ぽかぽか容器

元バレー坊主。

工工四

2019年10月05日 | 日記
脈略の無いこと何の如し、というところですが、

表題の「工工四」

エエ四ではありません。


って、字面だけ見ても判りにくいこと何の如し、ですね。


「工工四」は、「くんくんしー」と読みます。
「ええよん」ではありません。



簡単に言うと、三線(弦楽器)の楽譜です。



話が少し逸れますが、インターネットって便利ですね。
ま、その分様々な危険も潜んではいるものの、
どれほど検索しても、目的の結果にたどり着けないこともありますが、
必要とする結果を発見できた時には、本当に感激します。


私が小学校の頃、NHKの「みんなのうた」で聴いた記憶のある、
ある沖縄民謡。

我が家は、割と日常から音楽がよく流れていた家で、
ビートルズをはじめ、洋楽ポッポス、ポールモーリアなどのイージーリスニング、
父は古賀政男が好きだったり、
週末にFMラジオで放送されていた、歌謡曲のベストテンなども聞いていました。


だから、かなりいろいろな音楽を耳にしていたのだけど、
初めて聴いた沖縄民謡の、その不思議な音階に、
衝撃(大げさでなく、本当にもの凄いショック)を受けました。

調べたら、1973年に一か月間放送されていたようで、
私は七歳だったわけですが、それよりも驚いたのは、
1973年といえば、返還の翌年だったのですね。


残念ながら音源(当時のみんなのうたの)は残されてませんでした。


その曲の名前は「谷茶前節」(たんちゃめぶしと読みます)



みんなのうたでは、「谷茶前の浜」という曲名で放送されていたようです。



この五年後に、ギターを手にすることになる私のその後に、
沖縄音階というのは、大きな影響を与えてくれました。




で、インターネットの何が便利かというと、
その谷茶前節の一節に、「たんちゃましまし、りあんがそいそい~」
という節があるのですが、この「たんちゃましまし」の一部だけを鮮明に覚えていて、
だけど「-ちゃましまし」の「ー」の部分が曖昧で、
だから、「ちゃましまし 沖縄」で検索したんです。


余談ですがこれ、まだWindows XPの頃にも検索したことがあったんですが、
その時はヒットしませんでした。


そしたら見事にたくさんのリンクがヒットして、
中には、現代の若いお嬢さん二人組が、三線とさんば(三板。沖縄のカスタネットのような楽器)で、
可愛らしく歌い、演奏されている動画も見つかりました。


何十年も探して、否、それほど必死になって探した訳ではないけれど、
まだインターネットの無い時代は、なんとなく本屋で関連の書籍を探してみたり、
音楽活動で親交のあった人達に尋ねてみたりしても、
まったく探し当てられなかったその曲が、
語句を打ち込んで、Enter、数秒で判明してしまいました。



そうそう。
ずいぶん話が逸れてしまったけど、それでね、
まあ、大人の趣味として、今でも数々の楽器を所有しておるわけですが、
何か、新しい楽器に挑戦してみるのも面白いかな、と、
少し前は、ソプラノサックス(アルトサックスは多少吹ける)や、
クラリネットの購入を検討していましたが、
ああ、三線も面白いかも。
などと考えたのです。

で、三線を検索したら、検索結果の所々に見られる
「工工四」の文字。

なんじゃそりゃ?
ええよん?
で、調べたのがきっかけです。

ま、私以外の方には、一切の関わりがない、
くだらない話題ですみません。


ただ、沖縄の言葉って趣深いですよね。


八重山方言で綴られた歌、ま、現代の作品ですが、


「ばんちゃ まんや いんや あんや 今夜 でんさー ぱーしゃーで もーやしー」
「はんまよーな でーじなった すーじにひんげれ」
「あまーのやないんぐゎー踏んだらでーわーぎてぎたど」
「くまーのうしゅまい 意味くじまじゅん わーぎられてるどー」


数カ所、漢字の単語が含まれていることでお分かりかと思いますが、
これ、日本語の歌詞です。


きいやま商店というグループの「ドゥマンギテ」という曲です。
このドゥマンギテという曲名も、方言であり、日本語です。


アメリカや中国など、広い国土の国では、
互いに言葉の通じない地域が存在するそうですが、
日本でも、かなり年配の方が使われる東北の方言とか、
この沖縄の方言など、標準語との変換が困難な言葉が存在するのですね。



あ、いきなり「ドゥマンギテ」に飛んじゃったけど、
元々の話題だった「谷茶前節」だって、


たんちゃめぬはまに スルルぐゎ(小)が寄てぃてぃんどへい
スルルぐゎ(小)が寄てぃてぃんどへい
たんちゃましまし であんぐゎそいそい
※歌詞の異なるいくつかのバージョンがあるみたいです


まあ、ドゥマンギテよりは多少解るかもしれませんが、
いや、わかんないかな(笑)



で、工工四。


興味がおありな方は、ネットで検索していただくとその画像がご覧いただけますが、
一般的な普通の楽譜は読める私でも、
演奏のためにこれが読めるようにならなきゃいけないとなると、
ちょっとハードルが上がりました(笑)

とても久しぶりに…

2019年10月05日 | 日記
LINEを利用するようになってからは、メールのやり取りというのは、
かなり少なくなりました。

知人の中にはスマートフォン機能を持たない、いわゆる「ガラケー」の
利用者もいらっしゃるので、メールの送受信も皆無ではありませんが。

で、先日。


スマホを見ると、メールの着信表示。


メールを送信してくる人はほぼ限られているので、
その中の誰かだと思い、メールを開くと、
そこには懐かしいお名前が。


別に、ニックネームであれば、不特定の人間に個人を特定されることはないので、
明かしてもよさそうな気もしますが、ご本人から許可を得ていないので、
敢えて名は明かしません。
ヒント「小島よしお」
で、わかる人にはわかると思います(笑)


私がソフトバレーのチームとして、初めて所属させていただいたチームの、
メンバーの方でした。


短いやり取りではあったけれど、
その方は、義理堅く、とても心優しい男性で、
もう何年もお会いしておらず、接点も失ったと思っていたので、
変わらず、とても人を大切にする、彼らしいなぁ…
と、心が和みました。



元々、このブログは、その所属していたチームの
メンバー募集の目的で開設したのでした。

ま、その目的はほぼ達成されることなく、
ただの駄文日記に成り下がってきた訳ですが、

家の事情でそのチームから脱退することとなり、
そのタイミングでブログも閉鎖すればよかったものを、
なんとなくだらだらと継続してしまい、
十年以上が経ってしまいました。


もうすでに、バレーボールの活動そのものから身を引いてしまったので、
バレーボール関連の思い出というのは、
ほとんど記憶の中から引き出されることはありませんでしたが、

懐かしいお名前のおかげで、
そよ風のようにふんわりと、いろんな思い出が流れてゆきました。



もう、どの記憶も鮮明ではないけれど、

始めて参加させてもらった練習、ホームとして活動していた文化センター、
始めての大会参加、飲み会や忘年会…

我が家からは距離のある活動拠点だったので、
練習に向かう道中の思いとか、個人的な思い出は、割とよく覚えていて、
練習が日曜日の午前中(午後の日もあった)だったので、
陽気のいい日の早朝ドライブは、とても気持ちがよいものでした。


チームの活動拠点では、地域の文化センターに体育施設があり、
もちろん、それほど広いものではないけれど、
これは私の居住地域にはないものなので、
かなり驚いた記憶があります。


その文化センターのひとつで、ママさんの大会も開催されてて、
センターの名称を略して「〇〇まつり」っていったかな?
観戦席などないので、確かキッズルームを控室にして、
観戦は皆、壁際にへばりつくように観ていた記憶があります。



活動開始からしばらくは、ぜんぜんメンバーもいなくて、
だからこのブログも開設したのだけど、役に立たなくて(笑)、
結局は、チーム代表の方のご人脈で少しずつ賑やかになっていきました。

賑やかになってからはそれほど長く在籍できなかったので、

やはり記憶のほとんどは、ごく初期のもので、
少ない人数での特にソフトバレーの練習(バレーの練習も並行して行っていたので)の時は、
なんというか、その迫力の無さに、笑いが込み上げたのを覚えています。
※バレーボールであれば、少なくとも打球音がソフトより重厚なので、
人数が少なくてもそれなりに迫力があります。


確か、極々初期の頃は、現在ではどこのチームでも所有が当たり前となった、
バドミントンネット用の支柱に継ぎ足すアダプターも無くて、
コート設営の段階でかなり苦労した記憶があります。

活動地域にある、某企業の体育館での練習では、
かなり以前のこの日記にも記したけど、やはりコートの設営に相当に苦労して、
その顛末の中に、何故か「やかん」が記憶として残っています(笑)
いまとなっては、まったく関連が思い出せませんが。


とっても古い歴史のある小学校の練習では、
その時はバレーボールの練習だったけど、ネットの支柱が独特の形状で、
皆でかなり悩んで、ネットを張った記憶や、

一時間もかけて練習に向かって、着いたら練習着を忘れてたこととか…




やはりチームの母体がママさんバレーチームなので、
そのママさんバレーの大会に帯同したのも良い思い出です。


確か、平日に有給を取って、東京体育館(駒場だったかな?)に
試合の応援にでかけたこともあったな。

前出の○○まつりも、会場が狭い分、試合との一体感が凄くて、
白熱して応援したっけ。




これら思い出の数々は、やはりその登場人物である、
メンバーの皆さんがとても素敵な方々ばかりだったことで、
漠然としているけれど、暖かく柔らかい想いとして、
私の心根の深いところに、平素は佇んでいます。



昨夜の晩酌は、本当に久しぶりに、懐かしい試合の動画や、
画像を眺めながら、とっても温かい気持ちで、気持ちよく酔いました(笑)




おっぱ(言っちゃった(笑))
ありがとうね♪