湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

2016年という年

2016年12月31日 | 日常生活






 昨日は早い時間に今年最後のラン。10kmちょい。富士山こそ見えなかったけれど、朝の空気感が抜群に気持ち良かった。









 そして今日は同じく早い時間に今年最後の自転車。10km弱。やたら難しさばかり感じる今シーズンのMTB。
 でも今朝は少し難しめの課題2つをそれぞれ一発でクリア。まだまだ硬い体の動きが少し滑らかになっていってくれればいいのだが。


 年齢の割には元気で颯爽としていた母が急に疲れやすくなり、またちょっとした体の不調を訴え始めたのが去年の暮のことだった。1月から検査をはじめ、短い余命を告げられたのが2月上旬。その告げられた余命よりちょうど2か月頑張り、9月16日に母は他界した。

 告げられた余命が短かったこともあり、なるべく長く一緒にいたいと思った。なので緊急性のある症状がでて入院が必要なとき以外は、家で過ごしてもらった。それまではなんとかできていた身のまわりのことができなくなった最後の2か月は、仕事を休ませてもらい母の側にいた。そして自宅で看取った。

 自分なりにやれることはやったつもりでいたけれど、今になってみるといっぱいいっぱいの毎日で、母の辛さを理解したり、しっかり気持ちに寄りそうことはできていなかったと思う。ずっと側にいたからこそ、今でも毎日ふとしたときにいろんな情景を思い出す。そうした情景を、そしてそこから感じる気持ちを忘れたくないなと思っている。


 日々短い時間でもなるべく体は動かすようにしていた。最後2週間くらいは30分ほどの近場の山ランもできなくなったけれど、翌日からすぐに走りはじめた。それなりに時間を必要とする自転車には通勤やちょっとした買い物以外ではほとんど乗れなかった。



 翌日9月17日の6時頃。景色はまったく期待していなかったけれど、まさかいつもすぐそこにある海までも見ることができないとは思わなかった。雲とも靄とも区別のつかない白いものが海を隠していると思ったら、視界の右のほうに富士山の頭がひょっこりと浮かんでいるのに気付いた。その無調和で無均整な風景が妙に心に残った。少し心配していた体力の劣化は、不思議なことに思ったほどではなかった。



 多分10月中旬。久々またがったLeMond。懐かしい感触。細いタイヤでの下りを恐れていたりもしたけれど、風を切る感じがやたら気持ち良く、これからはロードも乗るぞと思ったけれど結局ロードでの出動はこの1回のみだった。



 山の中はほんとうにいつも楽しい。同じ場所なのに陽射しの入り方ひとつで景色がいつも変わる。



 雪の3日後くらい。まだ残っている雪だるまに驚いた。



 いつものコースのやはりはじめての景色。ちょっとした切り取り方でこんなふうに見えるとは。



 優しい柔らかい光。



 雨続きのあとの朝ラン。久々のロード。いつになったら稲村ケ崎の歩道の工事が終わるのだろう?元々山のなかのほうが好きだけれども、工事のせいでずっと同じ歩道を七里ヶ浜まで走り続けられなくなって余計に海岸線を走ることに魅力を感じなくなってしまった。



 少しずつ色づき、







 最盛期は少なくとも去年よりかはだいぶきれいに色づいた。



 澄んだ秋空。



 茶屋がなくなったあとのあたらしい風景。



 ぼちぼちMTBにも。MTBに限らず自転車乗る機会が少なかったから、体の動きがとにかく堅い。





 久々仲間とも。なかなか時間的に落ち着かなかったりもするのですが、突然のお誘いにもかかわらずお付き合い頂きありがとうございました。







 山を降りてからはがっつり。

















 その他少しずつ、いや最後の写真に関しては少しずつではなく結構な頻度になってしまっているのだけれども・・・
 こういったものを心置きなく食べれらるようにやはりしっかり体動かさないと駄目だなと思う。

 今年は結局一度も県外に出ていない。ほんとうに近場ばかり。こうしてたくさんの写真を載せるとそんなふうに感じないかもしれないけれど、頻度はもちろん少ない。

 2016年が終わるにあたって思うこと。いろいろまだ落ち着かず、ついつい自分のことばかりになってしまいがちなのだけれども、多くの人から受けた親切を忘れてはいけないなとあらためて思っている。親戚をはじめ、今年はたくさんの人にお世話になり、またいろいろな人の優しさが心に沁みた。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。