朝青龍が仮病を使い、地方巡業をさぼり、モンゴルに帰国してサッカーに興じていたとのニュースは、まことにもってお粗末極まりない相撲と言う国技の一面を表している。まあ相撲が国技である、などと言う認識が時代錯誤だと思うから、こんな問題はそれ程腹も立たないが、腹が立つのは「診断書」という物に対してだ。
政治家が都合悪くなると、診断書を隠れ蓑に入院してしまい、事のほとぼりが収まるのを待つのは、今に始まったことではない。
またどこかの自治体で診断書を使って、公務をさぼり続け、給料を横領し続けた公務員がいたことがニュースになったのもそれ程古い話ではない。
診断書を使ってのいんちきは枚挙に暇も無い。診断書とは何なんだ?
診断書は一般的に、心身が健康であると証明するためのほぼ公的な書類である場合が多い。
それが心身的に「不健康である」という証明書として使用され、それを悪用することにより、個人的な不都合からの一時的逃避の盾となっている。
免許証や健康保険証が本人の証明書として提示を求められる機会が近頃大変に増えている。会社の社員証や何かの会員証ではそれに変えられない。証明書はそれほど厳格に考えられている一方で、診断書が安易に発行され、それが一般の証明書以上に重要な事項の裏づけとして使用されている。
診断書の安易な不正発行やそれの悪用がもっと糾弾されてしかるべきではないだろうか。発行については医者の良心に頼るだけとか、それの容易な悪用が可能な現在のシステムはやはり考え直されて良いのではないだろうか。
政治家が都合悪くなると、診断書を隠れ蓑に入院してしまい、事のほとぼりが収まるのを待つのは、今に始まったことではない。
またどこかの自治体で診断書を使って、公務をさぼり続け、給料を横領し続けた公務員がいたことがニュースになったのもそれ程古い話ではない。
診断書を使ってのいんちきは枚挙に暇も無い。診断書とは何なんだ?
診断書は一般的に、心身が健康であると証明するためのほぼ公的な書類である場合が多い。
それが心身的に「不健康である」という証明書として使用され、それを悪用することにより、個人的な不都合からの一時的逃避の盾となっている。
免許証や健康保険証が本人の証明書として提示を求められる機会が近頃大変に増えている。会社の社員証や何かの会員証ではそれに変えられない。証明書はそれほど厳格に考えられている一方で、診断書が安易に発行され、それが一般の証明書以上に重要な事項の裏づけとして使用されている。
診断書の安易な不正発行やそれの悪用がもっと糾弾されてしかるべきではないだろうか。発行については医者の良心に頼るだけとか、それの容易な悪用が可能な現在のシステムはやはり考え直されて良いのではないだろうか。