夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 6月 2日(月)「全体主義と社会民主主義」

2014年06月02日 14時47分36秒 | 「政治・経済」
まず過去のツイートから
原発を停止する中で火力の燃料費が円安でかさむこと、これは大変だから再稼働というが、この円安自体が今の政府の経済政策によって誘導されたもの。ということは政府が円安をつくり原発再稼働にも利用しているということになる。
電力会社は内需関連企業ですし燃料は輸入に頼りますから円安でのデメリットが出ます。料金の値上げや経営の落ち込みという理由からの原発再稼働。結局は安倍内閣の経済政策の誤りとそこからの矛盾なわけです。一方では経済の復興を強調する。その利益は企業や投資家へ。国民目線で見ればおかしいのです
東電が破たんすれば福島への賠償よりも銀行などへの保障が優先される?だから破綻させてはならないと。しかし破たんさせないためには国民の犠牲が不可欠だと。東電という企業体の意味が国民にとってなんなのでしょ?これはすべての巨大企業に云えることなのです。バブル崩壊すれば国民が助ける仕組み。
もちろん電力というものは国民生活に不可欠なものですが、その電力をつくるには資本と同時に生産設備と労働力があればいいわけです。この労働力と生産設備を国民が持つことが重要です。昔は電力会社も国有だったはずです。国有は効率性が悪い?しかし今の民間東電は効率性が良いのでしょうか?
民間企業は効率性が良いと言われますが、最近はこの効率性を労働者の犠牲(低賃金化や雇用差別など)の上でないと保てなくなっている。民間活力も言われていたが今は公的に民間を支援(今のアベノミクス)しなければやっていけなくなっている。この民間企業を生き残すには社会民主主義しかない。
結局は民間企業も儲かるときは自由主義で危なくなったら全体主義でとはいかないわけです。もうこのような論理は国民の疲弊の増大の中では通用しないわけです。結局は社会での企業責任や役割を考えると、その利益を社会に還元しなければならない。そのシステム化が社会民主主義でしょう。
企業の利益をそのままにして貧困化する国民や年金生活を救済するために国家予算を使うだけ(福祉社会)では資本主義は成り立たなくなっています。企業は減税。企業の役割の明確化の中で利益は社会に還元する。その補助を国家予算が行う。このシステム化を急がないと資本主義は先細りです。
このシステム化の中ではじめて企業危機は国民全体での支援として自然に承認されるでしょう。
アベノミクスや改憲というのは企業利益を維持できなくなっている中での企業への支援を全体主義として行おうとするものではないでしょうか?それよりも社会民主主義というより高度な資本主義システムの方が長い目で見れば安定化するわけです。
国民の自由度を縛るような方向ではなくて、国民の自由度をさらに向上させる中に労働力の移動もスムーズになります。それは企業活動の自由度を増すことにもなるでしょう。一時的な矛盾(転職希望したときの賃金保障など)は国家が国民を救済する。その代り企業が持つ過剰資本(金を含めて)は社会へ還元
企業の自由度の拡大は、国民の自由度の拡大です。その国民の自由度がさらに企業の自由度を拡大する。この相互作用が必要です。これこそ封建制を否定した近代資本主義の理念の達成でしょう。発展性の中に資本主義自らが変化していく。ブラックな企業はなくなる(規制される)。一定の賃金で社会的な生活
昔のような子だくさん社会はもう来ないかもしれませんが、2,3人の子供を育てることは維持できるでしょう。この子育ての自由度が国民には必要なわけです。何も保育園だけではない。子供が病気なら父母どちらかが気兼ねなく休める自由度。企業は社会的責任で保育園をつくってもよいわけです。
女性労働力の必要性がまた言われ始めていますが、結果は結婚をとるか仕事をとるかの選択を昔からと同じように女性が突き付けるよ王な中に子育てという自由度は存在しないでしょう。少子化問題が解決しない。子供は社会のものというと大きな反発があるかもしれないですが、子供は社会のものなのです。
少子化の中で将来老人の年金を支えることができなくなると言われています。少子化問題も根本的には解決しないシステム。その中で自民党は公助を少なくして自助・共助を言う。年金で老人を支えられないから個人的あるいは家族親戚で支えろと。しかし少子化問題はこの家族親戚にも顕著にあるわけです。
公助として支えられないものを自助や共助で支えろということが何を意味しているか?公助でも支えきれないものを貧困化あるいは低下する生活者が自分の親の豊かな老後を支えられるわけがない。女性は仕事を辞めざるを得なくなるかもしれない。公助でしか高齢化・少子化問題は解決しないのです。
生活保護減額で就学援助減少か 対象外の子増える恐れ - 朝日新聞デジタル (ttp://www.asahi.com ) http://t.asahi.com/bn1e  子供の時から大人社会の矛盾に巻き込まれる子供たち。社会的遺伝子を断ち切らねばならない。
(以上ツイートから)

社会保障や福祉というとそれは社会主義だと言って自助や共助でという新自由主義がはやる。こういった人々から見れば社会民主主義といえば共産主義だとびっくりするでしょう。もしかしたら多くの国民も同じ意識を持つかもしれない。しかし共産主義に対する社会民主主義は資本主義社会の発展の中におけるある意味最高段階の資本主義なのです。上に書いたような資本主義の矛盾を改良しながら資本主義自体の改良を目指すわけです。
国民生活の安定や向上は資本主義の理念でもあり、経済の発展の中での法則性でもあるのです。
経済のグローバル化と言われ、多国籍化する巨大企業は国籍を持たなくなっていきますが、その中での競争が強調されます。しかしこういった多国籍企業化した企業も経済の発展の中でそこで生産される商品は必ず最終的には大衆消費財に価値移転をして消費をしなければならない。ということは国民がその消費を担うわけですから安定的な生活がなければならない。ところが競争のために逆に自国民を貧困化させながら国際社会での商品市場を支配しようとする。このグローバル化はよい例が中国で、日本の資本も入ってきて中国自体が発展していく。そのような意味でのグローバル化は世界を平均化していきますが、日本国内は貧困化が進むという矛盾に陥ります。グローバル化という世界の生活レベルの平均化自体はよいことなのですが、自国民もたとえば途上国と同じレベルに国民生活を引き下げるのは一つの矛盾でしょう。
企業による生産活動自体が消費矛盾から落ちてきます。それは過剰生産という形をとり、そして企業の資金自体が過剰になる。その豊富な過剰資金の逃げ場が金融市場となります。この金融市場の利益が企業利益の中において重いものとなっていく。擬制の企業利益が企業の業績となる。すると株高や金融市場の利益が目的化をされて今のアベノミクスのような超擬制経済が出来上がる。
国民生活には金は回らないで金は株や金融市場に流れる。
金融市場のバブル崩壊が起きればその企業を守ろために国家はあらゆる方策を立てて企業を守る。そこでもまた国民生活が犠牲になります。
こういった資本主義の発展の中に生じた矛盾を解決しない限り国民生活の安定はなく、同時に知れは企業の安定や資本主義自体の安定性が損なわれます。この中でこの矛盾を解決するには今の経済システムでは無理が生じます。桎梏となります。どうにかさらに発展させる中に矛盾解決を見なければならない。その新たな資本主義的な社会市捨てに社会民主主義もあるということです。

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