3月17日にりょりょの卒業式がありました。
ちょうど1年前の修卒業式の前日にりょりょが不調を訴え、修卒業式の日に病院に行きました。
そこで再発が分かったのです。
10年何事もなく過ごして来て、もう安心と思っていたところだったので、その時のショックは言葉では言い表せません。
しかし、10年前もそうでしたが決して死は意識しませんでした。
必ずまた完治する予感がありました。
日本で最高の医療機関にかかっているのですから。
そして始まった闘病生活。
りょりょは持ち前の明るさで8ヶ月の辛い治療を乗り切りました。
どんなに具合が悪くても院内学級を休むことなく出席しました。
不安を抱えた病棟の子どもたちに積極的に声をかけ、みんなで一緒に遊んだり、お風呂に一緒にはいったり。
プレイルームからはいつもりょりょの笑い声が響きました。
外泊許可が下りてもみんなと一緒に遊びたいから帰らないと、何度だだをこねたことか。
入院生活は決して辛いだけではないことをみんなと共に感じました。
私にとっては、辛く苦しい毎日でしたが、今思うとあっという間に過ぎてしまった気もします。
驚くほど順調に治療が進み、元の小学校で卒業式を迎えることができました。
元の小学校に戻った後は髪の毛が抜けてしまった頭に帽子をかぶり過ごしましたが、治療から4ヶ月近くが過ぎ坊主刈り程度まで髪の毛がはえ、卒業式の当日には始めて全校生徒の前で帽子を取りました。
短い髪を恥ずかしがることなく、しっかりと堂々と式に臨みました。
これからも、強く明るく成長してくれることでしょう。
卒業証書を受け取るところです。
ちょうど1年前の修卒業式の前日にりょりょが不調を訴え、修卒業式の日に病院に行きました。
そこで再発が分かったのです。
10年何事もなく過ごして来て、もう安心と思っていたところだったので、その時のショックは言葉では言い表せません。
しかし、10年前もそうでしたが決して死は意識しませんでした。
必ずまた完治する予感がありました。
日本で最高の医療機関にかかっているのですから。
そして始まった闘病生活。
りょりょは持ち前の明るさで8ヶ月の辛い治療を乗り切りました。
どんなに具合が悪くても院内学級を休むことなく出席しました。
不安を抱えた病棟の子どもたちに積極的に声をかけ、みんなで一緒に遊んだり、お風呂に一緒にはいったり。
プレイルームからはいつもりょりょの笑い声が響きました。
外泊許可が下りてもみんなと一緒に遊びたいから帰らないと、何度だだをこねたことか。
入院生活は決して辛いだけではないことをみんなと共に感じました。
私にとっては、辛く苦しい毎日でしたが、今思うとあっという間に過ぎてしまった気もします。
驚くほど順調に治療が進み、元の小学校で卒業式を迎えることができました。
元の小学校に戻った後は髪の毛が抜けてしまった頭に帽子をかぶり過ごしましたが、治療から4ヶ月近くが過ぎ坊主刈り程度まで髪の毛がはえ、卒業式の当日には始めて全校生徒の前で帽子を取りました。
短い髪を恥ずかしがることなく、しっかりと堂々と式に臨みました。
これからも、強く明るく成長してくれることでしょう。
卒業証書を受け取るところです。