此処数日とても寒い日が続いてる。
東京では数十年ぶりの寒さだと言うし、冬日が殆ど無い浜松でも零下3~4度という気温を記録したそうだ。
歳を取って年々寒さが身に沁みるようになったととはいえ、此処数年身近で結氷をみた記憶がないから暖冬だったのだろう。
屋外に置き忘れた容器等に溜まった水が凍ったりしたことを殆どみる事がなくなったということは、やはり温暖化の影響だろうと勝手に納得している矢先のこの寒さだ。
今日、用事で外出しなくてはいけない事になり、十分に厚着して、寒さに対する心の準備もしたつもりで、家を一歩出ると、12階の北側に面した外廊下に吹いている寒気極まりない烈風に度肝を抜かれた。
大した用事でもなかったのだから、こんな日に外出などせずに、部屋で死んだふりをしているのが正解だった。
ほんのエレベーターまでの数歩のことであったが、大いに後悔した。
用事を終え部屋に帰り、久し振りに味わった身に沁みる寒さに辟易としていたのだが、その実どうしてか、昔の子供頃の寒さの記憶が蘇ってきた。
昔子どの頃、水たまりの氷が石を投げても割れなかったとことや、家の前の畑一面に霜柱が高く立ち、それをサクサクと音を立てながら足で踏み潰した記憶がふっと蘇った。
確かに子供頃のほうが寒かった。温暖化は間違いない事実だろう。
こんな時インターネットは実に便利だ。
浜松地方の寒さの経年変化を調べてみた。
最低気温が零度を割った日を冬日と言うそうだ。ざっくり氷の張る日と思っていいだろう。
小生の子供頃、1945年(昭和20年)頃の冬日日数は年間約25日、1965年(昭和40年)頃はそれが20日位となり、近年は10日前後にまで減少したという。
正に温暖化といっても差支えないだろう。
「寒さが身に沁みるようになる」年寄りには歓迎すべき傾向だが、やはり世界的には問題だろう。
此処数日の猛烈な寒さは、このところの気候変化の中では例外と言うことだろう。
こんな極く短期的な現象を捉えて、温暖化は「嘘」だとうそぶくどこかの国の大統領に同調しないようにしなくては。
東京では数十年ぶりの寒さだと言うし、冬日が殆ど無い浜松でも零下3~4度という気温を記録したそうだ。
歳を取って年々寒さが身に沁みるようになったととはいえ、此処数年身近で結氷をみた記憶がないから暖冬だったのだろう。
屋外に置き忘れた容器等に溜まった水が凍ったりしたことを殆どみる事がなくなったということは、やはり温暖化の影響だろうと勝手に納得している矢先のこの寒さだ。
今日、用事で外出しなくてはいけない事になり、十分に厚着して、寒さに対する心の準備もしたつもりで、家を一歩出ると、12階の北側に面した外廊下に吹いている寒気極まりない烈風に度肝を抜かれた。
大した用事でもなかったのだから、こんな日に外出などせずに、部屋で死んだふりをしているのが正解だった。
ほんのエレベーターまでの数歩のことであったが、大いに後悔した。
用事を終え部屋に帰り、久し振りに味わった身に沁みる寒さに辟易としていたのだが、その実どうしてか、昔の子供頃の寒さの記憶が蘇ってきた。
昔子どの頃、水たまりの氷が石を投げても割れなかったとことや、家の前の畑一面に霜柱が高く立ち、それをサクサクと音を立てながら足で踏み潰した記憶がふっと蘇った。
確かに子供頃のほうが寒かった。温暖化は間違いない事実だろう。
こんな時インターネットは実に便利だ。
浜松地方の寒さの経年変化を調べてみた。
最低気温が零度を割った日を冬日と言うそうだ。ざっくり氷の張る日と思っていいだろう。
小生の子供頃、1945年(昭和20年)頃の冬日日数は年間約25日、1965年(昭和40年)頃はそれが20日位となり、近年は10日前後にまで減少したという。
正に温暖化といっても差支えないだろう。
「寒さが身に沁みるようになる」年寄りには歓迎すべき傾向だが、やはり世界的には問題だろう。
此処数日の猛烈な寒さは、このところの気候変化の中では例外と言うことだろう。
こんな極く短期的な現象を捉えて、温暖化は「嘘」だとうそぶくどこかの国の大統領に同調しないようにしなくては。