光」と書かれたTシャツ姿で、震災の風評被害の払拭に一役買った。
頼市長はいま、被災地での復興の遅れを気に掛けている。「家族が被災したような気持ちで、一日も早い復興を祈っている」。約2600キロ離れた地から、再生を強く願っている。
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