ぽかぽか容器

元バレー坊主。

大人の買い物 2

2020年06月28日 | 日記
※アダルトカテゴリーの話じゃありません。

私、10歳の頃からギターを弾いてまして、
若い頃はかなり精力的に活動もしていたので、
実は、様々な楽器が演奏(上手いとは言ってない)できたりします。

ギターに始まり、ベース、ピアノ、ドラム、パーカッション(の一部)、サックス等々…
今でも、数本のギターとベース、ついでに三線なんかも持ってます。

で、ギターを始めた頃、近所の年上のお兄さんが、
当時で言ういわゆる「ロック少年」で、
ギブソン(有名なギターのメーカー)のSGというモデルを持っていて、
弾いて聴かせてくれたのがカッコよくて、
一発で魅了されてしまいました。

ただ当時は、ロック、エレキというのは不良のカテゴリーで、
学校などでは禁止されていることも珍しくありませんでした。

我が家では、昭和一桁生まれとはいえ、ポップス、ニューミュージック等、
音楽が大好きだった母は、ロックやエレキに偏見こそありませんでしたが、
やはり、世間の目もあったのか、
私がエレキを買いたいと言ったら、もう少し大人になるまで待てと諭されました(笑)

なので、その頃は隣町の楽器店で、エレキギターのカタログを貰ってきては、
恋焦がれるような気持ちで、いつも眺めていました。

その頃憧れていたのが、フェンダー社の「ストラトキャスター」というモデル。

当時持っていたフォークギターにはない、
スマートでセクシーな滑らかなボディシェイプ、
チェリー、イエロー、ブラウンのサンバースト(ボディカラー)は渋かったし、
真っ白なホワイトや、漆黒のブラックなど、
フォークギターにはないカラーバリエーションにも、魅力がありました。

などと、寝ても覚めても、夢にまで見るほど憧れていた
ストラトキャスターだったのですが、
高校生になって、初めて買ったエレキギターは、
「レスポール」でした(笑)
(ストラトと二台巨頭ともいえる、定番タイプ)

あれから四十年以上。
その間、いろいろなギターを手にしましたが、
ついに一度も、ストラトキャスターを購入したことはありませんでした。

なんだったんですかね(笑)
あの憧れは。

ということで、
自宅には、今でも様々な楽器と録音機器があり、
また趣味で作曲でも始めようかと思いつきました。
別に、どこかで披露する目的じゃなくて、
自分で作って、勝手に悦に入るためのものです(笑)
歌のある楽曲ではなく、いわゆるインストゥルメンタルというカテゴリーです。

で、活動の旗印として、
買いました。
ストラトキャスター



最初に心を奪われてから、なんと42年の時を経て、
ついにこの手元に抱きしめることが叶いました(笑)

ま、厳密にはこれは、ストラトキャスタータイプであって
(フェンダー社製ではない)、
ストラトキャスターはフェンダー社のブランド名なので、
なら、フェンダーのものを買えよ、って話なんですが、
懇意にしていただいている楽器店に、
フェンダーのギターが無かったんですね。

実際に試奏してみたら、結構フィーリングが良くて、
金額的には、あと少し足せばフェンダーのカスタムが買えるほどの金額だったけど、
専用ハードケース付きの条件に折れてしまいました(笑)
他所の店までいくのも面倒だったし(笑)

実はこの店では以前、ギブソン社のレスポールも
(こちらはホンマもんギブソン製)購入しており、
我が家に、エレキギターの二大巨頭、
レスポールとストラトキャスター(タイプ)が、揃ったのです。
この他に、セミアコースティックタイプのギターもあり、
こちらはもう、三十年以上前に買った、
マイフェイバリットギターであります。

~~~~~~~~

あの頃の私を、この部屋に招待してあげたいです(笑)


大人の買い物

2020年06月28日 | 日記
って、別にアダルトなカテゴリーの話じゃないです。

私の仕事は在宅で処理できる性質のものではないので、
現在も通勤しておりますが、
毎日の通勤と買い物以外、休日でも必ず家におります。

だからって、休日のすべてを寝て過ごす訳にもいかないので、
なんかできることを模索します。
時間潰し程度の、数分くらいのパズルゲームくらいはやりますが、
そもそもテレビゲームというものを持っていないので、
ゲームで時間は潰せません。

ガーデニングとかやらないし、
生前の父は、浄土真宗を信心し、読経や写経ができましたが、
私はできません。
俳句とか川柳とか、それを創作しようという気持ちはないし、
漫画を描くには絵心が無さ過ぎるし、
小説を書くには文才がありません。
絵心が無いんだから、漫画以外の絵画も描けません。

プラモデルとか、子供の頃よく作ったけど、
当時お小遣いで少しずつ揃えていったプラモ製作用の工具や、
塗料など、何十年も前のことであり、残っているわけがありません。
私は凝り性で、中途半端は嫌なので、
プラモ製作とか始めようと思ったら、
まずそこから(道具を揃えるところ)始まるので、
際限がありません。

子供の頃のことで思い出し、
「お? これは!」とちょっとだけ思ったのが、
トランジスタラジオの製作。

私の子供時代は、当然、現代のような便利な
インターネット環境などありません。
デジタルという概念すら、一般には浸透していない時代でした。

なので、電子工作は子供にはちょっとハードルが高かったのですが、
父が、私がそのようなものに興味を持ったのが嬉しかったらしく、
電子工作入門のような本を買ってくれて、
その材料の電子部品を買いたいと言ったら、
特別にお小遣いまでくれたのでした(笑)

ところで、父はかなり手先の器用な人だったので、
プロ仕様の製図道具とか、精密加工用の工具とか、
もちろん、ハンダ作業用の一式や、機械工作や木工細工などの、
様々な工具がたくさんありました。

まあ、ここまで思い出して、その思い出が楽しかったからいいけど、
トランジスタラジオの工作は、
まあ、今では製作キットが販売されているし、
基盤にも配線図がプリントされていたりして、
簡単なものだと、精々一日時間が潰せればいいところ。

ま、キットじゃ面白くないから、部品は秋葉原で揃えるとしても、
工具も一から揃える必要があり、
手間の割に、見返りが少ないのでやめました(笑)


続く

スポーツの活動って、今どうなってるの?

2020年06月28日 | 日記
前回の日記を投稿して、ふと思いました。

もう、ソフトバレー関係のお知り合いの方々とは交流がないので、
このコロナウィルスの影響下にあって、
スポーツの団体競技の活動状況って、どうなっているのでしょうか?

緊急事態宣言が解除されたから、活動も再開されているのでしょうか?

でも、バレーとかバスケとか、床に頻繁にボールが接触して、
それを素手でやり取りし合う競技だから、
人間の物理的距離としての濃厚接触なんてものじゃないですよね。

この先世界がどのようになっていくのか、
まったく想像ができませんが、
人々の健全な生活が、少しでも早く取り戻せることを
願って止みません。

ソフバの試合の動画が出てきた(笑)

2020年06月27日 | 日記
気づいていなかったんですが、なんと今年の初投稿。

別にコロナウィルスの影響とか、まったくありません。
むしろ、休日はほとんど自宅で、貝のようにじっとしているだけなので、
記事を投稿するには最適な環境なのですが、

まあ、貝のようにじっとしているだけなので、
特別、日記にしたためようと思うほどの話題がありません。

ありがたくも、こんな素人のおっさんのブログでも、
毎日数十名の方が閲覧してくださってはおりますが、

もう、バレーをやめてしまったので、
バレーに関する新たな話題などあるはずもなく、
そもそも、ご覧になっている方々が、
バレー関係のお知り合いかどうかはわかりません。

まあ、無理にでもバレーに関わる話題を書くとすれば、

パソコンのデータ整理をしていて、Googleドライブのデータの中に、
いつだかのソフバの大会の動画がありました。
動画などの容量の大きなデータは、
通常すぐに外付けのハードディスクに移動してしまうので、
GDの中に、そんな動画がアップされていたことを、
忘れて、というか知りませんでした(笑)

東京の西部、西東京市で開かれた大会の模様で、
それほど規模の大きな大会ではなかったと記憶しています。

当時の私がそもそもチームに所属していなかったので、
メンバーは寄せ集めで、女性は皆さん同じチームに所属されていましたが、
男性は、バラバラ。
当時よくご一緒させていただいた方々で、
ま、チームではなくユニットとして、いくつかの大会や、
練習会などで一緒に活動していただきました。

あまりガチガチな大会ではなく、確かビギナーのチームも
エントリーしていたはずなので、若手のゴリゴリチームは、
エントリーしていなかったように思います。
ただ、対戦相手を拝見すると、年齢制限はなかったようです。

なんかバレーから離れて、バレー関連の記憶って、
思い出すことがほとんどなかったんだけど、
映像を見ると、なんだか楽しそうでね、
その場面毎の詳らかな思いの記憶はないのだけど、
アルバムの写真のように、印象に残っているカットがいくつかあって、
ものすごく漠然としたものだけど、
少なくとも、楽しかったことは思い出せました。

動画が、すべての試合を収録したものかは不明ですが、
少なくとも収録された試合はすべて勝っていて、
もしかしたら優勝したのかもしれません。
残念ながらその記憶はありません(笑)

勝ち試合だけを編集して渡してくれたかもしれないしね(笑)
(私は試合を録画する習慣がなかったので、必ず誰かからいただいた動画なので)

私がバレーボールをやめた理由が、
身体的な原因による(改善の見込みはない)ものなので、
このような活動の場に復帰するということはありませんが、
この競技に携わってよかったな、と、改めて思います。

季節に例えるなら、
春、中学一年生でバレーボールに出会い、
夏、若さの限り、情熱のすべてを傾け、身体を鍛え、技を磨き、
秋、体力も落ち、ソフトバレーに活路を見出し、精力的に活動。
冬、いよいよ身体の限界を迎え、静かに競技から身を引く…

実際の季節のように、これが巡っていくわけではないので、
次の「春」というのはありませんが、
今までの自分の五十年以上の人生の中に、
こんなドラマが在ったこと、嬉しく思います。

人に話すようなことではないけれど、
それこそ学生時代にまで遡れば、
自分にとっては珠玉の思い出の数々があります。

動画や写真などの映像として残っていないので、
当時の場面の数々は、記憶の中でも、
映像としてはどんどん風化していて、
自分の頭の中であっても、鮮明に復元することは叶いません。

熱さとか興奮とか、そんな不確かな、
実体のない感情の浮浪雲のようなものが、
去来するに過ぎません。

こんな風に記すと、なんだか切ない思いでかのようですが、
思い出そのものが切ないのではなく、
人は、一秒の過去すら遡ることができず、
もう決して、その場面を実体として感じることができない、
その、人の世の理(ことわり)が切ないのです。

以前も同じこと書いたけど、
だから人って、写真とか、絵画とか、
映像を後世に残すことを望むのだろうね。


なんか小難しいこと書いたけど、
ドライブに残っていた動画のユニットは、
今思い出しても、本当に楽しかったなぁ(⌒∇⌒)


現在は、運動の類は一切やっていないけど、
やはり軽い運動くらいは生活に取り入れた方がよいと、
いろんな方からアドバイスされ、私自身もそう思います。

ソフトバレーって、本当に様々な年齢層の方が活動されているので、
私より高齢の方々で活動されているチームとか、
もしあったら、ちょっと門を叩いてみようかしら(笑)
これは復帰ではないですよ(笑)
ジャンプとかしないので。

あ、でも…