夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 9月15日(月)「過去の労働と未来」

2014年09月15日 18時56分18秒 | 「思うこと」
ツイッターのまとめです。

敬老の日ですねぇ。。。。国や国民一人一人が今の高齢化社会を考えねばならない時代です。何もお祝いをする日だけではない。高齢者はこれまでの日本の富を築いてきた世代です。この過去の労働によって今の日本があります。考え方はそれぞれ違いますが総体としては憲法に基づく日本社会を作った。
この高齢者が作ってきた日本の中に今の若い方々が生きている。もちろん理想の国を作ってきたわけではない。不十分さは多くあります。しかし高齢者はそれ以前の日本の不十分さや誤りを正しながら今の日本を作った。その意味で発展をさせてきた。理想の国への一つの段階を作った。
明治政府は封建制を否定をして近代国家(資本主義)を作り上げた。戦後の政府はこの明治政府の富国強兵という資本主義を否定をして戦後の日本を作った。これは日本の発展段階だった。しかし戦後の日本にもさまざまな矛盾が噴き出てきた。ここからどうさらに発展させるのか?
どう発展させるのかが本来の戦後レジームからの脱却でしょう。その戦後レジームには長く続いた自民党政権がありますし、それに対する社会党・総評ブロックそして市民運動という対立する勢力があった(55年体制として)。そして今は自民党多数の政治勢力に。
社会党総評ブロックといわれた勢力が後退をする中で自民党の多数政権が政治を握ることになりましたが、その中での矛盾の広がりで民主党政権が誕生した。これもまた一つの戦後レジームからの脱却ととらえておくべきでしょう。
しかしその民主党も「自民党化」の中で自民党と同じ保守勢力として自民党政治からの戦後レジームからの脱却を果たせなかった。そして安倍政権となり戦後レジームからの脱却は自民党の昔帰りと思われるようなこれまで築いてきた発展段階にあった日本の否定となってしまった。
この今現在という日本に若い方が社会を高齢者から引き継いでしまった。同時に現実に今の社会のかじ取りを若い方もしているのです。敬老の日といっても年寄りを形式的に敬う必要はない。戦後日本の富と社会システムを築いてきた高齢者と若い方が一体となって日本の発展とはを考える必要
高齢化社会としてこの日本を築いてきた方がいい面でも悪い面でも長生きをしているわけですが、今の若い方がこれからの日本のかじ取りをしていくうえでどのような日本の富と社会システムを作り上げた老人と話し合うのかがですね。生活の実態や社会の中でどのように扱われているかから。
高齢者が問題視されるのもそこに高齢者の自己責任や逆に世代間格差などによって恵まれているといった議論からは何もう前れません。恵まれているとして年金制度を改悪すればそれは年老いた親の子である若い人への自己責任となります。社会全体の格差社会の中においてこの自己責任は?
子供の貧困問題も同じですが、高度に発達した社会は高齢化も含めて社会システムとして解決を確立しなければ成り立ちません。自助から公助です。同時にそれは勤労国民の平等さ(もちろんみんなが貧乏になるのも平等だではない)の問題です。この二つの面は一体的に発展すべきものです。
戦後日本の発展性はここにあったのです。道半ばでしたが。より発展させるには現在としては社会民主主義の方向で見るほかはないのです。
このままでは戦後日本の富や社会システム葉を食いつぶすことになるのではないでしょうか?。。。。。連続ツイート終わり

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