湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

『嫌われ松子の一生』

2006年04月19日 | 日常生活
実は昨日は走りながら、しばらくのあいだずっと気分が晴れなかった。まるで昨日の天気のように、景色を色褪せさせるぼんやりとした霞のようなものがずっと心を覆っていた。そんな状態は犬越路を越える頃まで続いたのだから、決して短い時間ではない。そのあいだ僕は考えても仕方のない(いや、仕方なくはないか)、けれどもなかなか頭を離れない物事についてずっと考えていた。

僕が考えていたのは、前日に読み終えた『嫌われ松子の一生』という小説についてだった。

あとから考えるとそれは些細なことだったのかもしれない。冷静に対処できていれば大事には至らなかった種類の物事だったのかもしれない。けれどもそのとき急場を凌ぐために良かれと思った、しかし致命的な判断ミスが、松子を取り返しのつかない地点に運んでしまう。

追い込まれた松子は窮地を回復するためのアイデアを考える。そのアイデアはとても素晴らしいもののように感じられる。それによってもつれた誤解が瞬く間に解けていく様を思い描いて、松子はちょっとした英雄気分にさえなる。しかし、そのアイデアは決して松子を助けることなく、かえってさらなる窮地に追い込んでいく。

そうした繰り返しがあまりに痛々しい。

求めるものには裏切られ、差し出される助力や好意にたいしてはむげにその手を払ってしまう。物語の終盤で、松子は以前自分を気にかけていてくれた旧い友達と偶然出会う。旧い友達は、歳をとり疲弊した松子に、「あんた、いま何やってるの?あんたうちで働いてよ。あんたの力を貸してよ、あんたなら充分やれるよ」と声をかける。けれども松子はその旧い友人のことばをも拒絶してしまう。しかし友人と別れた後、松子は彼女の助けを借りてもう一度やってみようという希望を持ちはじめる。そして彼女のくれた名刺の電話番号に連絡をしようとする。けれども、結局その願いさえも叶えられることなく終わる。

昨日走りながらしばらくのあいだ、僕はずっと松子のことを考えていた。そして自分のことを考えていた。

『嫌われ松子の一生』は中島哲也監督によって映画化され5月に公開される。主役を演じた中谷美紀は原作を読んで、「松子を演じるために女優を続けてきたのかもしれない」と言ったという。リップサービスかもしれないけれども、このひと言で単純な僕は中谷美紀への興味がぐっと増してしまった。

小説についてはぐんぐん引き込まれる面白さはあるものの、あまりに救いがなく、また痛々しく、読まなければ良かったと思う人も中にはいるのではという気がするのだけれども、映画のほうは劇場予告を観る限りではコミカルで楽しそうな仕上がりになってそうなので、安心して観れるような気がする。何はともあれ、結構楽しみである。

ところで物語の後半で、松子はその食事のほとんどをコンビニ弁当やジャンクフードに頼るようになる。そしてどんどん酒量が増えていって、ぶくぶくと太っていく。これはとてもリアルな感じがした。自転車で走ったり、きちんと自炊ができるということは、ある程度健全な証拠なのかもしれない。

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