ぽかぽか容器

元バレー坊主。

あれっ!? ここ、何があったんだっけ?

2011年08月29日 | 日記
自宅の近辺でなくても、よく通る道ってありますよね。
そういう道って、普段、案外景色など気にしないで通過していませんか?


私だけなのかなぁ…


通りなれた、よく通る道の、とある交差点に違和感。
あれ? 更地になってる…


通りなれたとは言うものの、毎日通るわけではなくて、
月に2~3度、通過する程度の道なんですが、

その辺りが目的地になることがないので、正直、どんな建造物があるかなんて、
普段、案外気にしてないんですよね。


漠然と、割と大規模なお店があったとか、なんか工場らしき一角があったとかの記憶はあるのですが、
それらの正確な配置、内容は、まったくと言っていいほど記憶にありません。


なのに、例えばその通りの一角のなにものかがなくなると、明らかな違和感を感じるようになります。
恐らく、通りの全体的なイメージを、映像として記憶しているのでしょうね。
それが、表題の「あれ!? ここ なにがあったんだっけ?」
に、つながります。


違和感は、感じるんですw
でも、そこにあったはずの何かは、まったく記憶にありません。
多分、答えを告げられても、納得できないような気がします。


毎日通る道であれば、そのプロセスをつぶさに観察することができるけれども、
たまにしか通らない道だと、もう、そこにあったはずの何らかの建物は、
完全に解体工事を終えていて、なんなら
「売地」
とか
「貸地」
とか、立て札が立てられていたり。


少し話しが反れますが、以前から、大型スーパーなどの台頭によって、
街の商店街の衰退が進んでいるようで、
「シャッター商店街」などと呼ばれて、ゴーストタウンのようになってしまった商店街が、
テレビなどで紹介されていたりします。

バレーや仕事で訪れる、普段まったく馴染みのない街で、
閉じられたシャッターに張り紙。

「45年間のご愛顧、ありがとうございました。この度、事情により閉店することとなりました」


様々な個人商店の衰退の原因が、本当に大型店舗の台頭によるものなのか、
綿密な取材に基づいた根拠があるわけではないので、あまり軽はずみなことは言えません。

ですが、実際に個人が経営されている、いろいろな業種のお店が衰退していることは事実なようです。

私の居住地域にある商店街も、50年近い歴史があるそうですが、
その商店街が開かれた当初からあるお店は、一軒しかないそうです。

現在はもう、閉店してしまった店舗スペースに、新たな店が開店することもなく、
買い物客が多く訪れるはずの夕刻に訪れても、閑散としてしまっています。


商店街という単位に限らないんでしょうね。

小売店に限らず、製造工場であったり、サービス業であったり、

不況という一言で括ってしまえるほど、根幹にあるものは単純ではないように思えます。


いや、違うなぁ…
こんな重たい話がしたかったんじゃないぞ。

あ、そうそう。

思い出したw

ちょっと軌道修正に文字数を要することになりそうで、
無駄に長い日記になってしまいそうなので、それについては次回にでも。


すんません、いつもいつもこんな終わり方で。




久々、大失敗www

2011年08月29日 | 日記
連投になりますが、ただでさえ更新の滞るこの日記w ←笑い事じゃねーけど

話題のある時に、少しでも投稿を稼ぎたいと思います。


土曜日。
普段なかなか会えない友人と会うため、埼玉県は熊谷市、
そう、真夏に連日猛暑日を記録することで有名な町へ出かけてきました。

今は便利なもんでね、昨日の日記でも少し触れたけど、
携帯でナビソフトが使えたりするもんだから、電車での移動だって、
時間的にも距離的にも、無駄の少ない経路が一発検索できて助かります。

おまけに、乗り換え検索の付加価値として、終電検索なんてこともできるから、
慣れない土地へ出かける時も、ほとんど不安を感じることがありません。

ところが…

これに頼り過ぎていたんですな。
もちろん原因は私の不注意であって、ナビソフトになんの責任もありません。


以前の日記にも書いたけど、今は相互乗り入れというシステムが発達していて、
以前だと、いったいどこでどう乗り換えたらたどり着くのか見当もつかなかった駅に、
乗り換えもなく行けたりします。

私にとっての熊谷もそうで、ターミナル駅として池袋を利用しているので、
高崎線直通の湘南新宿ラインで、池袋から乗り換えなく行くことができます。
ま、距離は長いし、結構利用客の多い路線なので、
ずっと立ちっぱなしになる覚悟は必要ですが…

で、実はこの「高崎線直通」というところに落とし穴がありました。

結論から先に言うと、熊谷から池袋に帰るには、湘南新宿ライン直通の高崎線に乗る必要があり、
ただの高崎線は池袋を通りません。 ※厳密には上野~大宮間は宇都宮線で、高崎線は高崎~大宮です。


私は、少しでも長い時間友人と過ごすために、終電検索を利用して、事前に調べておいた筈なのに、
熊谷駅の発時間だけを見て、それで来たときと同じ経路を逆に辿れるものと、
勝手に思い込んでしまったのです。

かなり飲み疲れていたので、ちょっと贅沢してグリーン車(普通車グリーン。座席指定はできない)へ。

ゆったりと外の景色を眺め(ほとんど真っ暗だったけどw)ながら、いつの間にかまどろんでいたようで、
気づけば電車は、今まさに赤羽を発車するところ。

~お、危ない危ない。もう次の駅か。危なく寝過ごすとこだったな~

と、胸を撫で下ろしたその刹那、車内アナウンスが。


「ご乗車ありがとうございました。 次は~ 上野~ 上野~ 終点です」




なんじゃそらっっっっっ!!!!!



慌てて、改めてナビソフトを確認したら、赤羽乗り換えで、埼京線で池袋へ向かうようになってましたw
つまり来たときの経路を逆に辿ることはできなかったわけです。

んで、その指示通りの経路を辿ったとしても、池袋発の私の地元駅へ帰れる最終電車はギリギリの時間だったので、
上野などという駅にもっていかれた時点で、もう完全にアウトでしたwww

山手線で池袋にたどり着いた時は、もうそれが池袋駅到着のすべての列車の最終だったようで、
駅のシャッターが閉まる寸前でしたw


そこからがまた大変。

なんだかどこかで祭りでもあったようで、池袋の街には、もう終電も終わったというのに、
浴衣姿の男女などで大変な人通り。

ナビソフトで宿泊施設を検索して、何軒かのビジネスホテルやカプセルホテルをピックアップ。

まだこの時は、それほどあせりはなく、呑気に、
~寝ぐらが確保できたら、コンビニでビールでも買って軽く飲みなおそうか~
などと考えていました。

ところが、ビジネスホテル、カプセルともに、見事なまでにすべて満室w

いやぁ、実は以前所属していたチームでの飲み会は都内が多かったので、
その時はよく渋谷のカプセルを利用していたのですが、ここは、週末であっても、
いつも必ず泊まることができたので、まさか池袋でこんなことになるとは思っていませんでした。

時間にして一時間、件数にして十数件は訪ねたのですが、全滅でした。
実は、ナビソフトの使い過ぎで、携帯の電池がなくなりかけていて、電話がかけられなかったんです。
今考えたら、乾電池式の簡易充電器を買えばよかったんだろうけど、あせっていたんですなw


最終的には、どうにか一軒のネットカフェに空きがあって、
なんとか野宿だけはまぬがれましたが、そこも中途半端なリクライニングシートが置かれた
一畳半くらいのスペースで、完全に横になって寝ることができなかったので、
熟睡はできませんでしたが、贅沢は言えませんねw


思えば遥か昔。

十六歳の時に、姉の友人の方々とバンドを組んでいて、
高田馬場(姉の大学が近かったので)で練習をして、そのあと調子にのって雑談に花を咲かせてたら、
あっさり終電を逃していて、特別深く考えることもなく、これまたあっさりと、
高田馬場から東京都下の私の自宅まで、徒歩で帰宅したことがありました。
いや、実際の行程はそれほどあっさりしてなかったけどwww
20km以上ありますからねwww

いや、言いたいことはそんなことではなくて、
その当時、十六歳の私が考えていた四十五歳って、

もっとまともな成熟した大人だったような気がしますwwwww

少なくとも、平然と
「野宿だけはまぬがれた」
とか言うようなダメ人間は、想像しておりませんでしたw


三十年前(およそ)の私へ。

あんまり過度の期待はするんじゃないぞっっっ
その頃の未来に、僕は立っていませんから。


合掌

無理にでもバレーに関する日記を…

2011年08月29日 | 日記
最近、様々な事情で練習に参加できていないし、
最後に出場した大会が7月の下旬で、しかも自分の所属チームではなく
助っ人(正確には人数合わせ。何故なら何も助けてはいないから)としてだったので、
本当に、バレー(ソフバ)に関する話題に乏しい今日この頃。

いや、例えば女子の世界バレーとかやってるから、それについて触れることはできるけど、
正直言ってあまり見ていない上に、これと言って特別な感想がありません。

ま、実際にはロシア戦について、少し感じたことはあって、下書きとして日記をしたためてはみたのですが、
なんだかまとまらなくて、結局お蔵入りしてしまいました。

ロシアの二メートルを越える選手と、そのプレーについて触れようとしたのですが、
以前の日記でも、バレーボールと身長については取り上げているし、
現在の主流となっているバレーの戦術にも明るくないので、
あまり迂闊なことは書けないと思い、筆(なんか実際には使ってないけど)が進みませんでした。


まあ、せっかく話題を振りかけたので、一つだけ言わせて貰えば、
国際ルールの女子バレーのネットの高さ、
どう考えても低すぎるでしょwwwww

いや、お蔵入りした日記では、そのことを指摘しようとしたのではなく、
ま、簡単に言えば、身長が二メートルもあって、あまりにもスパイクの打ち方がお粗末だったので、
ちょっと触れてみようかなと思ったのですが、

考えてみたら、東京の外れで、毎晩飲んだくれて、
ソフトバレーの二メートルのネットでヒーヒー言ってるような親父に、
仮にも国を代表しているような選手が、批判がましいことを言われる筋合いはありませんねw


いや、で、その件の二メートル越えの選手、正確には202cmで、ネットの高さと22cmしか変わりません。
男子に当てはめたら、221cmw

いや、確かに男女で体力、筋力の差はあるけれども、
それにしたって、仮にも世界戦が男子中学生より低いネットて…

あ、そうか。
そういうことも含めて、発展途上なのかも。

だって、男子の世界レベルで言えば、最高到達点は350cmオーバー。
高い選手だと、370cmオーバーだから、ネットより130cm近く高い。

ま、これは世界トップクラスの話だから、平均的な数値で比較しても、
ネットより100cmは高い。
身長200cmの選手なら、身体半分、ネットから出ている状態ですからねwww

余談ですがねw
オーストラリアのダニエル・アラン・ハワード選手の最高到達点が、375cm
ソフトのネットだと、ネットから175cmもの高さになりますw

私に当てはめると、ネットの上に立ってスパイクを打つのとほぼ同じですw

もうスパイクがどうのこうのってレベルじゃなくて、
飛び越えられますよね。
跨ぎ飛びでw


またまた迷走を始めそうになりましたが、
「ソフト」ではなく「バレーボール」

ネットの高さの見直しも、あり得ない話ではなさそうですね。


昭和40年代

2011年08月28日 | 日記
前回の日記でちょっと触れた、昔の木製のお風呂(湯船)。

昭和40年台に子供だった世代で有名なところと言えば、

「ちびまるこちゃん」の舞台設定でしょうか。


地域的に細かな違いはあると思いますが、
例えば私の場合は、ギリギリ石炭のストーブを知っています。

あと、洗濯機の脱水が、二本のローラーの間に洗濯物を挟み、
ハンドルを手動で回して行う、パスタメーカーのようなスタイルでした。


多少時系列がいい加減だけど…


白黒テレビ

当時の主婦の必須アイテムだった、竹編みの買い物カゴ

扇風機の羽が金属製だったり…

象が踏んでも壊れない筆箱とかw

以前の日記でも少し触れたことのある「黒電話」

五百円札とか、穴の開いていない五十円玉(すでに穴開きが主流だったけど、少なくとも古銭扱いではなかった)

他のお札とはサイズが違う、聖徳太子が印刷された一万円札


ま、こんなものを羅列していくと限がないので、このくらいにしておきますが、

例えば、現在から五十年後に、五十年前~現在のような、劇的な生活環境の変化はあるでしょうか?

こういうことを数値的に評価することは難しいですが、感覚的にこの環境変化をグラフで表したとしたら、

昭和三十年代辺りから現代にかけて、急激な右上がりのグラフ曲線となり、

このあと、徐々にゆるやかになっていくような気がします。


なんだかもう、新しい発見、発明というのは徐々に少なくなっていて、

特に生活の周辺機器においては、付加価値の開発が主になっている気がします。

その最たるものが「携帯電話」ではないでしょうか。

発売当初は、電話を携帯できる(実際に携帯に便利な形状ではなかったけどw)というだけで、
衝撃的でしたが、

そのうちメール機能が搭載され、今では機種によってはパソコンを携帯しているのと遜色がありません。



ちょっとオチとしては、どうかなと思いますが、

なんだか、こういった技術革新の副産物として、

全体的に、人も社会もせっかちになったような気がするんですが、

いかがなもんでしょうか?

いただいたコメントに、思わずうなずき…

2011年08月26日 | 日記
こいちさん、またまたコメントありがとうございます。

このしょーもない日記をそこまで褒めていただくと、ちょっと面映いですが、
「楽しみにしている」と言っていただくと、とても嬉しいです。

少しでも短い周期で投稿できるように頑張ります(大汗)w



いただいたコメントに書かれていた

「水を飲んではいけない神話」


若い方だと、いきなりなんのこっちゃ?
な文言だと思いますが、我々世代では正に「あるあるwww」コールの大合唱でしょうw

いや、正しくは「あったあったwww」ですな。
一応過去完了なので。

でも「あったあったwww」コールとかないし。

いや、そんなこと言ったら「あるあるwww」コールだってないか。

まあ、そんなことはどーでもいいんですが、一応説明しておくと…


いったいいつ頃から提唱されていた説なのか分からないのですが、
私の学生時代は、スポーツの活動の際、水を飲んではいけないという、
今考えたらとんでもない常識がまかり通っていました。

確認できた範囲では、私より十歳年上の方も、学生時代に経験していたとのこと。

これ、地域によって違いはあるかもしれないけど、

少なくとも私の周辺では、いわゆる「根性論」的なものではなく、
人間の生理的に正しい説だと信じられていました。


よく死人がでなかったよなぁ…

いや、決して大仰ではなく、本当に、真夏の体育館で、
ただでさえ練習が長時間に渡り、しかもなんの意味があるのか、
窓の暗幕カーテンを(もちろん窓そのものも)閉め切って、鉄製の扉もすべて締め切って、
灼熱地獄のような環境で大量の汗をかくにも関わらず、

「水を飲んではいけない」

なんだろ?
身体が、一種の緊急事態と判断して、何らかの内部的防御がなされていたんだろか?

いや、不思議なことに、誰も熱射病(現代で言う熱中症)にならなかったんですよね。


私は、中学生の時、この地獄のような真夏の練習のあとで、
水風呂に入る(当時の我が家にはシャワーがなかったので)のが、なによりの楽しみでした。

あ、話が反れるけど、今の若い方は、シャワーがないお風呂とか知らないんだろなw

ウチは当時木製のお風呂でね、風呂を沸かすのだって、マッチで火を点けてました。

私の世代でもギリギリ、風呂のない家に住んでいる友達がいました。


あ、もったいない。

次回、この話題をもう少しふくらまそwwwww