夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「4月30日という日」

2024年04月30日 08時06分19秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
昨日、お炬燵御片付けの儀が厳かに滞りなく行われました。
夕螺家恒例の儀式です。
今年の4月は暑い日が続きましたので例年より1週間ほど早く行われました。
こたつブトンをはいで炬燵のコードを抜いてテーブルに。
ホットカーペットや敷いていた敷物を剝ぎ、徹底的に掃除をします。
ホットカーペットは半日かけてダニ取り機能で退治。
気持ちがいいですなぁ。。。。。。
気持ち良い気分でスピーカーシステムを掃除したり。
昼寝をする場がなくなり淋しいのですが、冷炬燵でもさすがに暑いですからなぁ。

≪過去の記事≫

【2004年】
アスパラがおいしくなってきました。やっと国内産もたくさん出てきて細くてやわらかいものもあります。スーパーで見つけてあまりにもおいしそうなので買ってきました。
今夜は妻も息子も遅くなると言うので、娘と二人でどうやって食べようかと相談をしていたら、以前作ったアスパラのフライがおいしかったからまた食べたいと言うのでフライにしました。アスパラは、サラダでも油によく合います。フライも程よく油で香りが出ておいしいです。細いものですから娘と8本づつ食べてしまいました。
イチゴもおいしそうなので買ってきて、食後イチゴミルクのジュースにしてみました。
鉢植えのツヅジがそろそろ終わりかな?
花がたくさん咲いて楽しませてもらいました。

【2005年】
公園の新緑がきれいでした。
なんという木か?白い釣鐘状の花がたくさん咲いていました。ツツジもきれいです。一番いい季節ですね。
内田百閒の「ノラや」を読み始めました。
野良猫の子ノラを野良猫のように飼う。。。なんとなく百閒の人柄が見えます。それは猫の自由と言ったら大げさかもしれませんが、ある程度の距離を持って付き合おうとしたのでしょう。しかしノラは飼い猫同然で、それこそ猫可愛がり。その野良が恋に季節になったら出て行ったきり帰ってこない。百閒は泣いて暮らします。野良猫のように飼う。。。しかしノラ自身が野良猫のように生きてしまった。百閒は泣く。ここにこの随筆の面白みが出ています。

【2006年】
4月も終わりですなぁ。。。。
        汗ばむような陽気でした。
そろそろ初夏の服装かと思い、この前ユニクロに行ってきました。
娘のものも含めていろいろとたくさん買ってきました。1万円。。。助かります。
レジの女性がユニクロブランドを着ているときがありますが、値段の安いものでも着こなしですね。
僕が着ると安物に見える(笑)
どこの洋服売り場に行っても、洋服というのは一シーズン先で売られていますが、そのときのシーズンのものが欲しいときには困ります。今のシーズンのものがなかったり、あるにはあっても売れ残りのようにサイズや色が限られています。
僕のように一シーズン先などを考えないものには困ります。
有名ブランドの洋服なんて2シーズン先ですからなぁ。。。ハハハ

【2007年】
引用はしませんが、「ばらとおむつ」138ページから139ページの夏生さんとサクちゃんの会話はいろいろと感じるものがあります。147ページのメモに見るかんちゃんのサクちゃんへの思いも。。。。。
人を信じるというのは難しいものです。
僕も若い頃からいろいろとありましたが、その度に、人をだます人間よりだまされる人間のほうが尊いと思うようにしているのですが、悟ったようで心はそうは行きません。修行が足りませんなぁ。。。。
がんばれるだけほんとのことを言い続けてそれでもだめなときはいつかはわかってもらえる。。。。
いつもそうは思うのですが、信じきれるかといえばそうは行かない。
心は自分のものであるにもかかわらず、勝手に一人でふらふらと漂います。
今日は娘とドライブに行ってきました。
群馬県と新潟県の県境にも近い沼田にある弥勒寺に行き、その後金精峠を越えて日光に抜けました。
朝起きるまでどこに行こうかは決めていなかったのですが、なんとなく弥勒寺に行こうと。。。。それがまた不思議。。。
車のキーホルダーにつけてあった弥勒寺の交通安全のお守の紐が2ヶ月ほど前に急に切れたのですが、このことはすっかり忘れていました。身代わりのお守り。。。。今日弥勒寺に行き急に思い出してそのお守りを返して新しいものを買ったのですが、すっかり忘れていたものを急に思い立って弥勒寺に行ったというのはこのお守りに何かを助けられたということで、無意識の中で弥勒寺にお礼をしにいったのかもしれません。
僕は信じんというのはほとんどないのですが、心というのはこの意味でも不思議です。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
昨夜は鶏モツの香味炒め煮を作りました。いつもながら勝手なネーミングです(笑)
中華料理の香辛料に花椒(なんて読むんだろう)というものがあります。たぶん山椒の実を乾燥させたようなものだと思うのですが、実がはじけて花が咲いているように見えますので「花の山椒」ということだと思います。
スーパーの中華香辛料の売り場にあると思います。麻婆豆腐の辛味の一つは山椒です。その麻婆豆腐に使われる香辛料のようです。いろいろな使い方があります。
ということで、昨夜はこの花椒を使って鶏モツの香味炒め煮に使いました。
鶏モツは、砂肝と普通のもつを両方使います。いつも行くスーパーで鶏モツを買うとモツにつながるようにチ〇チンのような(どもども・・・)内臓もついてくるのでこれも使います。三種類の味や食感が楽しめます。
フライパンに油を敷いてニンニクと生姜のスライス、鷹の爪、そして花椒を入れて弱火で風味を出すように炒めます。ニンニクが狐色になったらこれらの香辛料を皿に取り除きます。十分に風味が出た油で鶏モツを炒めます。
これらの香辛料が鶏モツの臭さを消してくれます。
炒めたらみずと鶏がらスープの素を入れ(水はほんの少しです)砂糖・酒・味醂・醤油で味付けをし、水分がなくなるまで煮詰め、先ほど皿にとっていた香辛料を戻して最後に胡麻油をたらして混ぜたら出来上がりです。

我が家で時々作る豚カツに「柔らかジューシー豚カツ」というものがあります。
豚肉のしゃぶしゃぶ用肉をロースとバラを相互に重ねた豚カツなのですが、脂部分が均一にもなり程よくジューシーな豚カツになります。ということで勝手なネーミングで「柔らかジューシー豚カツ」と名付けていたのですが、昨夜テレビをみていたら同じ豚カツが紹介されていました。
「ミルフィーユ豚カツ」!!
なるほど。。。。。うううう、うまいネーミングですなぁ。。。。。
負けた。。。。。。ネーミングでは(笑)
「男の料理」のカテゴリーでは家庭料理を書いていますが、ネーミングする楽しさと言うものもあります。
料理の名前というのは重要でありまして、家族から「今夜は何?」と聞かれたときにおいしそうな料理名を言うだけで期待度が大きくなる(笑)
例えば春キャベツ洗っただけで味噌をつけて食べるだけなのですが、それを「春キャベツのシャキシャキサラダ和風味噌ダレ」とでも言えばおいしそうではないですか!(笑)
お店を出している方もこの料理のネーミングにはご苦労をされているのではないでしょうか。高級洋食店のメニューなんかはよくわからないけど。。。。(笑)
こういったことは、雑誌やスポーツ新聞の見出しにもいえますし、あらゆる商品の名前にもいえますね。そういえばブログ名でもひきつけられるブログ名もありますね。
表題で「勝手なネーミング」と書きましたが、まぁ、勝手は勝手なのですが、その勝手さにも個性やセンスが出ますね。。。。。。

「ブックマーク」にホームページ内の「旧日記」を貼り付けました。

夏生さんの「つれづれノート17」の456ページをを読んでいたら、ご自身の作品である「ミタカくんと私」を読み直しての感想を書いています。
(「ミタカくんと私」・・・・新潮文庫  すでに絶版かもしれません)
ミタカくんと並子(高校生ぐらいだったかな)の微妙な恋?を描いた物語です。
この作品は、僕にとっても思いの強い作品です。というのも、銀色夏生という詩人・作家と知ることになったきっかけがこの作品でした。正直言えばそうはうまい小説ではない。でも、この作品を読んだあと「ただものではない。。。。」という強い衝撃を受けました。この作家の作品との初対面で「ただものではない。。。。」という衝撃は、高校生の頃の夏目漱石「こころ」と芥川龍之介「蜜柑」という小品だけでした。そして最近では、先の銀色夏生「ミタカくんと私」、川上弘美「溺レる」、内田百「冥途」だけです。
「ミタカくんと私」は、ミタカくんと並子とののほほんとした恋を描きますが、まるで家族のようになっているミタカくんは並子のそばにいつもいる。だらだらととりとめのない話しをするだけ。でも、どこか信頼しあえる関係が深まっている。幼馴染という男女の恋に発展しないものということも感じますが、高校生ぐらいの男女の恋を越えた心のつながりがある。しばらく会わなくなっても並子が「どうしたのかな?」と思っているうちに現れるミタカ君。恋というものよりも愛かな。。。。。。
信頼関係に結ばれた夫婦の愛ともいえるような愛です。日常を過ごしている中にある愛。
先日、この「つれづれノート17」を含めて最近の作品を「愛三部作」と勝手に呼んでいますが、夏生さんの思う愛の関係がこのミタカくんと並子の関係に思い描くところがあるようですね。
日常をともに生きる幸せの中の愛。「ミタカくんと私」の続編に「ひょうたんから空」(同じく新潮文庫)がありますが、こちらは、家出した並子のパパさんといきなり帰ってきたパパさんを受け入れていくママさんとの夫婦がミタカくんと並子の恋と同時に描かれます。ただ、ひょうたんを育ててひょうたんを作るという日常。。。。。そこに心の交流が見えます。
一緒に暮らしたい、いつも一緒にいたいということ。。。。
夏生さんはそんな愛も探していますね。それは「愛が救う」

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞12面に「俳句 二つの四季」と題された記事があった。
このブログにも歳時記の季節の分類と実際の生活の中に見る季節感のずれを書いたと思うが、俳句界でもこの問題が大きいようである。俳句は日本の文化です。この文化を残すにも俳句が季語を入れることを約束としているわけですから季節や季節感は大切であり俳句を広めるにしてもずれをどうにかしないといけませんね。
日本列島は南北に長い島ですから地形的な指揮の差が大きくなります。東京では春ですが、東北や北海道では冬、沖縄では初夏とか。この地形的な季節のずれはどうすることもできないわけです。俳句は江戸文化だとすれば、その文化の中心地である東京の季節感が基本になることは避けられません。ですから歳時記は東京の季節の移り行きが暦の月としても示される。しかし、四季の暦での月の変化は歳時記の季節の分類自体を変えるものではないでしょう。歳時記辞退季節の分類はありますがそれを何月とまでは細分をしていません。
結局俳句の季語と現実の季節感の隔たりは、今何月下で決めることがナンセンスであるということでしょう。伝統的な歳時記が春は立春から立夏までとする中、新感覚派が春は3・4・5月と何月かで決めること自体がおかしなものになります。そもそも俳句は旧暦の時代に生まれたわけですから、新暦とほぼ1か月のづれがあるとすれば、新暦の2・3・4月が旧暦の3・4・5月となるわけでなおさらややこしくなります。
それでは春を春分から夏至までとしたらよいのか。。。。これもまた季節感がづれこむ。
結局は歳時記で四季により分類するという形がそぐわなくなっているのかもしれません。スイカや枝豆を秋とする、しかし暑い中スイカにかぶりついたりビールのうまい中枝豆をつまむことは一つの季節感の中にありそれを夏と決めつけないでその季節感が俳句に出るとした方が良いのかもしれません。何も俳句を四季に分類する必要もないし。
朝日新聞の記事の最後に、「歳時記の縛られすぎず、作者が感じた季節の情景が伝わる句が読みたい。」とありますが、歳時記上夏だからとか季節分類に反した季語を使うのをためらうことから離れることが大切なのかもしれません。

【2013年】ツイッターつぶやき
まずツイッターから
半世紀で家計支出はどう変化したか :投資十八番(FC2時代) http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1149.html … @GW07さんから
朝日新聞デジタル:消費支出、9年1カ月ぶりの高い伸び 3月家計調査 - 経済・マネー http://www.asahi.com/business/update/0430/TKY201304300047.html … 一定の消費支出の伸びはあるが、住宅や自動車を除くと若干マイナス。高級品の売り上げも伸びているようですが日常生活の必需品消費の拡大というよりバブル的?
実収入は下がり続けている。非消費支出は上がっている。だから可処分所得は下がり続けている。消費支出は上がっている。しかしその消費支出の中身を見れば、日用品などは下がり家や車そして高級品などが上がっている。結局バブル的で格差の拡大傾向ではないか?
実収入が仮に横ばいになったとして、消費税が3%アップしたら可処分所得は当然減る。当然日用品などの消費もその分落ちるでしょう。そこに2%の人為的な物価上昇があらっれる(政府・日銀の政策が実現したら)。さらに消費支出は減る。一方では株価上昇に依拠する不労所得は増えてバブル的消費増加。
この格差の増大に依拠する経済政策。

通信費の増加は、携帯電話の普及とともにずっと上がり続けているしスマートフォンが出てそのための通信費も上がっているでしょう。車や住宅はすでに売れ行きが増えていると報道されていた。また高級品の売り上げも報道されていたところである。
携帯電話のない頃は電話料金が1万を超すとびっくりしていたが今は家族それぞれが携帯を持っています。賃金が下がっている中で、どこに支出を増やすか(増やさざるを得ないか)という点でやはり携帯・スマホは必需品になってそこに支出を増やして他の支出は減らすという事でしょう。
住宅や大衆車はもしかしたら消費増税前の駆け込みかもしれません。消費税が上がる前にそして値上がりが始まる前にと。高級車や高級品はたしかにアベノミクスの結果でしょう。
その中で「ただ住宅や車など一時的な支出をのぞいた場合の消費支出の数字は前月より0・3%減。基調判断は「持ち直している」として前月からすえおいた。」(上記朝日新聞サイトから引用)と。
先にも書いたようにスマホ・携帯の使用量が増えればどこかを削るしかないわけでどうしても削れない支出を除けば食品や日用品・生活必需品そして娯楽などの支出を削るしかないでしょう。そうするとこの分野の消費支出はマイナスになると考え有られます。経済の立て直し景気判断は、まさにこの分野の個人消費が増えなければならないはずです。
非消費支出も伸び続けているようですが、さらにこの先消費増税が加わり非消費支出がさらに大きな負担になり、すでに電気料金が火力発電の燃料が増えてそれに加えて円安ですから値上げされます。この人的な円安がじわじわと様々な日用品や必需品の値上げ圧力となるでしょう。実際に値上げされるでしょうし同時に消費の落ち込みにより価格に転嫁できない産業や小売企業が出るでしょう。これは消費増税にも言える。そうすると何が起きるか?個人消費の落ち込みとそれが桎梏となった価格の落ち込み減少(デフレとされる)が増大するでしょう。
消費増税は、今回のような消費支出が伸びているとか、雇用者数が伸びているとかそして言うまでもなく株価の状態などからこれらを経済の明るさとして増税できる判断とされるでしょう。同時にかが上がれば株主配当も増える。不労所得の増大はその金は高級品を買ったり投資目的に使われるでしょう。結局は格差の拡大につながっていきます。
失業者の減少(雇用の増加)に明るさが見えてきたと報道されていましたし、今後女性の雇用を増やすと言われて女性の雇用も伸びているとも。しかし同時に政府は労働の規制緩和を準備して解雇規制の緩和などを進める。不安定雇用は増加をするでしょう。
こう見ると経済の明るさというものが本当に見えているのでしょうか?

【2014年】ツイッターつぶやき
今夜の小鉢です。
胸肉は酒を入れて茹でます。ほんとは蒸したほうがおいしいかな。。。。
よく冷ましたら食べやすい大きさに手で裂いておきます。皮はもったいないですが使いませんでした。
春菊を塩茹でして冷水に入れてアク抜きをして水をさっと絞ってから2センチほど追いきります。
小鉢に胸肉と春菊を盛り付けます。
胸肉にはマヨネーズを少々。その上に白菜のキムチを少し刻んでからたっぷりと乗せれば出来上がり。
マヨネーズとキムチもあいますね。辛さがまろやかになり甘さも。
春菊とキムチもあいます。

ニヒリズムとは。。。。。
不確実性の時代とか、既存のシステムの破壊とさまざまな視点で今の時代は否定されている。
しかし歴史は継続した時間の流れの上にあり過去の現実の上に立ってその過去を否定しながら進んでいる。
ですから本来過去を全否定したニヒリズムは間違いである。しかし歴史は発展性でもありますから過去の否定から発展した新たなものを作り上げていくわけです。それが発展性ですし歴史の事実はこの発展性の流れの中に存在します。
否定された新たなものがまた否定をされる。。。。
この否定の否定は過去に戻るということではなくてさらに発展するという意味においての否定の否定です。
ニヒリズムからどう抜け出すか、言い換えれば暗闇からどう抜け出すか、その中に光を見出そうとする。不確実性の時代、既存のシステムの破壊といったニヒリズムがはやったところから抜け出そうとする時代に入ってきました。これがニヒリズムからの脱却です。
しかしこの「ニヒリズムからの脱却」と「ニヒリズムの反動」とは違うでしょう。
ニヒリズムからの反動は、やはりニヒリズムではないでしょうか。ニヒリズムという土台の上に立った観念的な自意識的なニヒリズムからの反動。それは過去にしがみついて今がだめなら昔に返ればいいとか、わかりやすい感情に依拠したり期待に迷い込んだり。ここからは何も生まれないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
家族で信州にドライブに行ってきました。
中央道を走り諏訪からビーナスラインを走り上田に出て帰りは信越道でした。
桜が所々に残り里の風景は美しかったです。
標高の変化により桜も満開であったり散りはじめていたりだいぶ葉桜に。行為変化に富む桜を見ることができるのも山のドライブの楽しさです。
ロープウェイに乗ったり牧場に寄ったりきれいな湖を観たり。。。。。天気は快晴でした。
八ヶ岳には残雪が残り青い空を背景に美しい姿を見せてくれました。
山道をだいぶ降りたところに前山寺という古刹があります。一度は行ってみたいと思っていたお寺です。山門は残っていませんが、参道には太いケヤキの木が残っています。
六地蔵に迎えられて参道を進みました。そういえば山門があったあたりに猫が数匹いてのんびりと餌を食べていました。立札があって猫を捨てないでくださいと。おばちゃんがボランティアで捨てられた猫の面倒を見ているようでした。命を慈しむ仏と捨て猫。。。。。
階段を進むと左手に大きな枝垂桜がありました。受付のある小さな門をくぐると正面に三重塔があります。そして左手には茅葺の本堂が。小高い山のようなところにも桜が咲いていました。玄関前には小さな滝の水音が。池の横の桜の花が散って花筏に。
玄関を入ると目的の一つ『クルミおはぎ』が。
お部屋に案内されてはいるとハッとしました。整えられた庭の向こうに山や眼下には里の広がりが。きれいな借景のお庭でした。借景庭園というのは奈良や京都でもいくつか見たことがありますが、遠くまでの風景を庭として眺めるという点では山里も近代化されて風景自体が壊れてしまいます。しかしこのお寺の借景は見事でした。コンクリートの建物も見えませんし、山の木々もそのままに。
クルミおはぎはおいしかったです。おはぎは餅の部分はそのままに。下にクルミの。。。なんというのでしょうか?西洋料理でいえばソースのように。漬物もおいしかったです。野沢菜と、なんという実か聞いたのですが忘れましたが、杏子のような実をシソの葉で巻いて漬けたもの。おはぎを持ってきていただいた女性から黄色い桜のお話などお聞きしました。雇用の季節もきれいだそうです。
落ち着いたお寺で一目ぼれ。。。。
今度は一人でゆっくりと行ってみたいです。
そして本堂のご本尊ともゆっくりとお話をしたい。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
聯合ニュースによると、韓国文大統領が「ノーベル賞はトランプ氏に。われわれには平和を」と語ったそうです。
テレビニュースを見たら、支持者に囲まれたトランプさんが、支持者のノーベル賞はトランプという声援に満面の笑みを浮かべたトランプさんが映し出されていました。
最近ノーベル平和賞もその権威を失うような人への受賞になっています。
トランプさんは朝鮮半島の平和のためにアメリカの国益をを離れて二度と同じ民族が殺し合わないように、そしていかなる同盟国であろうとその利益のための詭弁から離れて平和を求めることによりノーベル賞も受賞できるでしょう。それは朝鮮半島に限らず世界の平和に寄与することとなるでしょう。
しかし、最も必要なのはその年のノーベル平和賞ではない。
平和は恒久的でなければならない。
その意味において文大統領と金委員長の本気度が試される。それが本気ならばトランプさんのノーベル賞は大きな力となるでしょう。
中国も含めてそれは極東の安全と領土問題などの平和的解決に向けての力となるでしょう。そして拉致被害者そしてその家族が中国でもいいから再開できるような道筋もできるでしょう。互いの国の中に存在するナショナリズムや差別そして排外主義全体を取り除かねばなりません。
日本政府がこのような流れに賛同するか?
今の日本政府は政治的にも内政はその信頼性をなくしています。外交ではどうか?アメリカの国益の中に日本が置かれています。一方における強い日本と、アメリカへの従属関係が相矛盾しながら国家主義が成長しています。その精神面においての矛盾が今の経済・政治全般に現れています。
ここから日本が脱皮しなければ、やはり朝鮮半島そして極東の平和は訪れないでしょう。

今夜はトンテキにしました。
たまには市販のタレを使ってみようと思いタレも買ってきました。
タレのパッケージに焼き方も書いてありましたので参考に。すると今まで聞いたことのない「グローブカット」という肉の切りからが。。。。。。
とんかつ用のロース肉は筋切りをしないと肉が丸まってしまいますが、グローブカットという便利な切り方もあるんですねぇ。
ロース肉の脂身の方を肉の横方向にいくつか切れ目を入れるものでした。
これなら熱い肉でも日のとおりが良くなりますなぁ。。。。。
アメリカなど分厚い大きな肉をバーベキューにしたりするときに使うカットなのでしょうか。
我が家は小さな肉でしたからなんとなくグローブカットもみすぼらしかったですが、いろいろな豚肉料理に使えそうです。トンカツもカリッと香ばしくなるかもしれない。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
今夜寝て、明日の朝起きれば同じ生活が待っている。。。。
明日になって何が変わるのか
そういえば消費税10%が待っている
負担増の健康保険料どうしよう
明日、同じ朝がまたやってくるだけなら御の字だ
良くなる希望や根拠はない
明日から悪くなるなら
夜が明けないでほしい
            (ツイッターより)

4月28日に書いた消費税の二面性の続きです。
28日には次のように書きました。
「企業は労働力を賃金で買っています。労働力を買っても消費税を納める仕組みがないのです。
賃金に消費税をかければ、たとえな400万円の賃金に10%の消費税をかければ440万円労働者の懐に一時的に入ります。年の労働力の売り上げ(賃金額)は1000万円以下ですから益税でもいいわけです。労働者は440万円消費をする。すると国に入る消費税も10%多くなるはずです。」
このような仕組みは賃金労働者に対するもので、年金や生活補で生活をしている方や様々な社会保障からの給付金には消費税の最終消費者としておかれています。
28日には
輸出企業への還付金について書きましたが、この還付金は企業ではなくて年金生活者や生活保護そして各給付金にに対して還付されるべきでしょう。
たとえば、年金支給の平均が月平均で10万円として、10%の消費税ならば1万円を還付する。この1万円の還付を最低限として国民年金6万円ならばその方にも1万円は還付する。生活保護や給付金も同じように還付額を算定する。
財源は、これまで政府も消費税は社会保障へと約束をしてきましたから消費税を財源とする。
企業は負担が大きくなりますから安易に消費増税を言わなくなるでしょうし、政治家も企業の代弁として消費増税はやりにくいでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
日本はなぜPCR検査を多くできないのか?
明らかになってきた実態の一つは日本は感染症に対してそして病院設備は後進国だということですね。
二つは明らかな重症化した患者とクラスター後追いだけの検査しかやっていなかったということですね。
ですから相談をしても意識的に検査はしなかったということ
すると日本は感染者数の把握をある程度までもしていなかったということになります。この中で緊急事態宣言が出された根拠となるものがないということです。
意識的に検査をしなかった中で、隠れ感染者が多いという認識はもちろん持つでしょう。ですから国民に対して自己責任を持たせるしかないことに。
怪しい症状があった時、陽性だか陰性だかわからないのに自宅待機という重圧を国民は押し付けられた。ハーハーゼーゼーするまではもちろん重症化するまでは検査もされずに自宅待機。さらに死ぬまで検査されずに。この予備軍がどのくらいいるかは把握できずに。
この実際の感染者数を把握できない中で毎日この日の感染者数が発表されて、一喜一憂させられる。クラスターでの濃密接触者やその他の重症者の陽性者数だけが発表される。もちろん毎日検査希望者は見捨てられながら。この実態の中で緊急事態宣言を解除するか?何を判断に?
ずっとこの間2週間後の結果がどう出るかでの判断がされてきたが、結果はさらに深刻な実態に。緊急事態宣言もさらに連休明けから2週間は無理なんです。
そしてこの連休での感染者数のが拡大となれば国民の自己責任的な行動が足りないとしてさらに規制の大きい法整備が。検査体制の国の責任は隠される
諸外国ではすでに国民への規制が緩やかになろうとしているが、日本はさらに厳しくしなければならない実態。
PCR検査の意識的な制限からの実施件数の少なさは、終息時期を今までのように国民が悪いとして2週間そしてまた2週間と長引かせていくでしょう。それは経済面での悪影響が長引く。
単純計算すれば、東京には抗体を持つ(陽性だった)人が60万人いるということ。そして検査もされずに。
PCR検査を増加させれば、陽性率は下がる。しかし検査数を増加させれば陽性者数自体は増加する。陽性者数が増加をして死亡者数が一定ならば死亡率は下がる。検査数を増やして感染拡大を止めれば死亡者数は下がる。さらに検査数を拡大すれば死亡率は下がる→死亡者数も下がる。

【2021年】ツイッターつぶやき
大阪市長松井さんが大阪のコロナ感染拡大の実態から感染拡大防止のために私権の制限が必要とした。
「政治の責任として私権制限についてタブー視することなく議論すべきだということを今、突きつけられている。有事の場合にどういう形で人の動きを抑制できるのかということを、私権制限を含めて議論すべきだ」
NHK
政治の責任はコロナ感染拡大防止そのものにある。これをおろそかにしているのが大阪をはじめとして日本の現状でしょう。この政治責任を果たさない中で国民には自粛を呼び掛けて感染拡大防止を国民の自己責任に仕立てた。国民のこの自己責任が果たせないなら私権制限を行うということで、政治家としては本末転倒である。
そしてこの私権制限を「有事」にまで結び付けて議論をするという提起になっています。
危険ですね。。。。私権制限が当たり前という論法は。

【2022年】ツイッターつぶやき
だいぶ久しぶりに月島に行ってきました。
行くたびに近代化されてガラっと風景が変わっています。昔の雰囲気がなくなりました。
それでももんじゃの味は変わりないかな。。。。。。
もちろん人気店というのはあり、行列ができる店もあり、すいている店もある。
今日は少し人気店へ。
好物の餅メンタイもんじゃを。
油をひいた鉄板にキャベツや餅や明太子をどんぶりから救って入れてへらで具材をかき混ぜるように炒める。
ある程度炒めたらドーナツ状に土手を作る。
その真ん中にスープ状の汁を静かに流し込み、少ししたら具材と汁を混ぜ合わせるように炒める。
少しとろみがついたら平らにして少し焦げる程度に焼いたら、すぷーぐらいの大きさのへらですくって食べます。
食べている間に焦げてくるのですが、そのおこげを鉄板からはがしながら食べるとまたおいしさが引き立つ。
美味しかったです。
食い終わったら少し歩いて佃島に。
ここも風景が変わってしまいました。
江戸時代からの出島のようなところで、漁村だったようです。幕末には砲台も作られたようです。
名物は佃煮。
夕飯は、肉が有名なお店で買ったチャーシューと佃煮で。

【2023年】ツイッターつぶやき
4月も終わりですなぁ。
来週6日は立夏です。
もう1年の3分に1が過ぎてしまった。
怒涛の如く1年という時間が流れていく。
ウウウ…
ゴールデンウイークだから出かけようと思のですが混雑を考えると家で昼寝しているのがいい。
公園の緑がきれいになってきました。
高い山の方へドライブに行きたい。

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