後期高齢者になったのも、すでに2年前になってしまった。
朝ひげを剃る時、まじまじと自分の顔を鏡で見て、また風呂桶に浸かって胸から腕にかけての皺の多い、たるんだ皮膚を見て、確かにそこに77歳の自分を見つける。
街中で、ショーウインドウに映る前かがみによぼよぼと歩く姿も老人そのものだ。
外観的には十分に老人だと思うし、他人もそう観ていると思う。
しかし若い人には不思議なことかもしれないが、ふと自分は十分に「大人になっていないな」と思う事がある。
77歳のジジイになって、今さらそんなことを言うのは、自分でもおかしな話だと思うが、そうなのである。
自分自身でも、子供のころや若い頃には、ある年齢になれば自然に「大人」になっていると考えていたし、70歳を超えた老人は人生に達観した、一種の人生を超越した心境を持った存在になると思っていた。
しかし違うのである。
この年になって、はじめて気付くことであるが、人が「真の大人」になることは実に難しいことだと思う。
この年齢になるまでに、確かに家族を支え、社会的にもある程度の責任を果たして来て、「大人」としての責任と義務は一応果たしてきた実感はある。しかしそれが「大人」になったと言えることだったのか、どうか?
未だに、時々ふと何かに甘えている自分を見つける。
どのような事態にも正面から向き合い、その結果がいかなるものであろうとも、自分の責任としてそれを堂々と受け止める覚悟がない。どこかに逃げ道を見つけようとしている姑息な自分を見ることがある。七十余年も生きてきて、十分に経験を積んだはずの人生のはずだが、いまだにそんな人生に自信を持てない自分を見つけることがある。
精神的には、猿山のボスにも劣る存在だろう。
人生、あと数年。このままの状態だろう。残念ながら「真の大人」になりきれずに終わるだろう。
まあ、これも人生・・・・・・・・
朝ひげを剃る時、まじまじと自分の顔を鏡で見て、また風呂桶に浸かって胸から腕にかけての皺の多い、たるんだ皮膚を見て、確かにそこに77歳の自分を見つける。
街中で、ショーウインドウに映る前かがみによぼよぼと歩く姿も老人そのものだ。
外観的には十分に老人だと思うし、他人もそう観ていると思う。
しかし若い人には不思議なことかもしれないが、ふと自分は十分に「大人になっていないな」と思う事がある。
77歳のジジイになって、今さらそんなことを言うのは、自分でもおかしな話だと思うが、そうなのである。
自分自身でも、子供のころや若い頃には、ある年齢になれば自然に「大人」になっていると考えていたし、70歳を超えた老人は人生に達観した、一種の人生を超越した心境を持った存在になると思っていた。
しかし違うのである。
この年になって、はじめて気付くことであるが、人が「真の大人」になることは実に難しいことだと思う。
この年齢になるまでに、確かに家族を支え、社会的にもある程度の責任を果たして来て、「大人」としての責任と義務は一応果たしてきた実感はある。しかしそれが「大人」になったと言えることだったのか、どうか?
未だに、時々ふと何かに甘えている自分を見つける。
どのような事態にも正面から向き合い、その結果がいかなるものであろうとも、自分の責任としてそれを堂々と受け止める覚悟がない。どこかに逃げ道を見つけようとしている姑息な自分を見ることがある。七十余年も生きてきて、十分に経験を積んだはずの人生のはずだが、いまだにそんな人生に自信を持てない自分を見つけることがある。
精神的には、猿山のボスにも劣る存在だろう。
人生、あと数年。このままの状態だろう。残念ながら「真の大人」になりきれずに終わるだろう。
まあ、これも人生・・・・・・・・