定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

老化と記憶力

2018-01-24 19:56:53 | 老人、友人
歳を取るに従い記憶力が低下することから何人も逃げることは出来ない。

その記憶力低下の程度と老人性痴呆症との関連がどの程度なのかは知らないが、単なる記憶力低下は、その程度が相当ひどくても、そく痴呆症と断定することは出来ないと言われている。

しかし記憶力の低下が度を越していると、それはそれで他人が見たらやはり痴呆症と何ら違いがないのかもしれない。



近頃衝撃的な事例に遭遇した。

私には子供の頃からの友人が何人か居る。
そのうちの二人をAとBとしよう。

Aは昨年の5月に亡くなり、私は通夜と葬儀に参列した。
勿論Bを含む友人達にも連絡し、彼らも通夜なり葬儀に参列した。

半年ほどたったある日、友人達と飯を食べていた時、何かの拍子にBが真剣な眼差しで「Aが死んだってな?」と聞いてきた。
その場の仲間の話題と飛び離れた問い合わせであったのと同時に、Bの驚いて問い合わせている顔つきに少々気圧された感じになり、「俺が貴公を忘れて連絡しなかったのかな?」とBに問い返した。
「知らなかったよ!」と少々私を非難する口調の返事に、「そんなはずはないと思うが・・・・・・」と答えるのが精一杯だった。
確かにこのところの記憶力の低下を自認していることもあり、「そうだったのか・・・・・・・」などと少々小声で返答する羽目になった。

そのあと、BにAの死を連絡忘れしたことを何度か自問し、「Bに連絡しないわけはないよな・・・・」と相当に悩んだ。

それから数週間ほど経った昨年の終わりの頃。
やはり友人達との食事会で、Bが突然「Aは5月に死んだよな。通夜にも葬儀にも行った。」と突然話しだした。
びっくりした。これほどびっくりしたことは久し振りだった。

歳だから忘れることはあるだろう。その機会も多くなるだろう。
しかしだ、親友の死もその葬儀に出席したことも忘れて、知らせて貰っていなかったと詰問する。唖然とする以外に言葉も出ない。

歳を取るとはこういうことなのか。
そうだとしたら、ちょっと悲しいことではあるとこの所この出来事を反芻している。







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