定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

歳だから・・・・・・・

2015-08-31 07:48:08 | 老人、友人
歳だから無理はしない。


しかし歳だからという理由だけで自分の行動に蓋をしない。


塩梅が難しい。
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疎開

2015-08-30 08:27:50 | Weblog
終戦記念日の前後に、70周年の今年の様な節目の年のその時には特に、戦争の悲惨な体験や、暗い思い出が数多く語られる。

その話題の一つに「疎開」という言葉がある。

終戦時国民学校一年生だった。浜松市の郊外の当時としては田舎に住んでいたから、回りに数は多くなかったが「疎開」してきた子供達がいた。


大戦末期、都市部では戦災被害から逃れるように、子供たちを、親戚などを頼って田舎に引っ越させる親が多く居た。「縁故疎開」というものだった。

しかし田舎に縁故者のいない家庭ではそれが出来なかった。

時の政府は戦意高揚の妨げになるという事から、当初、例え子供たちとはいえ戦火を逃れるために引っ越すことに対して消極的であったが、アメリカ軍の空襲による被害が増加してきたという現実から、子供たちの疎開を認容するようになった。
田舎に縁故がなく「疎開」できない学童を集団で「田舎」に移住させる政策を採用するようになった。それが「集団学童疎開」だった。
学校ごと、先生も一緒に田舎に引っ越すことがあった。

学童の疎開に伴う色々な逸話についてはすでに数多く語られており、「疎開」という言葉も一般名詞になって、何の違和感もなく使っていたし、今でも思い出話の中では盛んに使う。


しかしよく考えてみると「疎開」という言葉はそれを表す漢字とともに、意味がよくわからない。
殆どの人はその本当の意味を分からずに、しかしごく身近な言葉として、多用しているのではなかろうか。

恥ずかしながら、「戦後70年」たってその言葉の語源を調べてみた。



軍事用語として始まった言葉だそうだ。
軍隊を配置する時、密集体制を取ると敵の一撃により甚大な被害が及ぶと予想した場合、それを広く薄く展開することにより、被害を最小限に食い止めることが出来る。「疎開」とは、軍団を配置する場合、「疎」に「展開」する戦術を言うそうだ。




一極集中がますますひどくなり、「地方創生」などという役所まで作り出して、なんとか都市部密集型社会を是正しようとしている現在の日本には、「疎開」がいま必要という事だ。




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略称

2015-08-27 08:49:00 | 英語
朝起き抜けに、まだ半覚醒の状態で、「ISSに半年間滞在」という見出しを眺めて、又良からぬ風来坊が、無謀にもイスラム国などという無頼の集団に加わったのか、とボーっとした頭で考えた。

記事を読み始めたら、それは「IS」ではなく「ISS]だと気が付いた。

International Space Station(ISS)がIslamic State(IS)と紛らわしいのは、働き始めていない起き抜けの頭でなくてもそうだろう。

普段アルファベットに慣れ親しんでいない老人にとっては、英語の略称は実に紛らわしい。
「国際宇宙ステーション」や「イスラム国」と表記してほしいと考えている人は少なくないと思う。
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遠くを見る

2015-08-26 09:43:22 | Weblog


昨秋、両眼白内障の手術を受けた。

目の前に、特に左目の前には常に薄いカーテンが垂れ下がっている感じがして、無意識に眼鏡を拭いていることも多かった。

術後は、よく言われているように、目の前が晴れ渡ったような感じで、視界がすっきり、明るくもなった。


遠い目で、景色を眺めまわすことも可能になった。

その上鋭い目で、物事を見透かすことが出来れば尚いいのだが、それは眼のせいではなく脳の問題でもあるので難しいことだ。
それにこの歳になって、あまり鋭い目つきをすることは得策ではなさそうだ。
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自転車を買った。

2015-08-23 08:05:27 | Weblog


自転車を買った。
街乗りとか近郷へのサイクリングに適したクロスバイクというジャンルの自転車だそうだ。その種の自転車では初心者向けの低価格帯に位置づけされているものだと、自転車屋は言っていた。



数か月前に大動脈解離という厄介な病を患った。

心臓から体内に血液を供給する大動脈が裂けてしまう病気だそうだ。
幸いにして大動脈の解離した場所が良かったので、手術をせずに保存療法で現在に至っている。

血圧を極端に下げるなどの療法を続けているのだが、それに加えて適度な運動を医師から勧められている。
過度な荷重を掛けずに、身体を動かす方法として、散歩とか、水中歩行等もいいようであるが、小生の過去の経験からすると、その様な単純な運動は長続きしそうにない。

目先の景色が変わり、出来れば新鮮な空気も吸えることが出来るサイクリングはどうだろうか、と医師に聞いた答えは、息切れしない程度ならいいのではないか、というものだった。


通り掛かりの自転車屋で格好のいい自転車を見かけ、店のおやじと話しているうちに買ってしまったのがこれ。
小生の体形に合わせサイズを選んでもらい、初期調整をしてもらい、さらに乗り降りの方法からパンクの修理に至るまでの講習を受け、数日前に受け取った。


今まで乗っていたママチャリとかミニサイズの自転車と違い、背が高い。特に身体に合わせてもらったサドル高さは、やっとつま先が地面につく程度で、それがサイクリング時のペダル漕ぎの最適位置だと言われても、やはり高い。
それに適した乗り降りをしてくださいと言われたが、この歳でスムースに乗りこなせるのか、少々心配だ。

脚の短い古日本人の体形を引き継いでいる小生にとっては、さっそうと乗りこなすのはちょっと無理かもしれないが、病の予後ケアと考え出来るだけサイクリングを心がけよう。

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中国の景気がいよいよあやしい。

2015-08-22 15:29:53 | Weblog
昨日のNY株式市場では、平均株価が530ドル余も下落し、20年近くぶりの大きな下落幅だったようだ。
このところの中国株式市場の不調が引き金になり、中国経済の先行き、しいてはそれに引きずられていくだろう世界経済の雲行きを不安視した結果だろう。


NY市場に先立った昨日の中国株式市場は大幅安で、7月の安値に戻してしまった。

今年に入り急騰していた中国株は、7月に入ると中国経済の不調を漠然と気取り始めたか、急落して、投資家の肝を冷やした。
中国の株式市場は、他国の株式市場とは異なり、個人投資家が主役だそうだ。これまでの株価上昇を当たり前だと考えていた投資家が、この下落に驚愕し、結果民心が動揺して、国内の政情にまで影響が出るかもしれないと恐れた中国当局は、なりふり構わない株式市場へのテコ入れに動いた。

株式の「自主売買停止」という名の下の強制取引停止、「悪質な空売り禁止」という名の下の株式自由売買の禁止、当局と裏腹の金融機関による「買入れ出動」という名の下の政府資金の株式市場への投下などなど、株式市場では本来禁じ手となっている手段をもってして、株式価格の下落を食い止めようとしたようだ。
これはもう株式の自由市場という構図ではなく、当局による希望的な空想画にすぎなくなってしまっている。

一時的には当局の「必死な努力」により、株式市場は息を吹き返し始めたかのようにも見えたが、今週の下落を見れば、その努力も「市場」という大きなエネルギーの塊にはむなしい努力だったようだ。
そもそも株式市場という、景気を漠然と、しかし適格に反映する雲のような存在に対して、人間が計算して計画した意向などは無力に等しい。どれだけコンピュータが高度に発達して、膨大な計算を瞬時に行えるようになった現在でも、人間の出来る予測などは、株式市場のような人間活動全てを反映している空気の流れの如き動きに対しては、桁が違うほど無力ではないだろうか。



中国共産党政権はまだそれに気付いていないようだ。株式市場をコントロールしようとする努力、しいては中国の自由経済化した景気全般を、一塊の人間で運営する共産党政権が、計画的に管理監督するなどは絶対に不可能だ。

自由市場経済の欠陥を正そうとして、経済を含めてた国家の運営を科学的に進めようとした「共産主義・社会主義」を基本とした国家運営は失敗だったという貴重な教訓を見たのはつい先年のことだ。

中国は、その教訓を賢く学び、政治と経済を分離し、経済は自由市場を基本とし、政治だけ共産党一党独裁とという新しいレジームを生み出し、相当な成功をおさめつつあるように見えた。

しかしここにきて、経済がバブル化、その弊害が国民の生活に影を落とし始めた。
それは中国共産党に能力がなかったという事ではなく、以前に比較して数十倍、数百倍に膨れ上がった経済を、人為的に管理監督する事など不可能だという事を共産党政権が理解できなかっただけに過ぎない。

「経済は経済に任せろ」という原則を履行するためには、政治が強力に経済に介入せざるを得ない、一党独裁というレジームを放棄すべきなのだ。中国は何時それに気付くのか・・・・・・


共産党一党独裁という体制が自壊する方法があるのか?
無いようであれば、ハードランディングするより仕方あるまいが、それは考えただけでもぞっとすることだ。








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デジャブと嗅覚

2015-08-20 09:12:19 | Weblog
ここは確かに以前来たことがある。
この景色は何時か見た景色だ。

絶対に来たこともない場所や、見たこともない景色を、見覚えていると思える強烈な感覚は、誰にでもあることのようだ。何でデジャブなどという仏語など使うのだろう。既視感という立派な日本語があるのに・・・・・・
人はそれをそれほど奇妙だと思えるから、デジャブ等という遠い所の言葉で言うのかもしれない。


既視感の時間軸について考えたことがある。
見たことがあると感じた事がどのくらい昔の出来事だったか、という問題だ。
小生の場合、それらはそれほど昔のことでないことが多い。

昨日の事と思える場合や、せいぜい去年見た風景だと感じる程度の「昔」のことだ。


所が、あることがきっかけで、ふっと遠い昔のことを思い出すことがある。中学生の頃だったり、幼稚園の時の事だったりすることがある。
それもありもしなかったことを思い出すというのではなく、現実にあったことを思い出すというのだから、デジャブとは異なる。

それはほとんどの場合、何かほのかな匂いに誘そわれて起こる場合は多い。
これは視覚の問題ではなく、嗅覚の領域のことだ。

強烈な匂いに誘発されて起こる現象でない。ふっとした草の匂い、どこからか流れてくる夕餉の匂い、湿った空気の匂いなど在るか無しかの匂いに誘われて、頭の片隅から引っ張り出される記憶のようだ。

人間にとって、外界の情報を得る五感のなかで、嗅覚はそれほど大きな役割を担っていないと思われがちだが、ずっと遠い記憶を留めているという点で、嗅覚は第一の感覚ではないかと、ふと思う事がある。

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2015-08-17 09:46:29 | Weblog
現在でも一般的に、米国では米法は使われていない。

先人の漢字表記の創意には敬服する。
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入道雲

2015-08-15 16:27:53 | Weblog


「今年は例年をはるかに上回る暑さですね」。誰もが何十辺も口にした事だろう。


暑い。しかし今年は、暑い夏空につきものの入道雲を見く機会が少ない気がする。

歳とともに暑さに負け、外出する機会が減ったからとも思うが、いや、しかし部屋の窓から見える夏空に入道雲がモクモクと湧きあがっている風景が減ったことは間違いないと思う。

最高気温の記録は、全国的に数十年ぶりだとか、観測史上一番だとか報道され、日本列島が熱気に包まれていることは確かであろうが、その暑い空に昔ほど入道雲が現われないのは、どうした事か。
多分気象学的に説明はされているのだろうが、個人的にはなにか物足らない。いや淋しいといっていいほどだ。



子供の頃の夏休みを思い起こす時、最初に目に浮かんでくるのは、真っ青な夏空の地平線から湧き上がってくるような「入道雲」だ。

付近の川で水遊びをしていた時、虫網を肩に蝉取りに夢中になってふっと空を見上げた時、弁天島海水浴場で泳ぎ疲れて腹を空に向け
ぷかぷかと浮いている時に、真夏の陸上競技の練習中に飲んではいけないと言われていた水を口に含んで思わずゴクリと一口飲み下し顔を上げた瞬間、夏山登山で、汗がシャツを背中に貼り付ける急坂の途中で、稜線の向うに、いつでも入道雲があったような気がする。

湧き上がっては形を変えていく入道雲は、ずっと見続けても見飽きなかった。
水蒸気の塊だ、などとの説明では納得できないほどの、質感とボリュームがあった。


少年期の活力あふれていた自分を反映していたのかもしれない。




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星の王子様

2015-08-13 13:13:21 | Weblog
地球上での生命の誕生の物語ほど不思議に満ちたロマンはないだろう。


宇宙の塵が積もり積もって太陽の周りを回る地球が出来て数億年後、まだ混とんとしていた地球に「生命」が生まれた。


物質がぶつかり合い、もみ合っている間に偶然有機物ができ、その有機物のスープの中で、また偶然に偶然が重なり、有機物がお互いに反応し合い、自家増殖する能力を獲得し、しかも進化する「生き物の素」が生まれた。


オパーリンが唱え、その後多くの学者に支持され続けてきた地球上の「生命の誕生の物語」である。

我々は、太古の昔、地球上のアクタのような混沌から偶然が重なって生まれてきたと考えれば、それはそれでロマンに満ちている。
しかしこの「化学的進化論」が近年揺らいできたそうだ。

どのような計算からそうなるのか、確率論的には、この地球上に自家増殖し進化する「生命」が誕生する「確率」は、精巧・精密な時計を小ネジ部品のレベルまでバラバラに分解し、その部品を袋に入れて振り回している間にまた元の立派な時計に組み立てられ直されるほどの、考えられないレベルだという。

「奇跡」を何十回も何百回も連続して起こさなくては生まれない生命の誕生が、偶然この地球上で起きたと考えるのは、我々人類のおごりに満ちたうぬぼれそのものではないのか、という反省とともに先の「化学的進化論」に基づいた生命の誕生のストーリーは、近年その輝きを失いつつあるようだ。


近年地球上に落ちてくる隕石に、有機物の付着が見つかり、厳密な検査の結果でも、それは地球由来ではなく、どこか宇宙から到来したものであるという発見があいつでいる。またまだ始まったばかりではあるが、ロケットによる宇宙探査の研究成果の一つとして、同様な発見があいつでいるそうな。まだ完全に「生物」の痕跡が見つかったという事実はないにしろ、「生物の痕跡」が隕石に残存している可能性が高いという状況証拠は増えているようだ。

宇宙空間は、極低温で始終宇宙線にさらされていて、生物なり生物の芽胞が存在出来る空間ではないというのが今までの常識であった。しかしどうも「生物の素」は想像以上に頑強で、宇宙という過酷な環境にも十分耐え、宇宙空間のいたるところに浮遊している可能性があるという風に考えられるようになってきた。

また隕石が地球に落下する際の、摩擦熱による何千度という高温や、何万気圧というとてつもなり高圧にも、隕石の内部に隠れ住んでいる生物の芽胞は生き延びる頑強さを備えているという状況証拠も、近年証明されつつある。



ほぼゼロに近い確率でしか起こりえない生命誕生が、偶然地球で起きたと考えるより、無数に近いほどの星のどこかでその偶然が起きて、それが宇宙にばらまかれたと考える方が、生命の誕生という物語にとっては合理的だ。(パンスペルミア)
小生はこの説を支持する。



宇宙は「生命の素」に満ち溢れていて、あちこちに浮遊している。
その一つが、偶然にも・幸運にも原始地球に落ちてきて、その環境があっていたのか大繁栄して、人間というとてつもない存在まで生み出してしまった。


今地球上に「生きている」木も、花も、多数の動物も、目に見えないほどの虫けらだった、はたまたばい菌だって、全てどこか遠い星からはるばるやってきた「生き物の芽」の子孫である。


星の王子様は居たのである。
月の兎もいるかもしれないし、彦星・織姫だっているに違いない。


地球上の生命は、人間も含めて、その命を終われば星になり宇宙に帰っていく。そして宇宙で「生命のかけら」となって、次にまたどこかの星で生き返るのではないか・・・・・・・・・・・・






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