定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

おすんばあ

2017-04-18 09:32:10 | 老人、友人
先日「reticent」と「bashful」の意味の違いを調べていた時に、突然「おすんばあ」と言う言葉が閃いた。

「閃いた」という表現が正しく適切なことだ。

なんの予告もなく、「bashfulは、恥ずかしがり屋のことだよなー」などと考えていた頭のどこからともなく「おすんばあ」という言葉が湧き出てきて、飛び上がるほど驚いた。

突然湧き出てきた言葉「おすんばあ」が、どこから、どうしてやって来たのか自分でもわからず、「おすんばあ、おすんばあ」と口の中で反芻している内に、その言葉の響きが何となく懐かしく、遠い昔の映像が蘇ったような奇妙な感覚に捕らわれた。



ほんの小さな子供頃、隣近所の子供達と遊んでいて、恥ずかしがり屋の何事に対しても逃げ腰の子供に対して、「あの子は、おすんばあだ」などと悪口を言っていたことを想い出した。もう70年も使っていなかった言葉だ。

正に「bashful」の訳として適切な言葉だ。ただし日本中で遠州地方しか通用しないコテコテの遠州方言のようだ。


何十年も前のことを突然思い出したりするのは老人性痴呆症の兆候の一つだと聞いたことがある。
そうかもしれない・・・・・・・・・・・






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人生の選択

2017-04-10 09:01:06 | 老人、友人



80年も人生を歩んで来て、その客観的な期間の長さに自分自身で驚くことも多いが、身体の衰え等を通じて主観的に自分が相当な年寄りになったという感慨も強いこの頃だ。

この歳になったからという理由だけでもないだろうが、この頃ふと今まで歩いてきた人生を思い出すというのか、この歳まで過ごしてきた経路をなぞることが多くなった。

ああ、あんなことが有った。あの時ああすれば良かったとか、あの時違った選択をすればどのような異なった人生の経路を通ったのだろうか、などという取り留めのないことだ。

人生、人それぞれであると言うことは間違いのないことであるが、そのそれぞれの通ってきた道筋には、その人にとっての数え切れないほどの分岐点と選択が有ったはずだ。それは途方もない大きな選択であったかもしれないし、自身では気が付かないほどのごく小さい選択だったかもしれない。

しかしその分岐点での選択肢の差がごく小さいものであっても、時間の経過という要素を考慮した時、その後の二つの経路の隔たりはとてつもない大きな違いだったかもしれない。

また選択した現実の経路にも、その後幾つかの分岐点が有っただろうし、選択しなかった仮定の経路にも無数の分岐点は存在すたはずだ。
つまり現在に至る人生の経路は、無数に存在しただろう選択肢の一つにすぎないということが言える。

ある分岐点で選択しななかった道のたどり着いた先の景色がどんなものであったかは、誰でも一度は覗いてみたいと感じたことがあるだろう。
しかしその道は、現在に至る現実の道と大差ないごく平凡な道であったかもしれない。または金色に輝いた眩しいほどの道だったかもしれないが、逆に険しい進むのにも困難な険阻な道だったかもしれない、はたまた腐れかけた死臭のするドロドロの道だったかもしれない。

異なった道を選んだ仮定の自分が今どんなところを歩んでいるのか?
見えるか見えないほどの遠方を歩いているのか?微かに姿が見える程度の上空を飛んでいるかもしれない。
経路の途中で潰えて消え去っているかもしれない。
いや案外すぐ横を同じように年を取って歩いているかもしれない。


しかし現在こうやって自分を認識でき、自分の過去を振り返えられるということは、現在の自分がここに存在するからこそであると考えれば、他の道はなかったことの証明になっているのかもしれない。



















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菜種梅雨

2017-04-08 09:05:53 | 夕日/朝日


昨日から降り続いている雨は、今日も空全体を密度の濃い雲で覆い、しとしとという形容詞がぴったりに降り続いている。
後数日は降り続くと言う予報だ。

窓から見える高層のビルはほぼその上層階が霧で覆われている。
多分画面の左端にはアクトビルが在るはずであるが、その存在さえ消されてしまったように、濃いガスで覆われている。

菜種の花が咲くこの頃の長雨を菜種梅雨と言うのだろう。

気温はだいぶ上がってもう冬の寒さは無いが、こういう天気は多少温度が高くても、気分的に寒さを感じさせる。
残念なことではあるが、桜の満開はこの春の梅雨空のため、楽しむことも出来ない。

スッキリ晴れ上がった春空のもとの桜はきれいだろうが・・・・・・・・・・

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目眩

2017-04-02 16:57:24 | 老人、友人
昨日、久し振りに目眩に襲われた。

そう、相当久し振りという感じだ。
多分2,3年振りに味合う気持ち悪さだ。

朝起きたときから何となく頭がふらつく感じがしていた。ここまでの感覚は時々在るものだ。急に起き上がった時に襲われる立眩みの現象だ。
それはしばらくじっとしていれば自然に消滅して、後はケロッとしている。

しかしそのフラツキ感の奥の方で、なんとなく目が回るような、頭が回転するような嫌な感覚が続き、胃の周りに圧迫感がしてくると、それは例の目眩の前触れだ。


以前医者から回転性目眩といわれ、原因がはっきりしないといわれたときの前駆症状だ。
以前の経験から、多分そのままにしておけば、次に確実に嘔吐感がやって来て、トイレに駆け込むだろうと推測できる。
こうなったら横になるに限ると、ベッドに倒れこんだ。
横になれば気持ち悪さも多少緩和される。これも経験から学んだことだ。


そのまま、本格的に寝込んでしまい、昼飯も抜いて夕方に起きた時にはもうごく普通の状態になっていた。
自分でも不思議になるほど目眩の症状は消えていた。

今日も、例日のように起床して、普通の生活に戻っても何の異常もない。これも以前の経験と同じだ。
回転性目眩とは、一体どのような病気なのか・・・・・・・・・・・
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