como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

真田丸 第35回

2016-09-08 21:53:46 | 過去作倉庫15~
 なかなか発表されないので、いよいよ大河ドラマも打ち切りか…と案じていた2018年大河ドラマが、発表になりました。
 発表の前フリとして「堤真一主演・西郷隆盛」などと、目も眩むような噂が飛んだので、一瞬わたしも本気になり、ああ…もう、これで大河ドラマをあきらめられなくなったじゃないの、などとおもってニヤニヤしたのです。だってあの堤真一の大河ドラマ最終履歴が「武蔵」の又やんだなんて、みんな忘れてるけど酷い話だよ。堤真一がNHKにどんな悪いことをしたっていうんだ。早く、主演年齢許容範囲内のうちに、なんとかしてあげて!…っとずっと祈っていたのが通じたようで嬉しくて。「一番盛り上がったのは前々年の発表の時だった」という、例年繰り返している絶望感などコロッと忘れて。
 甘かったですね。ふつう、発表のときが一番盛り上がって、放送始まってドッと下がるというのが駄作のお約束なのですが、今回は発表の瞬間に夢が砕け散るという、大河ドラマ史上最短にして最速の急落を記録しました。

「原作・林真理子 脚本・中園ミホ」(注・堤真一については未定

…ってなんだそれは。女の視点で西郷隆盛に切り込みますって、なんなんだそれは。天地人や江や花燃ゆの繰り広げたナイトメアでもまだ懲りないって、誰が何食ったらこんなバカみたいな企画をまたぞろ大河ドラマでやろうって気になるんだよ。

 ことしの大河ドラマのレビューをやりはじめたとき、もしこの2016年が駄作だったら、すっぱりとこの世界から足を洗いますと、わたくし、宣言いたしました。そのときは、この脚本で、このキャストで、駄作ということはよもやあるまいと甘く見てそんなことも言ったのですが、いやー、なんでも甘く見てはいけないですね。実際、これでダメだったら大河ドラマはホントに駄目だなとは思っていたので、ここしばらくの急落にどっと気持ちが萎え、今年で引退どころか、今年いっぱい気力が続くかも怪しいという現状であります。 
 まあ、真田丸が今から佳作に化けても駄作でおわっても、来年の作品には今のところ興味も期待も何もないので、ブログ活動をやめるのは決まってるんでね。なので、今年いっぱいはなんとか、自分の尻を叩き叩き頑張ろうと思ってるんです。そこへもってきて2018年のこの情報。大河ドラマにわずかに残った未練も、いっそきれいに無くなるわ

 そんなことで、再来年のことはすっぱり忘れ、今週の真田丸は第35回「犬伏」です。そう、有働由美子さんにいわれなくても真田家の物語で一番盛り上がるとわかっている「犬伏」です。
 まあ、これを楽しみにできるほど、ここまでのドラマで楽しみを蓄積してもいないのですが、かといって不安というほどのものも別に…。そもそも不安になるほどの期待は残ってませんから。まあそれなりにやるだろうくらいに思って、低体温で見たんですけど、これが意外に…。
 いや、例によってどうでもいい場面は多々あったし、格別「神回!」なんてほどのもんとは思えないのですが、「真田太平記」から見てきた視聴者としては、報われたような、大げさにいうとドラマの奇跡を見るような、すばらしい場面があったので、それで救済されたというか。なにか不思議な感動ののこる回になりました。


今週のざっくりしたあらすじ

 上杉討伐のために東下する家康の不在を狙って、京都を占領し、家康討伐の兵をあげた石田三成(山本耕史)は、まず在京の大名の妻子たちを人質として監視下に置きます。
 昌幸(草刈正雄)は、源三郎信幸(大泉洋)と源次郎信繁(堺雅人)とその妻子たちをあつめ、家康の要請に応じて上杉討伐に出陣するが、途中で上杉に合力して家康と対決すると宣言。「裏切りじゃない。表返りである」とわけわかんないことをいって。源三郎の妻・稲(吉田羊)は、実家の徳川家から真田家の怪しい動きを監視するよう指令が出ているけれど、わたしは伊豆守の妻なので徳川には一切何も申しません、と言い切って舅の昌幸を感動させます。
 三成は、大谷刑部(片岡愛之助)の屋敷を訪ね、挙兵の決意とともに協力を要請。「お命をこの治部にあずけていただきたい」というわりには、勝算は「わかりません」とやや無責任です。
 とりあえず返事を保留した刑部は、「わしはあの男を待っていたのかもしれん…」などといい、夜中に三成を呼んで、「やるからには必ず勝つというのだ、そうでなければ命は預けられない」と喝を入れます。ぽろぽろ涙をこぼす三成に、「泣いてる場合じゃない」と、筆を執って、各大名に戦の大義をとく檄文を書き始めます。
 といっても、重病人の刑部は手も動かず目も見えない。三成が口述筆記するのですが、数は多いし、文面は長くて力が入っていて、それを一晩で書き続けるタコ部屋状態に、三成が泣きを入れそうになるほど。ですが、どーみても三成よりも前のめりになってる刑部には通じません。一晩かけて書き上げた刑部は、精根つきて倒れてしまい、それを支える三成が、「刑部殿」とかいって、こ、こう、ぎゅっとね、ぎゅっと…(以下自粛)
 っとまあ、思わず赤面したり前のめりになったり大変なことになった「男と男の愛の劇場」のあと、真田家のみんなは出陣していきます。留守の女たちも、ひそかに京都を脱出して上田と沼田に帰る支度をはじめるのですが、そんなとき、細川屋敷の方から火の手が。勤め先の細川家からバックレて出てきたきりちゃん(長澤まさみ)があわてて行ってみると、ガラシャ玉夫人(橋本マナミ)が屋敷に放火して嬉しそうにイッちゃってる顔でお祈りしており、「わたしは殉教するんです。主人(忠興)が、人質になるより屋敷に火をかけて自害しろと言ったので」などといいます。
 えー…。「生きて虜囚の辱めを受けず」みたいなことを実践したからってなんでそれが殉教になるんだか、わけわかめなんですが、宗教凝りに理屈は通じませんので、きりちゃんがいくら泣いて頼んで、力づくで動かそうとしても応じません。しまいには「切支丹には自殺はご法度」だからと、頼んでおいた家来に串刺しにしてもらって昇天します。…昇天。いや、これが殉教だと信じてしあわせなのって本人だけでしょうね。
 きりちゃんは火事場で三成の手の者につかまり、助けに来た佐助(藤井隆)といっしょに連行されます。きりちゃんの目撃によってガラシャの死を知った三成は、人質の大名夫人から死人を出したことで、まだ周知不足の諸大名を敵に回して戦を始めてしまうことになると懸念。とにかくことは急を要すると、刑部が佐助を真田親子のもとに走らせます。
 いっぽう、本拠地の江戸に入った家康(内野聖陽)のところには、時差の関係で、まだ京都で起こっていることはまったく伝わってません。秀忠(星野源)を先陣として出発させ、補佐には本多正信(近藤正臣)をつける。知恵袋の正信からよく勉強するのだ、などといわれ、秀忠は奮起するどころか萎えてます。オヤジに信用されてないしオレ、やる気もねーし、とか言ってぶーたれている秀忠の手を握り、「あなた、あなたはほんとはできる人よ!実力を見せるのは今よ!」とか檄を飛ばす暑苦しい顔の女。これが秀忠のオンリーワン夫人、江姫です。で、でたっ…。
 佐助の速報を受け取って、三成と刑部が組んで挙兵したと知った昌幸は、「早すぎるわっ!!」と激昂します。家康はまだ上杉攻めに向かってません。徳川VS上杉の戦が始まったらどさくさ紛れに寝返って家康の首を取ってしまう、あとは三成が挙兵しようがどーしようが、とにかく大名をまとめてくれたらよくて、あわよくば論功行賞で信玄公旧領の甲斐・信濃をわが手に…などと考えていたのが全部パーですから。
 家康が東下を続けて景勝と対峙するにも、西へもどって三成軍とぶつかるにも、どっちにしても日本を二部した大戦になるので、真田家としては去就をはっきりさせないといけない。「とりあえず上田にもどり、籠城して、攻めてくる者を敵として時間を稼ぎ、戦が泥沼化してわけわかんなくなるのを待って打って出て、どさくさまぎれに信玄公旧領を占領…」などと発想する昌幸を「夢物語もいーかげんにして下さいっっ!!!」とはっきり罵倒する源次郎。
 戦のスタイルは昔とちがってしまい、小紛争ではなく大戦化してるので、どっちにもつかないというのはありえない。それではどっちも敵に回すのと同じことだ。ダラダラ戦が長引くこともなくて、短期決戦、下手すりゃ1日でおわるかも。速攻で去就を決め、どちらかにかけて生き残るしかない!と言い切る源次郎ですが、じゃあどっちにつくんだ、と言っても答えはすぐに出ないわけですね。昌幸はこりずに籤をつくって、「赤がでたら豊臣、黒が徳川じゃ」とかいって源三郎にひかせようとします。
その籤を両方引き抜いて捨てた(しかもちゃっかり両方に赤がぬってあるじゃないの)源三郎は、いきなり「わたしは決めたっっ!!」と叫びだします。私は決めた、決めました父上!わたしは徳川に付きますっっ!!と。
 天正壬午の乱のころから進化してないおやじに愛想をつかしたのかと思ったら、そうではなく、父と弟は豊臣、自分は徳川につく。どっちか勝ち残ったら、敵に回った家族のために全力で動いて助命をする。そーするしか全員が生き残る道はない!と。
 昌幸はボー然としてます。が、「…よき策じゃ」とうなり、一心同体だった真田一家が二つに分かれるのを容認するのでした。
 源三郎と源次郎兄弟は、酒を酌み交わしながら、「俺たちはこのために生まれてきたのかもしれない」とシミジミ来し方を振り返りますが、そういう二人にしても、カラッと割り切って笑って別れる状況でもないわけですね。
 とはいいつつ、中国の戦記物ネタのバカ話などしてゲタゲタ笑いながら最後の酒盛りをしてしまうのも、この親子なのでした。明日は敵味方、再び会えるかわからないのですが、どこかであほみたい楽観的に、明日が来ることを信じているのは親子共通で、そこにどういう明日が来るかは……以下次回。


今週のざっくりした感想。

 今週の感想は、「真田太平記から見てきた人」限定目線の超偏った感想になります。
 いままで、そこのところの関係性はなるべく目をつぶり、比べたりしないように極力努力してみていました。我慢できずに比べたこともありましたけど、基本、何から何まで真田太平記と比べてしまうともう真田丸を見る気がしなくなるので、なるべく頭から追い出すようにはしていました…これでも。もういっそホールドアップして「真田太平記一択!」と宣言してしまい、それをもって真田丸リタイア宣言にしようかと思ったことも、実は何度かありましたけどね。
 今回は、はじめてかな、遠慮なく真田太平記と比べて、その違い、その逆転具合を十分楽しめたので、偏向ファンとしては一話で二度おいしい、満足な回になりました。
 今回、真田丸とあえて(意識してだよね、そこは)真逆に反転させているところは主に二か所あります。一つ目は、天下分け目の戦にあたって石田治部と大谷刑部の反転。もう一つは、犬伏の陣での真田信幸・信繁兄弟の反転です。
 このふたつがちょうど鏡写しのように対置してあるところが、非常に凝ってて面白い。過去作と比べていい悪いという問題でもありませんし、むしろどっちも包含して、人がなにかを選択していく、それで物事が動いていく仕掛けの面白さを感じることもできたりします(その気になれば)。

○石田治部・大谷刑部の反転
「真田太平記」では、刑部は治部に「あなたは人望がないからやっても人がついてこない。悪いこと言わないからやめとけ」といって虚意を断念するよう説得を試みます。それでも折れない治部は刑部を茶室にさそい、そこで粘って1昼夜半、二回目の朝を迎えて、やっと「刑部殿、もう結構です」と言うわけです。そこで刑部が「そこまでのご決意ならば」と協力を承諾する(ここのところの呼吸が素晴らしいんだわ)。でも、勝つとはまったく思ってないので、壺谷又五郎(佐助の祖父)に「これは勝てる戦ではないと安房守どのに」と伝えて犬伏の陣に走らせるのですね。
 真田丸のバージョンでは、刑部がすでに入れ食い状態で治部の勧誘を待っていて、先の短い病いの身が、いわば死に場所を見つけた感で挙兵に前のめりになる。治部のほうが足腰がふらついてて、ちょっとしたことにも涙したりくじけそうになったりして、それを刑部が叱咤しつつ、檄文を書きまくり、最後には力尽きた刑部を治部がギュッと抱きしめたりなんかする。
 ううっ、なんかもう「兄貴と呼んでくれ」みたいな(げげげ)ディープで濃厚な愛の世界なんでありますが、まあとりあえずそういうのは無視して、ここでは刑部が、負けてもいい、むしろ負け戦上等で死ぬ気満々でいるのに、三成含めほかの人が引き込ずりまれたような形になってるのが独創的なところだと思います。そして真田親子メッセンジャーが又五郎のかわりに佐助、というところでリンクを張っている。これもファンにはツボに刺さるところ。

○真田信幸・信繁兄弟の反転、そして父昌幸
 犬伏の陣での有名すぎる真田親子の決裂ですが、これも真田太平記では、昌幸・信幸親子の意見が真っ二つに割れたところへ、幸村(信繁)が、「わたくしは城がないので、父上の上田がほしゅうございます。さすれば兄上の沼田が立ち行かぬとき、上田がございます」といって交通整理をし、一家が分かれて両陣営に保険をかけるという方法を示唆するのですね。この役が、真田丸では兄の信幸の分担になってます。
 いや、これは文句なし素晴らしい思ったんだけど、信幸はこのときのためにずっと爪を隠してきたのかと、そこに意表を突かれましたし、かなりグッときました。一見、父や弟への不満や違和感を蓄積させてきたようで(実際そういう表出も何度かしている)、じつは、真田家が生き残る最善の道をどんな場合でも考えて生きてきたんだなあと。大泉洋さんの表情にも、息遣いにも、そういう誠実さがあふれていて、ほんとうに感動しました。
 そのあと、真田太平記とよく似た、兄弟の別れの場面がありますが、これは治部・刑部の兄貴系油ギッシュラブ(ひゃーー)とは全然ちがって、過剰なくらい爽やか。そんなにいろいろ喋らんでも(苦笑)と思わせたのはご愛敬でしょう。
 それよりなにより、圧倒的だったのは、そこに「父・昌幸」として草刈正雄さんが存在していることですよ。前回、「私は上田、兄上は沼田に」と言って真田家の方向をきめた幸村が。父・昌幸としてそこにいるんですよ。真田家の生きる道の、ひとつの結論にいたる二つの選び方を、両方見てきた目で、二人の息子の武将としての力量をみとめ、感慨無量という顔でそこにいるんですよ
 もう、それだけで何もいらないと思います。草刈正雄さんが丹波哲郎さんから真田昌幸を引き継いで、平成の世に現れたことの意味が、その表情に全部ある。セリフは「よき策じゃ」これだけ。これだけで何もいらない。
 もう、これを見ることができただけで、ほんとうに幸せですわたし。真田丸のほかの部分が、どんなにグダグダでも、最後は駄作で終わったとしても、いい。許す。「これを見られてよかった!」という場面が一つあっただけで、作品のすべてが肯定される…たぶん……そんなこともあるかもしれない。
 真田丸が終わったとき、この場面をどんなふうに思い出すかわからないですけど、たぶんこれはわたしの大河ドラマ視聴歴の中で確実にベスト5には入るよね。
 おそらくこれが「全大河ドラマ最後の名場面」になる…という、へんな予感を感じつつ。

また来週っ!