夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「9月13日という日」

2024年09月13日 08時09分17秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
(記事なし)

【2004年】
「センセイの鞄」
        文春文庫
        川上 弘美  著
ツキコさんとセンセイの再会から別れまでの物語です。
これといって大きな出来事が起きるわけでもなく、ツキコさんとセンセイはゆっくりした時間の中で酒を飲みゆったりと話をする。
この作品は、「月と電池」から最後の「センセイの鞄」まで、季節を感じるように17のお話が続きます。そのどのお話の中でも、ツキコさんとセンセイは酒を飲み話しをする。はじめは月刊誌で1年7ヶ月の間に連載されたもののようですが、その意味では、ツキコさんとセンセイのゆったりとした時間をそれぞれの物語として独立された作品として描いたようにも感じます。しかし、物語の発展はないようなのですが、ツキコさんとセンセイの心の動きが絶妙に表現されています。この心の動きこそがこの作品の物語性といえるのかも知れません。
教師と教え子という二人が一緒に飲める楽しさ、飲み友達としてもお互いを知り始めたことによる情、寂しさの中にお互いを求める人恋しさ、嫉妬、そして愛情に気付きます。この心の動きの変化からの愛情に若いツキコさんと老いたセンセイの性が表現されます。
ツキコさんは足を怪我をして先生を必要と思う。同時に先生が風邪を引いて寝込んだ姿につき古参は先生の寂しさを思う。この中に物悲しくも人の心の温かいものを求める人恋しさを必要な人を感じます。先生たちの集まる花見でツキコさんは同級生の男に誘われる。先生は元同僚女性教師に親しげである。ここにお互いの嫉妬があります。ツキコさんは、飄々としているセンセイに対して「期待は厳禁。。。」としながらもその愛情を高めていきます。それに応えないような先生も、ツキコさんを連れて元妻の墓に行く。先生は長く墓に手を合わせる。ここに先生の気持ちは整理されて愛情をツキコさんに向けることができ、不器用に「デートしませんか」とツキコさんを誘う。
この辺の心の動きが作品全体を暖かくさせ、ゆったりした時間を読者も共有できるのではないかと思います。
ツキコさんは、花見で再会した同級生に誘われる。ツキコさんもまんざらではない。もしかしたらツキコさんはその男と幸せな結婚生活ができたかもしれない。そんな迷いがツキコさんにもあったのかもしれない。しかしその男とのキスは握手と変わりないものだった。そんなツキコさんの気持ちにぐっと来ます。愛情を確かめ合った「正式なおつきあい」(先生の言葉)は3年で終わる。愛し合っている者同士の中で、死という別れほど悲しいものはない。どんなひどい別れでも生きていればいつの日か「元気だった?」と言葉を交わすことができる可能性はある。しかし死はこの可能性は0とする。先生の遺品である先生の鞄を開けたら中は空間だけだった。。。。悲しいです。ツキコさんは心の中で先生の声を聞こうとする。悲しいです。でも、ツキコさんの心の中、そして詠み終わった読者の心の中は暖かいです。
川上さんの作品は、まだ数冊しか読んでいませんが、今まで読んだ作品と「センセイの鞄」の違いというものを感じます。
「溺レる」をはじめ、男女間の愛を描いたものがありますが、ここでは生きた人間とした男ではなく、どこか生きているのか死んでいるのかわからないもやのかかった性の対象であるというような「男」しか出てこなかったような気がいます。「センセイの鞄」でのセンセイは生きていますね。
作品全体も不思議な世界という感じがあまりしません。ツキコさんはちゃんと生きていますし、センセイも生きている。
「キノコ狩 その2」の中でツキコさんは言う。
「でも、どのひとも、ほんとうに生きているひととして認識していなかった。生きて、自分と同じように雑多な時間を過ごしているのだとは、考えていなかった。」
ツキコさん自信、先生をきれいにたたんでしまっておこうという独占欲のような表現もありますし、「干潟ー夢」では幻想的な世界が広がります」センセイはこの世界を好み時々来るといいます。そして境の世界だといいます。現実の生きている世界と死の世界や無機質な世界の境かもしれない。そこでは、ツキコさんとセンセイは永遠に湧き出るカップ酒を飲み永遠の命があるのかもしれない。しかしツキコさんは、現実の世界に帰りたいという。3年の「正式なおつきあい」の時間の中に。川上さんの今までの作品は、この永遠ともいえる無機質な時間の中に人をおいたように感じる。このようなものを上のツキコさんの言葉として表現をしていると読むのは飛躍でしょうか?

風はもう秋風です。のんびりと釣りにでも行きたくなります。この季節、場所によっては大きなキスがつれます。数は出ないのですが、てんぷらにするとアジフライのようです。また、もうじきカレーも産卵時期になると思いますが、これも近場で釣れるということです。
これから買い物にでもと思いますが、今夜は何にしようかぁ?
クリームシチューというのもいいかな。メニューが決まるまでが大変です。

【2005年】
朝の天気予報を見ていたら、東京の最高気温34度!。。。。
たしかに暑かった。。。。
異常な残暑です。
車の乗ってエンジンをかけたらガソリンがほとんでなく給油警告ランプが付いていた。たしか旅行から帰ったときはだいぶ残っていたのに。。。。?まさかいくらガソリンが値上がりをしているとは言えガソリン泥棒ではないだろう(笑)
僕が満タンに入れると息子が乗る。ハハハ・・・・
それにしてもガソリンは高くなりました。130円ほどでしょうか。
アメリカのハリケーンの影響らしいですが、どうも素人にはわかりズらいです。日本で使う原油はほとんどアラブからだと思っていたのですが、なぜアメリカからの影響が強いのか?もちろん原油価格はアメリカの消費に大きくかかわるところがあると思うのですが、この世の中わからないことが多いものです。
これから寒くなってくるし、生活全般にかかわってきそうですね。

【2006年】
外食でした。
いつものラーメン屋さん。。。なんだかスープが甘くなったかな?
隣の若い男。。。酢豚の肉を残していた。ここの酢豚は好きなのだけど、味落ちたのかな?

【2007年】
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【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
排斥。。。。この言葉が適切かどうかはわからないが、例えば、今話題になっているコーランを焼くという行為や相手国の国旗を焼くといったものはこの排斥的行為といえるのではないか?
多くが怒りを抑えきれなかったり感情が前面に出たりした場合で、理性や論理が忘れ去られた行為。または扇動などにより大衆真理が偏ったものになってしまった場合もあるかもしれない。そして自分の考えを汚く強いだけの言葉で現す真理も。
あるいは昔からある村八分や今で言う「シカト」やイジメなどもこの排斥の部類に入るのだろうか?
感情や怒りで動く言動だからそこにコミュニケーションはできない。説明したところで強い汚い言葉が返ってくるだけで、こちらの言い分は聞く耳を持たない。
気をつけてみると、こういうものは日常の中にも入り込んでいるのではないか。
例えば政治家批判が「こんな総理。。。。」とか勇ましい言葉や印象付けの言葉で表現されたり、作家が書いた作品をただ「こんなつまらないものを書いて金を取るのか」とか。ひどい場合には「死ね!」とか。また、喫煙の害を言うにも「喫煙夫が妻を肺がんで殺している」というよう涙して論文を掲載するなども。これらは中身のない批判だったり、中身を正しいと信じ込ませる手段だったりもし、強いインパクトを植え込む手段だったりもするのではないか?
中身を知らないで同じような感情や怒りを持つ人々の言動をひき出す。同時にたくさんの人々の心に暗い影を落としていく。
こういった排斥の芽は、大きくなると排外主義へとなっていく。

僕は公園にたたずんでいた
初秋の木々はなお緑が濃かった
急に風が出てきて硬い緑の葉音
空には黒い雲が一つ
陽射しが途切れてまたさっと強い光が僕を照らす
見上げると天使の梯子が降りていた
僕はそのとき思ったんだ
君の上にも天使の梯子が下りてきているね
君はその梯子に乗ってどこかへ行くだろう
天使の導きという言う羽ばたき
僕の周りの濃い緑の葉音は
君の羽ばたきの風
僕はその風の中でまたたたずむ
たたずむ心はつながっているはず
僕がたたずみ君が羽ばたいても

【2011年】ツイッターつぶやき
先日のドライブの時もそうでしたが、もうカーナビに入れてあるCDのほとんどが古い曲ばかりになってきて聞き飽きたこともありラジオをつけることが多くなりました。
聴いていて改めてラジオというのは個性のあるメディアだということです。
昔から受験生がラジオの深夜放送を聴きながら勉強するというものがありましたが、仕事や何かをしながら時々耳を傾けるだけのラジオというのは良いものですね。そして深夜放送もそうでしたが、番組やパーソナリティーとリスナーの距離が近くてそこにコミュニケーションがあります。リクエストという特殊な番組編成はテレビにはないものです。この延長線にリスナーの一言の思いや意見が出る。そしてパーソナリティーの考えが。パーソナリティーもいろいろな分野の専門家(ミュージシャンであったりしますが)ではなくてリスナーとの距離が短いです。ここにあんがい思いや意見に素直さが出るのではないでしょうか。ここがラジオの一番の好さですね。
今、原発事故問題が色々なメディアでも言われていますが、ラジオは上にも書いたように専門家ではないパーソナリティーとリスナーとの会話になります。ドライブ中などいくつかの原発事故関連の話がラジオから流れてきましたが案外それがツイッターなどで出てくる意見があった。新聞やテレビではあまり読んだり見たりしない意見も。
ラジオもネット社会になり広告収入が少なくなっているといいますが、ぜひラジオの良さを生かして頑張ってほしいともいます。

【2012年】ツイッターつぶやき
20億円もの税金で尖閣諸島を国有化し、早くも船着き場をつくるなどという案も出ている。
日本は実効支配をいっそう強めるのが目的でしょうか。同時に国民に対しての意識付けも。
これに対して中国では反日の動きがさらに強まり、民間の活動にも支障が出始めているという。日本は尖閣諸島での日中間の問題はないとしているが、結果は両国の関係を悪化させるだけでしょう。一方竹島の韓国の実効支配には日韓間の問題であるとする。ここでも日韓の関係を悪化させるものが続いている。
領土問題の解決には、先日の朝日新聞に戦争による解決か互いの国同士の対話による相互に譲る形での(中ソ間の領土問題解決)解決しかないとありましたが、今の日中間の関係の悪化は悪いほうへと動いていることは間違いないと思います。
ただ尖閣諸島の国有化は、現在のような関係においては悪い作用しかしませんが、互いの友好が(たとえば経済関係など)深まり、その中から懸案である尖閣諸島問題を互いに譲る形で解決しようとなった時は、中国はもちろん日本も国有地として国の政策としてだけで交渉は早く進むでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
原発事故での健康への影響が心配されている。同時に健康への影響はないと言われもする。しかし現実に汚染された地域には住民の皆さんが帰れなくなったり除染が進んでいるわけで、これ自体を見ても健康への影響がないとは言えないでしょう。
汚染水問題では政府が新たに470億円を支出するという。東電だけではどうにもできなくなっているということでしょう。もちろんこれは東電を生き伸ばすためでもあるが。
今後の廃炉に向けても東電だけで行うなら電力料金が上がり、国が行うなら国民の税金が使われる。
汚染水問題はオリンピック選考委員会で安倍首相が汚染水は完全に遮断されているといったことから早急に汚染水問題を解決することが国際公約のようになっている。国内の問題だけではなくて国際的な問題になってくる。もちろん事故の収束も更に国際的に目が向けられるようになるでしょう。そして今なお故郷に戻れない人々の経済的精神的な苦しみ。
事故収束へ向けての作業員の労働問題(被曝)も無視できなくなってくるのではないでしょうか。
このように健康問題でも経済問題でも労働問題でもそして国際社会の中の問題としても「原発事故はたいした事故ではない」とはいかなくなっています。
この中で開き直りというものや経済の影響への懸念を優先させる動きもである。
これだけの事故の影響がありながら経済的な理由で再稼働を要望したり、汚染水問題もその経済リスクから考えられ始める。このような論理にもやはり原発事故はたいしたことではないといったところから出てくるのでしょうか?
原発事故での爆発や放射能漏れでの被曝で死んだ人はいないと以前から言われていますが、事故で直接何人死んだかも事故の大きさを示しますが、原発事故はこのような量的な事故のとらえ方ではなくて後の落ちまでの健康被害の恐れやそのための除染、経済的な損失と国民負担の増大等々を見れば原発事故は自動車などの事故にはない質の違う事故であることは間違いないでしょう。
やはり原発事故は過酷な事故なんです。
今後の事故への対処を100%完璧に行えるわけではない。ここから汚染水問題などでそうは金をかけなくてよいのではないかといった論理につなぐことにはならないはずです。
経済は成長戦略一本になっています。すべての資産はこの成長戦略に結び付けられる。ここから経済的な面での原発事故の収束にどのくらい資金が回るでしょうか?成長戦略の中からはそれは国民負担の増加でしか解決しない。成長戦略自体が国民負担を増加させながら。

【2014年】ツイッターつぶやき
「長引く不況からの脱却を目指す政治家が直面する困難を浮き彫りにしている。政治家が打ち出す施策といえば「デフレマインド」の払しょくや景気回復への期待といったように、実体経済よりも国民心理に働きかけるものが目立つ。」(「日本人は暗い将来像、楽観的見方は44カ国で最低」より引用)
安倍政権発足時から感じていたのが国民へ「期待」を持たせようという言動だった。もしかしたら第一次安倍内閣の時も同じだったのではないかと思う。
期待だけではなくて、日本の誇りだとかといったものもそうだと思う。
また中国や韓国との対立からの日本の危機や歴史認識を作ることからのある意味愛国心の呼びかけ。その総体が戦後レジームからの脱却だったのでしょう。
それに応えて一部の国民も愛国的な言動が増えていった。
しかし日本の国民全体から見れば、この引用したサイトにあるように生活や社会から受ける意識からは楽観的にはなれないという状態になっているのだろうと思います。
賃上げへの期待を国民は膨らませましたが結果は実質賃金からすれば低下をしていった状態。本来オリンピックが決まれば50年代のように国民の心も膨らむはずでしすが楽観的な心になれない。オリンピックが開かれようとしても経済成長の夢を持つ時代と今の景気の改善が見えない時代とでは違いが出ます。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターからの転載です。
「英研究チームが分析 貧困がもたらすいびつな独裁者待望論」 (日刊ゲンダイ)。。。貧すれば鈍すではなくて、鈍すれば貧すで、鈍とは学歴ではなくて、なぜ貧困になるかという社会の仕組みがわからないだけ。ここがわかれば民主主義を理解
貧困は自己責任ではありません。かといって労働者同士で搾取しあっているからでもありません。世代間格差や男女間格差、官民格差、学歴格差がなぜ生まれたのかの理解が大切という事です。より多くの国民をいがみ合わせながら貧困のままにおいておくことが必要な人々はどういう人か?ここを「知る」こと
様々な格差がある中で例えば男女間格差は男が必要以上の贅沢するほどの賃金を得ているから女がその分我慢をさせられるという事ではないことは明白でしょう。世代格差も同じです。年寄りが贅沢するから若い人が貧困になるのではない。ここをしっかり知るべき。そうすれば格差でのいがみ合いはなくなる。
男も年寄りも貧困な人は貧困なんです。男も低賃金で働いていますね。年寄りも現役時代は低賃金だった。団結して賃上げを行わなければならない。雇用形態格差は、正社員が悪いのではない。正社員を敵にしても何の解決も生まれない。同時に正社員は非正規をないがしろにしてはいけませんね。ブーメラン。
社会の常識は、政治・企業・学校・知識文化人・有名人そしてマスコミなどなどが作り上げていって一般庶民が拡散します。その常識を一度疑ってみることが必要です。しかし、例えば歴史の事実について疑うこと自体は必要ですがそれをなかったと一言で片づけて常識化拡散することは間違いですね。
社会の常識をある程度認めなければ生活できない面があるのですが、生活をしながら疑ってみることは必要でしょう。それをやらないと貧困の原因も格差の原因も知ることができません。そしてその自己責任で貧困や格差はあるという常識から抜け出せません。
この常識から抜け出すことが社会を発展させ経済も発展させることになるのです。常識に縛られている間は新しい知識も考え方も生まれませんから発展はないのです。がんじがらめの身動きのできない中でこの新しい発想や考え方は生まれませんしつぶされますね。結局社会を悪くしていきます。
資本主義的競争とはいっても新しい発想や考え方が縛られつぶされるなら競争に負けますね。今の政治や経済理論は逆立ちをしているのです。経済の好転はインフレをもたらす。だからインフレをつくれば経済の好転となる。というへんてこな論理で社会は動く。新たな発想や考え方が社会の中でつぶされる。
労働者の生活が労働の生産物であるすべての商品やサービスを消費する。この発想や考え方を新しく作り上げなければなりません。ならば貧困や格差はなくさなければならない。すべての国民が今の社会の生産力において平均的な生活を送らねばならない。すると鈍すれば貧す・貧すれば鈍すの悪循環はなくなる

【2018年】ツイッターつぶやき
bloombergに「人生100年時代、高齢女性にはいばらの道」という記事があった。
以前高齢者の熟年離婚が増えているという事が言われていた。また女性の生き方としての専業主婦についても多くが語られている。
しかし現実として、ずっと専業主婦であって離婚をしたときの老後の生活がどうなるか?
これが深刻な問題となっているようです。
65歳以降にある程度の収入がある仕事にはつくことが難しいらしい。人手不足が言われていますが、女性に限らず高齢者の就職は低賃金のアルバイトぐらいなのかもしれません。それもあればいいほうなのかもしれません。でもいつかは働けなくなり人生は100年に。
bloombergの記事はこの実態を書いているのでしょう。
女性の活躍などと安倍政権は言っていましたが、相変わらず女性が結婚をし出産をしても働き続けられる条件は改善されていません。また安倍政権は保守的な家庭を大事にしろという方向にあります。これは両親の介護や子育てを女性が背負い込むような実態を作り出します。
こういった今現在の社会がbloombergの記事の実態を産むのでしょう。
百歳まで生きられれば幸せですね。
特に女性は百歳まで生きられる可能性が高い。
しかし百歳まで生きる生活の実態は。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
あおり運転の事件が多くなっています。
このような行為は許されるものではありません。
しかし一つ気になるのがニュースなどでの動画を見ると、高速道路など右側車線でのトラブルが多いような気がしますがどうでしょう?
高速道路の右側車線は追い越し車線ですから、のんびりといつまでも走行しているのは道交法違反です。これを徹底させる必要があるでしょう。中には右側車線に入ってから左側車線の車に並行してずっと走っている車さえあります。これを意識的に行えばこれもあおり運転でしょう。
また右側車線をずっと走り続ければ左側車線からの追い抜き(これも道交法違反ですが)を誘発して事故の原因にもなるでしょう。
右側車線をのんびりと走り続けるマイペースも知らぬ間に後続のドライバーをイライラさせます。みんな我慢してくっついているしかないですね。
我慢できなくなれば左車線に移って前方の車に追いつてから右側車線にうつる。こうして結果は左側からの追い抜きに。これしかなくなります。こうでもしないと渋滞がはじまります。
この後続車のイライラやある時には怒りが爆発して一部のドライバーがあおりになってしまうことも考えられます。
あおり運転は悪いですが、後続を走っているドライバーがイライラしていることも確かです。
最高速度で走っているんだから何が悪い?追い抜くやつが違反だろ?
でも、追い抜きをする意思もないなら、それなら左側車線をキープすべきです。
先にも書いたようにあおり運転を擁護する考えではないですが。
(ツイッターより)

【2020年】ツイッターつぶやき
鶺鴒鳴(せきれいなく)9月12日頃(七十二候
セキレイは街中でも時々見る鳥ですね。
我が家の近くでも時々見かけますが、せわしなく歩き回ってます。
街中で見かけるセキレイはハクセキレイという仲間だそうですが。
ツバメが去って、このセキレイが町に戻ってくる季節なのでしょうか。
どんな鳴き声だったかと思い調べてみたら”小鳥”でした。。。。
セキレイは「恋教え鳥」という異名を持つそうで、イザイナギ・イザナミに男女の行いを教えたそうで、生涯仲睦まじくつがいでいるそうです。
夜風が冷たく感じられるようになりました。
タオルケットでは淋しいので夏掛け布団を出しました。

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナワクチン接種率80%のシンガポールで新規感染者数の増加に陥っているという。
規制の緩和を行ったようですが、80%の接種率でも抑え込みは無理だったようです。
日本は50%程度で、若い人の接種率もだいぶ低い。この中で日常生活の規制を緩和するようです。
11月ごろには若い人への接種が進むそうですがやはり新規感染者増を抑えることは難しいでしょう。
シンガポールの新規感染者の増加は未接種の人の感染かあるいはワクチン効果が減少する中での増加なのかで違いが出てくるでしょが、どちらにしてもワクチンだけに頼るコロナ対策は破綻しますね。

【2022年】ツイッターつぶやき
熊本のおいしそうなレンコンがありましたので買ってきました。
少し高かったのですが、辛子レンコン用でしょうか?
5ミリほどの厚さに輪切りにして、みじん切りの大葉、塩コショウ、卵の黄身、小麦粉を入れてよく練って挟みました。これを天婦羅にして醤油で食べました。揚げたてを塩でつまみ食いしたのですがこのほうがうまい。やはり揚げたてがいいですなぁ。
反省点。。。。。。
レンコンはもう少し薄いほうが良かったような。
醤油をかけるのではなく天つゆも作るべきだったか。
関東ではこれからがレンコンの旬のようです。
レンコンは、免疫力をあげて動脈硬化を防ぎ、肌や骨を丈夫にするようです。
ワクチンの後遺症予防にいいかな?

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
オートミールって、なんでしたっけ?
夢のお告げでこのオートミールクッキーを作る川上さん。
辛党の川上さんは甘いものは苦手のようですが、なぜクッキーを?
クッキーもあまり固いとうまくないのでしっとり視野した方がうまいですが、どうも柔らかすぎのよう。。。。。
「柔媚」
なんか、なまめかしいような柔らかいクッキー・・・・

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