松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

大会を終えて

2015-02-26 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今年も渋谷区民太極拳大会に参加しました。
朋昌会としては2回目となります。

今年は基礎科クラスから初出場の仲間がいましたので
初めてならではの緊張感を漂わせる仲間の存在が
心地よい刺激となりました。


今年は個人部門の参加を見合わせました。
家の事情もありましたが、
自身でもいろいろと思うところがあって
決めたことです。
その代わりといってはなんですが
朋昌会でエントリーした集体2演目については
両方参加しました。


この時期の練習会の練習内容は
大会に向けたものが中心となるので
久々に集体練習に集中することとなりました。
練習会のない日々の練習内容も
集体を意識した個人練習となりがちです。

父の介護が始まってから自主練時間も減り出し
朋昌会の練習会も週1回参加に。
年々練習時間が減っていたところに
さらに今回はほぼ練習会での練習だけ
といってもいいくらいの状態で
本番を迎えることになりました。

でも、なんか…思いの外よかったかも。

練習量は少なくとも
やり方しだいでなんとかなる。
気持ちと身体の状態が程よく中和していれば
そこそこ動けるだけの蓄えはある、
そんな状況だったのかな。
それと集体だったことも幸いしたと思います。
個人と集体とでは練習も違いますから。

総じて練習量が減ってしまった分
体力や運動量の低下はハッキリ自覚していたし、
もしこの状態で自主的に集中練習を敢行していたら
故障や怪我をしたり、疲労を貯め込んだ状態で
大会を迎えていたかもしれません。

まだいける、まだいけそう

気持ちでぐいぐい引っ張って
身体もついてくるような年代ではないのだなと、
改めて思わせてくれたというべきか。
そうか、そうか…
残念とか悔しいといった感情は
不思議と湧いてきませんでした。
想像していた以上に淡々と受けいれてましたね。

なんだ、ちっともショックじゃないんだ。
年を重ねて衰えていくことへの
漠然とした不安ばかりが大きくなり
ちょっと怯えすぎてたのかもしれません。
ことに老親との暮らしが主軸となって以来、
自分がいまの親の状態になるまでの残り時間を
カウントダウンしはじめたり、
その時までに準備すべきことを考えたり
思い悩んでみたり。
行く末を案じすぎて
いまを愉しむチャンスを逃すようでは
それはたぶん本末転倒となるのではなかろうか。

いまだからできることがある。
いまならではの愉しみ方、味わい方があると
信じてやってみて好いんじゃないのかな。

だって、いまこの瞬間がいちばん若いんだもの



肩の力がまた少し抜けたことで
これまでにない自身の内なる世界を
見出したような今大会でした。