何事かをするときには、目的と目標と手段がある。
何かを成し遂げたいとか、なんとしてもそれを達成したいと思うときは、必ず何らかの目的がある筈である。
その目的を達成するためには、一般的には出来るだけ具体的な目標を定めて、目的達成の目安にするだろう。
また目標を達成したり、目標に近づくためには、ひとはそのために具体的な手段を選び、それを日々実行することにする。
このプロセスは、よく会社などの組織では体系時に行われ、それが日々の実務になり、またその組織または組織の構成員の行動基準となったり、達成度を計ることによって成績を査定することになる。
個人でも同じである。
何かを成し遂げたいとの思いを実行するときには、意識しているかいないかは別にして、必ずこの行程を踏んでいるはずである。
例えば英語を上手くなろうと思うとき、それは目的になり、具体的にTOEIC800点を達成しようと言う様な目標を立てる。学校に通ったり、TV番組を見たり、本を読んだりして勉強する手段をとるだろう。
この場合800点を取ることは、あくまでも目標であり、本来の目的ではないはずであるが、それが会社から与えられた課題のようなものであると、いつの間にかそれが最終的な目標になり、800点を取るための要領をよくするなどの手段を探すようになる。「これで50点は間違いなくあがる」のような本を手に取ることになり、いつの間にか800点そのものが目的になり、英語を上手くなるという目的はどこかに消えてしまう。
対外的に800点が重要で、そのために勉強するということであればそれで良いだろうが、英語の実力をつけるという個人的な目的を達成することはいつの間にかどこかに行っていることがある。
同じような例がいろいろある。
例えば体力をつける目的のために、毎日何らかの運動をして、筋力や循環器を強化することを目標にすることがある。毎日10,000歩歩くことがその目標を達成するための手段としては実行しやすい手段の一つだろう。
万歩計を腰に朝夕徘徊する人を多く見るのは、このためだろう。早朝のウォーキングをする人あり、いや朝夕2回に分けたほうが良いとか、川沿いのコースがいいとか人それぞれの方法を考えて歩く、歩く。
そのうちに毎日10,000歩歩くことが完全な日課となり、それを繰り返すことが習慣になる。
これからが問題だ。いつか10.000歩歩くことが目標になり、目的になってしまい、本来の目標や目的が忘れ去られる。
すると何が起こるか?
なんとか10,000歩歩かなくてはいけないとの思いが強く、体調の悪いときでも強行するし、また逆に10,000歩が達成できないとなると、3日で30,000歩歩けば良いと自分自身に対する言い訳にする。
ひどいときには、歩幅を縮めてまでして、何とか10,000歩にしようとしたりする。
もうこうなると本来の目標も目的もまったく忘れ去られ、ただ10,000歩が目の前の人参になり、ただただ自分への言い訳、自己満足・自己妥協のためだけの世界になってしまう。
目的・目標を達成するための手段がいつの間にか目的・目標そのものになってしまう。
世の中にはこの類のことが沢山ある。何かを実行している個人や組織が、このわなに陥っている例が実に多い。
個人の場合は、その人の性格によることでもあろうし、結果は個人に帰るだけであるからそれ程の問題ではないし、時によっては微笑ましいことでもある。
しかしこれが組織の問題となると回りに大いに迷惑を掛ける結果になる事が多い。
しかしこの種の組織の勘違い、思い違いが世の中に多い事も事実である。
組織のトップのしっかりした考え方とリーダーシップが大切なのはこの点においてが多い。
何かを成し遂げたいとか、なんとしてもそれを達成したいと思うときは、必ず何らかの目的がある筈である。
その目的を達成するためには、一般的には出来るだけ具体的な目標を定めて、目的達成の目安にするだろう。
また目標を達成したり、目標に近づくためには、ひとはそのために具体的な手段を選び、それを日々実行することにする。
このプロセスは、よく会社などの組織では体系時に行われ、それが日々の実務になり、またその組織または組織の構成員の行動基準となったり、達成度を計ることによって成績を査定することになる。
個人でも同じである。
何かを成し遂げたいとの思いを実行するときには、意識しているかいないかは別にして、必ずこの行程を踏んでいるはずである。
例えば英語を上手くなろうと思うとき、それは目的になり、具体的にTOEIC800点を達成しようと言う様な目標を立てる。学校に通ったり、TV番組を見たり、本を読んだりして勉強する手段をとるだろう。
この場合800点を取ることは、あくまでも目標であり、本来の目的ではないはずであるが、それが会社から与えられた課題のようなものであると、いつの間にかそれが最終的な目標になり、800点を取るための要領をよくするなどの手段を探すようになる。「これで50点は間違いなくあがる」のような本を手に取ることになり、いつの間にか800点そのものが目的になり、英語を上手くなるという目的はどこかに消えてしまう。
対外的に800点が重要で、そのために勉強するということであればそれで良いだろうが、英語の実力をつけるという個人的な目的を達成することはいつの間にかどこかに行っていることがある。
同じような例がいろいろある。
例えば体力をつける目的のために、毎日何らかの運動をして、筋力や循環器を強化することを目標にすることがある。毎日10,000歩歩くことがその目標を達成するための手段としては実行しやすい手段の一つだろう。
万歩計を腰に朝夕徘徊する人を多く見るのは、このためだろう。早朝のウォーキングをする人あり、いや朝夕2回に分けたほうが良いとか、川沿いのコースがいいとか人それぞれの方法を考えて歩く、歩く。
そのうちに毎日10,000歩歩くことが完全な日課となり、それを繰り返すことが習慣になる。
これからが問題だ。いつか10.000歩歩くことが目標になり、目的になってしまい、本来の目標や目的が忘れ去られる。
すると何が起こるか?
なんとか10,000歩歩かなくてはいけないとの思いが強く、体調の悪いときでも強行するし、また逆に10,000歩が達成できないとなると、3日で30,000歩歩けば良いと自分自身に対する言い訳にする。
ひどいときには、歩幅を縮めてまでして、何とか10,000歩にしようとしたりする。
もうこうなると本来の目標も目的もまったく忘れ去られ、ただ10,000歩が目の前の人参になり、ただただ自分への言い訳、自己満足・自己妥協のためだけの世界になってしまう。
目的・目標を達成するための手段がいつの間にか目的・目標そのものになってしまう。
世の中にはこの類のことが沢山ある。何かを実行している個人や組織が、このわなに陥っている例が実に多い。
個人の場合は、その人の性格によることでもあろうし、結果は個人に帰るだけであるからそれ程の問題ではないし、時によっては微笑ましいことでもある。
しかしこれが組織の問題となると回りに大いに迷惑を掛ける結果になる事が多い。
しかしこの種の組織の勘違い、思い違いが世の中に多い事も事実である。
組織のトップのしっかりした考え方とリーダーシップが大切なのはこの点においてが多い。