西やん中洲にいます。

西やん66歳、日々の出来事独り言

今の想い34 【あれから3年。そして10年・6】

2017-04-06 19:56:35 | 今の想い
こんばんわ。

今日は、夜の仕事です。連チャン2日目です。それも雨。視界が悪いです。

【あれから3年。そして10年・6】です。
ここからは、私の記憶に基づいて書きます。

と言うのは、この件は、後に裁判になりました。その際に、被告側の証人の私と、原告側のお母様の証言が食い違いました。その事は、また書きますが。
あくまでも、私の証言に基づいて書きます。

Mさんが姿を消した翌日の朝、Mさんから会社に連絡があり、私からMさんの自宅の固定電話に連絡しました。

Mさんは、元気のない声で、『すみません』を何度も繰り返すだけでした。

教育用から開発機に移行した際に、うまく動かなかったのは、Mさんの責任ではないし、その事は、当日も何度も伝えました。
突然、居なくなった事も、心配はしましたが、彼女を責めたり、叱ったりする気持ちは全くありませんでした。

ただ、居なくなる前が普通であっただけに、何故、突然居なくなったのか。その理由が分かりませんでした。

ただ、そのまま仕事をさせらる精神状態ではないと判断し、休ませることにしました。
そして、女性の一人暮しであり、唐津さんともう一人の女性社員に、Mさんの自宅に行ってもらいました。

私は、会社に問い合わせて、Mさんの実家に電話しました。電話に出たのはお母様。
私は、お母様に数日前からの出来事をお話しし、急に居なくなった事も伝えました。
そして、しばらくご実家で休ませて下さい。とお願いしました。

お母様は、『今朝、娘から電話がありました。いつもと、そんなに変わらない様子なので、大丈夫だと思います。これから準備して、娘のところに行きますので。』

とのお話しでした。

私は、本社に連絡し、(本当は総務に連絡しなければいけなかったのですが)電話に出た営業の部長に、状況を伝え、Mさんをしばらく休ませる事を伝えました。
ただ、直接、総務に伝えなかったため、営業の部長から先には伝わりませんでした。

私は、相変わらず、仕事場から動けない状態でした。

夕方、お母様が着かれた頃に、Mさんの自宅に連絡をしました。
Mさんに、お母様と実家に帰って、しばらく休むように伝えました。

お母様に変わってもらったのですが。
『娘の様子をみたら、やはり、連れて帰って、しばらく休ませた方がいいと思いました。おっしゃっていただいた様にさせていただきます。』
と言われました。

また、Mさんに換わってもらい、お母様と話をして、しばらく実家で休んでもらう事にしたことを伝えました。
すると、彼女が。
『しばらく。って、どれくらいですが?』
と言うので、とっさに私は。
『1週間くらい。』
と答えました。

彼女の自宅から帰ってきた唐津さんたちの話を聞いたM係長が、ひどく憔悴していて、一人にしておけないくらいだった。と言う話と、一人が『首の辺りにアザの様なものが
あった』と話していて、もう一人は『気付かなかった』と話している。とも聞きました。

この日、お客様の部長が、本社の営業担当の取締役に電話をしていました。
『西山さんは、大丈夫だと言っているけど、本当に期限までに終るかが分からない。会社として対応してもらえないか』と。

圧力が掛かりました。
取締役から電話があり、会社として対応をしないと収まらない状態になっている。とりあえず、何人か福岡に行かせる。との事でした。

それと同時に、仕様の見直しと称し、それまで打合せ、要件を詰め、レビュもしてきた仕様を変更されたり、いままで無かった仕様を追加されたり。
それまでの議事録やレビュを受けた仕様書を提示しても聞き入れられず。

更に、ここでまた『はめられた』のでした。

本社からさ、延べで20人くらいが来て、昼夜2交替になり。でも、中身を知らない人達ばかり。
その頃から、私は、家に帰るのは、シャワーと着替えのためだけ。後は土日関係なく、お客様に詰める『地獄』の日ぴに突入です。

そんな中、Mさんから電話がありました。

続きは、また。

雨の中、忙しくなってきました。
安全に、速く。安全に。

では、また。



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