悠々茶房ブログ

名古屋市東区にある中国茶カフェ・語学教室のブログ!教室イベントの記事、中国茶の記事、中国・アジア各国の文化も紹介します♪

生活習慣の相違発見<12>

2013年08月28日 11時17分21秒 | 文化・生活習慣

今回は中国語スタッフの梁講師に、日本と中国の生活習慣で異なる点について尋ねてみました。

Q:日本と中国の生活習慣で異なる点で気づいたことは?

梁:これは生活習慣ではないかもしれませんが、気になることがありますのでお話させていただきたいと思います。中国人は会話をするときにはストレートに質問をし、それに答える人は話をしても良いときはストレートに返事をし、都合が悪いときは答えたくないことを相手に伝えます。ところが日本人の友人どうしの会話を聞くと、質問する人は相手のことを配慮しながら婉曲的な表現で尋ね、答える人も都合の悪いときはあいまいな表現で返事をして、また尋ねた方はあいまいな返事でもそのままにしてしまうことがよくあります。中国人の私であれば、尋ねたことに対してストレートな返事がほしいと感じるのですが、そのあたりに大きな違いを感じてしまいます。ときどき日本人と会話すると、あいまいな返事が返ってきて、良いのか悪いのかさえわからない場合もあり、そんなときは困ってしまうのですが、日本人から聞いた話では中国人は何でもストレートに質問されて困ることがあると言っていましたので、お互いにその違いを認めることも大切かもしれませんね。

Q:ほかに気がついたことがあれば教えてください。

梁:中国人にとっては1日三度の食事は大切に考えられていますが、日本人のなかには忙しいからとか、ダイエットのためとかで食事を抜いてしまう人もいます。また、中国では食事は暖かい料理が好まれ、、また調理した料理が好まれるのですが、日本人のなかには冷たいおにぎりやサンドイッチなどで済ませてしまう人も多いのではないかと感じます。また、食事で思い出したのですが、中国人の場合は特にお客様を接待するときには食べきれないほどの量の料理をつくるのが当たり前で、その結果多くの食べ残しが出ることもあります。そのような習慣があるせいか、普段の食事でも結構食べ残しが出てもあまりそれを気にすることはありませんが、日本人の場合大学の食堂で見る限りはあまり食べ残しが多くないと感じています。日本人の場合は食べる前に「いただきます」食べた後は「ごちそうさま」という習慣もあり、そこには感謝の気持ちも表していると聞きました。でも中国には「いただきます」や「ごちそうさま」に相当する表現はありませんので、そんなところから違いが出ているのかもしれませんね。


私の夏休み思い出(戎 陽)

2013年08月18日 10時10分01秒 | 現中国語講師

今回は中国語スタッフの戎講師に、子供の頃の夏休みの思い出について尋ねてみました。

Q:小学校の頃、夏休みはどのように過ごしましたか?

戎:我が家は両親が共働きでしたので、夏休みといっても一人家で過ごすことが多かったです。小さい頃はよく家でママごとのようなことをしていましたが、夏休みになると子供向けのテレビ番組で「西遊記」などを放映していましたので、その時間はとても楽しみでした。あとは祖父母の家に出かけて過ごすこともありましたが、庭に桃の木があったので、その木に登って枝をゆすり、桃の実を落としては食べるのが日課のようになっていました。あと、夏は何と言ってもスイカの季節ですから、祖母にそれを切って貰って食べながら、父が小さい頃どのように過ごしたかなどの昔話を聞いたりして過ごしました。

Q:両親が共働きだと家族旅行などはできなかったですね。

戎:はい、中国の会社では日本の会社のようにお盆休みに一斉に休むこともないので、両親の休みの日も合わず、家族旅行などはできませんでした。でも父の会社ではいつも夏になると社員旅行があったので、私も父に連れられて旅行に参加したりしたこともありました。旅行の行き先は桂林であったり青島であったり、中国の有名な観光地でしたので景色を堪能することもできましたが、私にとっての一番の楽しみは他の家族の子供たちと仲良くなって遊びまわることでした。一方、母は病院で働いていましたのでなかなか長期間の休みをとることは難しく、夏休みになるともっぱら私が母の病院に出向き、母に叱られながらも病院で遊んだり、走り回ったりして迷惑をかけた思い出があります。

Q:宿題は順調にできましたか?

戎:毎年宿題は思うように進めることができず、特に私は作文が苦手であったのでいつも遅くまで残してしまいました。祖母は若い頃国語の教師をしていましたので、遊びまわる私を呼び止めては作文の指導をうけた記憶が残っています。祖母の家で過ごす日々には作文の題材になるような出来事も多かったので、桃やスイカを食べたこと、庭の草刈を手伝ったこと、祖母に買ってもらった扇子で遊んだことなどを題材に、うまく文章に表すコツを祖母に教えられながら、期限ぎりぎりで作文を完成させました。また、練習帳もいつも後回しにしてしまうことが多く、10日、20日、30日の登校日には宿題の進捗状況チェックがあるため、いつもその前日頃になると夜遅くまで練習帳を仕上げる作業で忙しい日々をおくらなければなりませんでした。

Q:中学校のときの夏休みの思い出は?

戎:私は数学も苦手であったので母から塾に通うように言われ、中学になると夏休みの生活は一層忙しくなりました。そのようななかで、私はオーケストラの部活動をしていて、週に2、3回練習する日があったので、仲の良い友達と一緒に演奏をするのが息抜きの楽しい時間になりました。そして、夏休みの終わりには街の公園で演奏会を開き、日ごろの練習の成果を披露しましたが、それを聞きに集まった人たちからは「おひねり」をいただくことが多かったので、皆のおこづかいになりました。おこづかいで仲間とともに食事をしたことも楽しかったのですが、お金をいただくと皆さんからほめられたような気分にもなり、自分たちの自信にもつながり満足度ややりがいも随分増えて励みになりました。

 

 


「レバラン」の料理と風習

2013年08月08日 11時52分17秒 | インドネシア語講師

今回はインドネシア語講師のルフィさんに、インドネシアでは一年のなかで最大の行事ともいわれている「レバラン」の過ごし方について尋ねてみました。

Q:「レバラン」とはどんな日ですか?

ルフィ:イスラムでは30日間の断食期間「ラマダン」がありますが、断食が明けると「レバラン」となります。ちなみに2013年の「ラマダン」は7月9日から始まり、「レバラン」は8月8日・9日が祝日ですが、西暦では毎年日にちが移動することになります。インドネシアではイスラム暦のお正月よりも「レバラン」の日を盛大にお祝いするのが特徴で、インドネシアでは「レバラン」はちょうど日本のお正月やお盆に相当するような特別な日になります。

Q:「レバラン」の日にはどんなことが行われますか?

ルフィ:「レバラン」の少し前になると都会で働いている人もほとんどが田舎に帰省するため列車やバスなどは大混雑となりますが、それでも一年で最も大切な日を故郷で過ごしたいと思うのです。断食期間最終日の夜中にはあちこちで花火が打ち上げられ、太鼓をたたく音や拡声器から流れる「アッラー・アクバル(アラーは偉大なり)」という祈りの言葉などで街中は賑やかになります。そして夜が明けるとモスクや特設の広場に家族揃って出かけ、お祈りの儀式に参加します。それが終わると、家族や親戚そして街行く見知らぬ人々にも「日ごろの過ちをお許しください」という意味の挨拶の言葉を掛け合うのが儀式になっています。

Q:「レバラン」の日にはどんなものを食べますか?

ルフィ:「レバラン」の日に欠かすことのできない料理に「クトウパット」があります。(下の写真を参照ください。)この「クトウパット」は、もち米を椰子の葉でくるんだ粽のようなものですが、ココナッツカレーやクリームシチューに浸して食べるのが一般的です。

Q:そのほか「レバラン」のときの風習は何かありますか?

ルフィ:インドネシアでは「レバラン」の頃になると、日ごろお世話になった人に品物を贈るちょうど日本のお歳暮やお中元のような風習がありますが、通常は下の写真のようにラッピングすることが多いようです。

また、「レバラン」のときには親戚同士が挨拶に廻ったりしますが、このとき子供にはお年玉をあげるのが風習になっています。「レバラン」はイスラム暦のお正月に当たる日ではありませんが、風習として日本のお正月に最も近いのは、インドネシアでは「レバラン」であると言ってもよいと思います。