ぽかぽか容器

元バレー坊主。

死語

2018年05月27日 | 日記
突然、脈略も無く、昔流行したり、
当時は当たり前のように使われていた言葉を
思い出すことがあります。



メロドラマ。


昔は普通に使われていた記憶があります。






ひとつ、訊く。





メロって何?


続 それから…

2018年05月26日 | 日記
最近、有名人の訃報が続いています。


特に、私の世代が良く知る方々の訃報が多く、
自身の加齢を改めて思い知らされます。

最近ではやはり、西條秀樹さんがお亡くなりになったことが、
一番の衝撃でした。


西條さんの全盛期は、そのまま我々世代の幼少期~青年期であり、
抜群の歌唱力、数々のCM出演、俳優としての活動等々…
私などが書き連ねるまでもなく、正にアイドルタレントの代名詞のような方でした。

で、あるから、連日、関連の記事が多数掲載されていて、
様々な芸能人がコメントを寄せられていますね。


個人的には、ドラマ「寺内貫太郎一家」での、小林亜星さん演じる父親との喧嘩シーンが、
とても印象深いです。


母が倒れる前も、私は晩酌をしていて、
母は同じテーブルに着きテレビを見ていて、
ニュースなどで、有名人の訃報を目に、耳にすることが何度かありました。


特に、「九年会」と呼ばれる、
昭和九年生まれの芸能人の親睦会があり、
そのメンバーの方である、愛川欽也さん、大橋巨泉さん、藤村俊二さんが、
それぞれ、2015年、2016年、2017年と、続けて亡くなられました。

私程度の年齢(50代)でも、もうすでに何人かの同世代の友人、知人が亡くなっていますが、
母のような年齢の人は、そのような同世代の有名人の訃報を、
どのような気持ちで受け止めていたのだろうと、考えてしまいます。

もう、明らかに、過ごしてきた年月より、残された年月の方が短く、
そうして、有名人に限ることなく、親しい友人や、知人、
親戚が、ぽつり、ぽつりと亡くなっていくその様を、
どのような思いで見つめてきたのか、

今、一度は命の際に立たされ、
生還を果たしたものの、身体からあらゆる自由を奪われた身となって、
「会話」をすることのできない母の口から、
現在の心境を聞くことは叶いません。



一度だけ、頭の骨の代わりをはめ戻す手術のあと、
経過観察に数日間を要したので、その期間は比較的意識レベルが高めで、
リハビリ病院へ転院する数日前に面会した際、

「おばあちゃん、辛いだろうけど頑張ろうね」
と励ます言葉に、弱く掠れた声で、少し笑みを浮かべ(たように見えた)ながら、
「がんばるしか、ないね」
と応えてくれました。
このやりとりが、本当に嬉しく、感動を覚えただけに、

その後、手術跡の経過が優れずに、再手術となったことが、
本当に恨めしく思えてならないのです。


そのあとからまた、意識レベルの低い状態に戻ってしまいましたから。



長期的な展望で、何をすべきなのかは、正直まったく予想ができません。

解っていることは、もう、劇的な状態の変化は望めないこと。
これは、私の望むような母の状態の意味で、
悪い意味では、起こりうるかもしれません。
命の終わりも含めて。

せめて、余生を安らかに、などという思いは、
本人以外の勝手な価値観で、それは、穿った見方をすれば、
自身の心の安息のためと言えないこともありません。


心の中でどれほど嘆こうが、何を恨もうが、
決して変えることのできない自身の現状は、
受け入れないという選択肢はなく、

まがりなりにも、対人的に簡単な言葉のやりとりが成立する以上、
感情は無くしていないはずなので、
一人で自由に移動することができず、
一日のほとんどを横たわって過ごす、その時間に、
どのような思いを廻らせているのだろうかと、

考えずにはいられません。







それから…

2018年05月26日 | 日記
母が倒れ、半年が経ちました。


最低限の願いは叶い、命だけは助かりました。
そう、命だけは。


やはり、高齢であること。
例えば、術後の回復が思うように捗らなかったり、
寝たきりの状態で奪われた、運動能力の低下からの回復が、
若い人のようには望めなかったり…


「運」という不確かなもののせいにはしたくないけれど、
それでも「不運」だと、感じてしまうことも重なりました。

脳卒中の術後は、脳が腫れてしまい、脳圧の圧迫を避けるために、
頭蓋骨の部分切除を行う場合がありますが、
母にもこの症状が現れ、結果、


脳圧の上昇が確認され、手術を決断。

一応手術は成功、頭蓋骨の一部を切除した状態に。

脳圧の変化が安定し、切除した部位に骨の代わりを嵌める手術へ。

その直後は、本人の意識レベルが上がったように思え、
一言、二言の会話が交わせるほどになったものの、
手術箇所の経過が悪く、医師の判断により、再度、
嵌めた骨の代わりを除去する手術をすることに。


現在、回復期のリハビリテーション病院に入院していますが、
今も頭蓋骨の一部に大きな穴が開いたままで、
その部分の頭の皮膚が、べっこりと凹んでいます。

もう、八十も半ばの老人が、三回も開頭手術を受け、
結果、三回目の手術後からは、意識レベルが上がることはなく、
常に傾眠傾向で、目を開いても虚ろで、
話しかけても、意味を理解しているのか、いないのか、
弱弱しく頷くのみ。


あのまま、骨の代わりを嵌める手術の術後が良好に経過していれば…
これが「不運」と考えてしまう、屈託の起源です。



それでも、現在は、毎日行われる様々なリハビリによって、
自力ではなくとも、ベッドから起こされ、車椅子に乗ったり、
支えられて、足踏みの訓練をしたり、
対人的な反応は、ほとんどが頷くのみですが、
ただ無意識に、条件反射的に頷くのではなく、
否定の時には、弱弱しくも首を横に振ります。
調子の波があるようで、調子の良い時には、面会に訪れ、
「おばあちゃん、おはよー。来たよ~」
と話しかけると、弱く掠れた声ながら、
「おはよう」
と返してくれたり、孫の、ちょっとおかしなエピソードを伝えたら、
にこ~ と、笑顔を見せてくれたりします。

でも、調子のあまりよくない時は、目もほとんど開かず、
話しかけにも、弱く頷くだけだったりもします。



ただ、嚥下力が弱く、リハビリの一環として、水分を経口補給したり、
ゼリー状のものを飲み込む訓練をしてはいますが、
食事を口から採ることはできず、医師からの勧めがあり、
苦渋の決断で「胃ろう」のための手術を受けました。

倒れる前、元気だった母はよく、
「胃ろうなどを施されなければ生きられない状態になったら、死んだほうがまし」
と、
「この先、そんな状態になることがあったら、延命などしないでほしい」
と言っていました。

けれどそれは、植物状態のように、もうまったく意思の疎通もできない、
意識不明、寝たきりの状態になってしまったのなら仕方のないことだけど、

母は、弱いながらも意識があり、不完全であっても意思の疎通ができる状態で、
それでも自力で食事を採れない状態に於ける、
最善の処置であることを考えれば、受け入れる以外に選択肢はありませんでした。


ただ、それはあくまでも、家族としての本人以外の考えであって、
一応姉が、その処置のための手術をする際に、
その処置の必要性と、有効性を説明はしたけれど、
それをどのように受け止め、理解したのかは、わかりません。


母は、とても他人(自分以外)を思いやり、気遣いの深い人なので、
我々家族のことを思い、甘んじて受け入れているのではないかと、
本当は、死にたいほどの絶望を抱えているのではないかと、

思うように身体を動かせない現状で、自ら命を絶つことも叶わず、
抵抗をすることも、屈託を言葉にして誰かにぶつけることも叶わず、

今、本当の心の奥底では、どんな思いを抱えているのだろうかと考えると、
胸が張り裂けそうになります。


だからって、何ができるわけでもない。

もしかしたら、こんな状況になっても、
生きていられることに、喜びを感じているかもしれないじゃないか。
そんな風に自らを慰める考えにすら、
自己嫌悪を覚え、無力感に苛まれます。



続く