定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

大人になる

2015-07-31 15:50:49 | 老人、友人
後期高齢者になったのも、すでに2年前になってしまった。

朝ひげを剃る時、まじまじと自分の顔を鏡で見て、また風呂桶に浸かって胸から腕にかけての皺の多い、たるんだ皮膚を見て、確かにそこに77歳の自分を見つける。

街中で、ショーウインドウに映る前かがみによぼよぼと歩く姿も老人そのものだ。

外観的には十分に老人だと思うし、他人もそう観ていると思う。


しかし若い人には不思議なことかもしれないが、ふと自分は十分に「大人になっていないな」と思う事がある。
77歳のジジイになって、今さらそんなことを言うのは、自分でもおかしな話だと思うが、そうなのである。
自分自身でも、子供のころや若い頃には、ある年齢になれば自然に「大人」になっていると考えていたし、70歳を超えた老人は人生に達観した、一種の人生を超越した心境を持った存在になると思っていた。

しかし違うのである。
この年になって、はじめて気付くことであるが、人が「真の大人」になることは実に難しいことだと思う。
この年齢になるまでに、確かに家族を支え、社会的にもある程度の責任を果たして来て、「大人」としての責任と義務は一応果たしてきた実感はある。しかしそれが「大人」になったと言えることだったのか、どうか?

未だに、時々ふと何かに甘えている自分を見つける。
どのような事態にも正面から向き合い、その結果がいかなるものであろうとも、自分の責任としてそれを堂々と受け止める覚悟がない。どこかに逃げ道を見つけようとしている姑息な自分を見ることがある。七十余年も生きてきて、十分に経験を積んだはずの人生のはずだが、いまだにそんな人生に自信を持てない自分を見つけることがある。

精神的には、猿山のボスにも劣る存在だろう。

人生、あと数年。このままの状態だろう。残念ながら「真の大人」になりきれずに終わるだろう。
まあ、これも人生・・・・・・・・










コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑い!

2015-07-29 10:26:39 | Weblog
全く暑い!
今日も朝から30度を超える暑さになったようだし、昨日の最高気温は36度に達したと言う。
36度と言えば、人は体温と同じではないかと言うだろうが、歳を取ってくると平熱は低下し、今では35度台になっているから、十分に体温を上回る温度だ。

出来るだけエアコンはつけないようにとは思うのだが、これではかなわない。老人は熱中症に掛かり易い、なんて言い訳がましい理由をつけてついついエアコンをつけっぱなしにする日が多い。

しかし我々の少年期、青年期にはエアコンなんぞはどこの家庭にもなかった。噴き出す汗を手拭いで拭いつつ、手が疲れるほど団扇を使って暑さをやり過ごしていた。熱帯夜なんぞの時は、全くやり切れなかった。網戸なんて物もなかったし、第一用心が悪いという事で雨戸をぴっちり閉めて、また蚊の来襲から身を守るため、蚊帳をつってその中で寝た。部屋には、また蚊帳の中はそれ以上に熱がこもり、じっとりとした空気が覆いかぶさってくるような感じの雰囲気の中で寝ていた。暑さで寝付くことがなかなかできず、横になった格好で団扇で何とか暑い澱んだ空気をかき混ぜるのだが、ふっと眠気で腕の力が抜け、団扇もろとも自分の手が顔に落ちてきて、はっとなって目が覚める。
そんなことを繰り返しながら、なんとなく寝苦しいながらも眠りにつくのが恒例だった。
顔に汗の粒を噴出しながらの寝顔はごく普通の光景だったと記憶している。
「夏痩せ」という言葉があるが、当時はごく当たり前の現象だった。こんな熱暑の中では食欲も落ち、体重が落ちるのは当然の結果だった。

今多くの人は言う。現在は地球温暖化で、当時(4,50年前)とは比較にならないほど気温が上がっているから、当時はそれで過ごせたのだと。
本当だろうか?「地球温暖化」という言葉が独り歩きして、なんでもそれのせいにしているのではないだろうか?
気象データを正確に検証しているのだろうか?
昔も暑い時は暑かったと思う。確かに各地で最高気温を更新したというニュースを聞くことが多い。しかしそれが今はエアコンを使わなくてはいけないほどの暑さで、昔は団扇でよかったというほどの差とは思えない。人間の勝手な言い訳の一つのようにも受け取れる。

「地球温暖化」が喧伝されて久しい。今では誰もがこれを真理のように掲げて、異常気象や天災をそれのせいにしている。果たしてそれでいいのだろうか?それが正しいのだろうか?

地球45億年の歴史の中では、地球全体が寒冷化してすべてが氷で覆い尽くされていた「全球凍結」という極寒冷化の時期もあった。温めに温まり、海水レベルが現在より数十メートル上昇していた「温暖化」の地球の歴史もあった。
それほどまでの極端な温暖化、寒冷化の気候変化でないにしろ、地球はその歴史スケールから見れば、ほとんど常に温暖化と寒冷化の変化の中に存在する。

地球の45億年の歴史スケールで考えた場合、その時間を1メートルの長さだと仮定すれば、この百年、数百年の時間は、とがらせた鉛筆で引いた線の幅にも満たない。そんな肉眼で認識出来ないほどの短時間の地球の温度変化を、人為的な物だと考えるのは、逆に人間の思い上がりにも思える。

人間の社会生活から発生する二酸化炭素が本当に地球温暖化の原因だろうか?
増えすぎた人間の、足るを知らない欲望にたいする無意識な後ろめたさからくる反省が、地球温暖化という一種のプロパガンダを生み出したのではないだろうか。

二酸化炭素に罪を着せるのではなく、人間の存在そのものを見つめる時ではないかな。
いま60億の人間がそのうちに100億になる。
地球上で穏やかに、のんびり暮らせていける人間の数は10億がいい所だろう。そこに軟着陸できる知恵と勇気を人間が持つことが出来るかどうか・・・・・・・・・・・・・


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分のブログがあることさえ忘れていた。

2015-07-28 12:59:20 | 老人、友人
自分のブログがあることさえ忘れていたよ。ふと思い出して開けてみたら最後の投稿が1年以上前。開けたついでに何となく投稿しようとしたら、IDやらパスワードを要求される始末。それを思い出すだけでも大変なほどご無沙汰していた次第。

再三中断して、再開してはすぐにまた止める・・・・・・そんなことを繰り返してきた常習犯だから、今回もいつまた止めることになるのやら。全然自信が持てない。

2週間ほど前に77歳になった。頭は以前からそれほど自信がなかったが、身体的にも、今年に入って3回も入院を繰り返すことがあり、こちらも自信を失いつつある。
入院以来体調管理をある程度気に掛けることになったが、それほど几帳面な性格でないので、それをノートに残すような真面目さはない。このブログをその一助に出来れば、なんていい気になっている。このブログを読む人には失礼であろうが、年寄りの勝手気侭な思い付きブログであるから、あまり気にしてここに寄り道しないようにして頂きたい。

先週の土曜日、例年の高校同窓会総会に出席した。毎年思うのだけれど、この最暑期に同窓会を設定した発起人は、全く敬老の意識に欠けている人たちだ。

医師から飲み食いに制限を掛けられているので、今年は二次会を失礼し、最寄りのバス停からバスを拾って帰った。殆どの同窓会出席者はタクシーなどを利用するのか、バス停には同窓会のパンフレットの入ったバッグをもった同窓生は見当たらなかった。夕方のせいか道路は渋滞しており、バスも時刻表通りには来ない。まあ急ぐこともないから、ゆったりとバス停の長椅子に座っていたところ、オレンジ色の同窓会バッグをもったおじいさんがやって来て、隣に座った。私のバッグをみるなり、「何回の卒業だね?わしは四十数回だよ。」と突然話しかけてきた。「九回です。」と答えながら、旧姓中学校の四十数回生というのはどの程の先輩になるのかと計算しようとしたけれど、どうも答えが出てこない。「私は昭和32年の卒業になりますが、あなたは何年の卒業でしょうか?」と尋ねた。「昭和12年だよ。」と即答。耳もいいし、いや私よりずっとよさそうだし、会話もしっかりしている。何歳になるのだろうか、咄嗟に暗算してみた。昭和12年は私の生まれより一年早い。旧制中学校は5年制だから、卒業時の年齢は17歳。私の生まれた年には18歳になっているのだから、いま77+18=95。えっ!この人は95歳の先輩だ!と心中びっくり。お元気なものだ。この暑いのにわざわざ同窓会に出席して、かつバス停まで歩いて、さらにバスで帰宅する95歳、と驚嘆した。

夕方の時間のためか、あいにくバスは大変混んでいた。しかし我々が乗車したとたんに、乗車口に近い席に座っていた2人がすっと立ち上がって、席を譲ってくれた。先輩はそれが当然慣れているのであろう、すぐに礼を言って座った。私は少々躊躇して、席を譲ってくれた人に「どうぞ、結構ですから」と座らずにいた所、例の老先輩が「君も十分歳なんだから座ったら」と声をかけてくれた。
「十分歳だから・・・・・・・」。私の脳裏に7という数字が2つ並んではっきり見えた。びっくりして、反射的に座ってしまった。
「77は十分に歳ですよね」と老先輩に話しかけるでもなく、また独り言にしては少し大きな声で、言い訳をする格好になったまま座っている自分がなんとも面はゆい感じだった。

あの時、突然脳裏に映った77という電光掲示板の様な数字は衝撃だった。
高層ビルを高速エレベーターで昇っているときに、階数を示すデジタル数字が目にもとまらぬ速さで増えていく。ふっと気が付いたら77階に達していた。この数字は幾つまであるのだろうか?出来れば手動でもいいからゆったりとのぼっていくエレベーターに乗り換えたいものだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする