この所連日、国会では、厚生労働省の用意した裁量労働者の労働時間のデータの真偽に対する議論が白熱化している。
どうも裁量労働制の適用範囲を拡大したい政府の意向を忖度した厚生労働省の役人が、手元のデータを捏ね繰り回して、裁量労働者の方が労働時間が短いという「事実」を作りあげたことが原因のようだが、今回は役人の上手の手が余りにも「雑」だったようだ。
そもそもなぜ政府は裁量労働制の適用範囲を拡大したいのか・・・・・・・
根本的問題は、日本の「労働生産性」の水準が先進国の中でも随分と低いポジションにあると言うことらしい。
ある国の労働生産性とは、その国の労働者一人当たりの生産性のことで、ザット言えば、「GDPを総労働時間」で割った値と言うことらしい。
日本人は勤勉で、夜遅くまで働き、時には休日まで会社に行き、世界一の働き者だと思っていたが、それがなぜ世界的には「生産性」が低いとされるのか?・・・・・・・・単純な疑問を持つ人が多いと思う。
しかし、現実問題として、昨年度のデータで見ただけでも、日本の労働生産性はOECD加盟国35カ国中の21位という位置であるし、最上位国のアイルランド、ルクセンブルクの1/2で、またアメリカの2/3にしかなっておらず、またそのポジションは過去から向上していない。
勿論その国の産業構造の差という最大の違いはあるにしろ、同じ産業を比較した場合でも、日本の値は低いという事実も見逃す訳にはいかない。
なぜ日本の労働生産性はこうまで低いのか。
安倍内閣が醜態をさらけ出した今でも裁量労働制の採用に固執する理由がここにあるようだ。なんとしても日本の労働生産性を改善し、先進国の中の位置をあげ、さらなる国際競争を有利にしたいという思惑からだろう。
まあ、日本経済の世界でのポジションを引き上げようとする努力は、評価すべきかもしれないが、その方法には問題がある。
なぜ日本の労働生産性は低いのだろうか。
いろいろ分析されて、その向上策も提起されているが、どうもその根本的要因に「日本的アプローチ」があるように思う。
「過剰なサービス」、「過剰な品質」に代表される日本の、というより日本人の「性格」からくる要因が大きいような気がする。
「クールジャパン」として外国人から賞賛されている「おもてなし」や、「日本品質」として日本製品の信頼性の高さの裏付けとなっている高品質は全て労働生産性を低下させる要因となる。
我々日本人が良かれと考え、長い期間を掛けて「向上」させてきた「サービスの質」や「製品の信頼性」などという努力そのものが「労働生産性」を押し下げるマイナス要因なのである。
単に裁量労働制の適用範囲を拡大して、物理的に労働時間を下げ、労働生産性をあげようとする試みは、単なる計算上のトリックに終わる可能性が高い。
労働生産性をどうしても高めたいと言うのであれば、我々日本人の特質から来ているサービスの質とか製品品質をどのようにするのかを根本的に議論していく必要があるだろう。
日本人の本質である「質の向上」に対する考え方の議論のような、日本人としてどうよ?という基本を考える必要がある。
世界における日本の労働性生産性をどうするべきかは、単なる計算上の問題ではなく、日本人として何が幸福かにまで考えを及ぼして、将来的共通認識のもと議論を勧めていく必要があると思うのだが・・・・・・・・
どうも裁量労働制の適用範囲を拡大したい政府の意向を忖度した厚生労働省の役人が、手元のデータを捏ね繰り回して、裁量労働者の方が労働時間が短いという「事実」を作りあげたことが原因のようだが、今回は役人の上手の手が余りにも「雑」だったようだ。
そもそもなぜ政府は裁量労働制の適用範囲を拡大したいのか・・・・・・・
根本的問題は、日本の「労働生産性」の水準が先進国の中でも随分と低いポジションにあると言うことらしい。
ある国の労働生産性とは、その国の労働者一人当たりの生産性のことで、ザット言えば、「GDPを総労働時間」で割った値と言うことらしい。
日本人は勤勉で、夜遅くまで働き、時には休日まで会社に行き、世界一の働き者だと思っていたが、それがなぜ世界的には「生産性」が低いとされるのか?・・・・・・・・単純な疑問を持つ人が多いと思う。
しかし、現実問題として、昨年度のデータで見ただけでも、日本の労働生産性はOECD加盟国35カ国中の21位という位置であるし、最上位国のアイルランド、ルクセンブルクの1/2で、またアメリカの2/3にしかなっておらず、またそのポジションは過去から向上していない。
勿論その国の産業構造の差という最大の違いはあるにしろ、同じ産業を比較した場合でも、日本の値は低いという事実も見逃す訳にはいかない。
なぜ日本の労働生産性はこうまで低いのか。
安倍内閣が醜態をさらけ出した今でも裁量労働制の採用に固執する理由がここにあるようだ。なんとしても日本の労働生産性を改善し、先進国の中の位置をあげ、さらなる国際競争を有利にしたいという思惑からだろう。
まあ、日本経済の世界でのポジションを引き上げようとする努力は、評価すべきかもしれないが、その方法には問題がある。
なぜ日本の労働生産性は低いのだろうか。
いろいろ分析されて、その向上策も提起されているが、どうもその根本的要因に「日本的アプローチ」があるように思う。
「過剰なサービス」、「過剰な品質」に代表される日本の、というより日本人の「性格」からくる要因が大きいような気がする。
「クールジャパン」として外国人から賞賛されている「おもてなし」や、「日本品質」として日本製品の信頼性の高さの裏付けとなっている高品質は全て労働生産性を低下させる要因となる。
我々日本人が良かれと考え、長い期間を掛けて「向上」させてきた「サービスの質」や「製品の信頼性」などという努力そのものが「労働生産性」を押し下げるマイナス要因なのである。
単に裁量労働制の適用範囲を拡大して、物理的に労働時間を下げ、労働生産性をあげようとする試みは、単なる計算上のトリックに終わる可能性が高い。
労働生産性をどうしても高めたいと言うのであれば、我々日本人の特質から来ているサービスの質とか製品品質をどのようにするのかを根本的に議論していく必要があるだろう。
日本人の本質である「質の向上」に対する考え方の議論のような、日本人としてどうよ?という基本を考える必要がある。
世界における日本の労働性生産性をどうするべきかは、単なる計算上の問題ではなく、日本人として何が幸福かにまで考えを及ぼして、将来的共通認識のもと議論を勧めていく必要があると思うのだが・・・・・・・・