最近、有名人の訃報が続いています。
特に、私の世代が良く知る方々の訃報が多く、
自身の加齢を改めて思い知らされます。
最近ではやはり、西條秀樹さんがお亡くなりになったことが、
一番の衝撃でした。
西條さんの全盛期は、そのまま我々世代の幼少期~青年期であり、
抜群の歌唱力、数々のCM出演、俳優としての活動等々…
私などが書き連ねるまでもなく、正にアイドルタレントの代名詞のような方でした。
で、あるから、連日、関連の記事が多数掲載されていて、
様々な芸能人がコメントを寄せられていますね。
個人的には、ドラマ「寺内貫太郎一家」での、小林亜星さん演じる父親との喧嘩シーンが、
とても印象深いです。
母が倒れる前も、私は晩酌をしていて、
母は同じテーブルに着きテレビを見ていて、
ニュースなどで、有名人の訃報を目に、耳にすることが何度かありました。
特に、「九年会」と呼ばれる、
昭和九年生まれの芸能人の親睦会があり、
そのメンバーの方である、愛川欽也さん、大橋巨泉さん、藤村俊二さんが、
それぞれ、2015年、2016年、2017年と、続けて亡くなられました。
私程度の年齢(50代)でも、もうすでに何人かの同世代の友人、知人が亡くなっていますが、
母のような年齢の人は、そのような同世代の有名人の訃報を、
どのような気持ちで受け止めていたのだろうと、考えてしまいます。
もう、明らかに、過ごしてきた年月より、残された年月の方が短く、
そうして、有名人に限ることなく、親しい友人や、知人、
親戚が、ぽつり、ぽつりと亡くなっていくその様を、
どのような思いで見つめてきたのか、
今、一度は命の際に立たされ、
生還を果たしたものの、身体からあらゆる自由を奪われた身となって、
「会話」をすることのできない母の口から、
現在の心境を聞くことは叶いません。
一度だけ、頭の骨の代わりをはめ戻す手術のあと、
経過観察に数日間を要したので、その期間は比較的意識レベルが高めで、
リハビリ病院へ転院する数日前に面会した際、
「おばあちゃん、辛いだろうけど頑張ろうね」
と励ます言葉に、弱く掠れた声で、少し笑みを浮かべ(たように見えた)ながら、
「がんばるしか、ないね」
と応えてくれました。
このやりとりが、本当に嬉しく、感動を覚えただけに、
その後、手術跡の経過が優れずに、再手術となったことが、
本当に恨めしく思えてならないのです。
そのあとからまた、意識レベルの低い状態に戻ってしまいましたから。
長期的な展望で、何をすべきなのかは、正直まったく予想ができません。
解っていることは、もう、劇的な状態の変化は望めないこと。
これは、私の望むような母の状態の意味で、
悪い意味では、起こりうるかもしれません。
命の終わりも含めて。
せめて、余生を安らかに、などという思いは、
本人以外の勝手な価値観で、それは、穿った見方をすれば、
自身の心の安息のためと言えないこともありません。
心の中でどれほど嘆こうが、何を恨もうが、
決して変えることのできない自身の現状は、
受け入れないという選択肢はなく、
まがりなりにも、対人的に簡単な言葉のやりとりが成立する以上、
感情は無くしていないはずなので、
一人で自由に移動することができず、
一日のほとんどを横たわって過ごす、その時間に、
どのような思いを廻らせているのだろうかと、
考えずにはいられません。