松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

噛み合わせ異変の余波

2009-09-29 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
噛み合わせの異変から程なくして
影響が出はじめてきました。

新しい状況に慣れようとする一方で
それに対抗するような現象、
揺り戻しのような現象が出てきてます。
それまでほとんど動きのなかった振り子が
突然に大きく揺れたわけですから、
それと反対方向への振れも
大きくなるのは仕方ないというか
自然の法則かと。
揺れ方が落ち着いてくるには
いましばらくは時が必要なんでしょうね。


さて、この揺り戻し現象ですが、
具体的には痛みの感覚として現れています。

で、痛みは体の声とも言えるわけです。
“生きている証”と言われたりもしますね。
わたしもつらいが、体もつらいんです。
(でも、四六時中ということではなく
一日のなかでも波がありますし、日によっても違います)


体はそういう仕組みに
なっているんだからと思えば、
痛みを痛みとして捉えるだけではなくて
もう少し広く捉えられることもできるのかな?
でもね、そうはいってもですね、
耐えてることには違いないわけですから。
痛いことは痛いと感じてますが
ただ、痛みを目の敵にするのではなく、
必要以上に痛いと感じなくてすむように
できるだけ穏便にやりすごしたい。

意識的に、ことさらに、
浅はかな仕掛けを算段するよりは
体の主体的活動を認めて
その活動をいたわるような過ごし方をして
協力(後方支援?)する方が
体はうれしがるような気もしますし。


状況はつねに動いています。
安定とは、じつは不安定の一部に
すぎないのではないか。
不安定であることの方が
むしろ日常そのものなんじゃないのかなぁ。
“安定感”っていうのは
安定してるかのようにみえるくらいの不安定さ
というのが実態だったりするのかも。


噛み合わせ調整機能、自然発揮!?

2009-09-22 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
それは突然に始まりました。

先週のはじめ、睡眠中のできごとです。
顎がはずれたかと思うほど
ガクンと下顎が下がりました。
突然のことに思わず目が覚めました。

別に顎がはずれたわけではないことを
確認してひと安心。
痛みがあるわけでもないし、いったい何が…?
ん? この感じは???

一種の脱力状態みたいでした。
どうも顎あたりに無意識に入っていた無用の力が
何かの拍子にスコンと抜けたらしいのです。
これまで気づけていなかった緊張が解けたみたい。

なんとまぁ、ラクチンなこと。
どうして下顎を持ち上げようとしていたのかなぁ
それもすごく疲れる状態で。
その状態とは上下の歯を噛み合わせることなく
ただ下顎だけを持ち上げるというもの。
それを延々とやっていたというわけです。

なんかアホみたい…

でも、なんでそんなことを?
そうしないと口が開いてしまうから?
でもね、今みたいにラクチンにしてても
口はちゃんと閉じているんです。
半開きにもなっていません。

やっぱアホや!



それからは顎(顔も含めて)の緊張を
意識するようになり
すると日常の体の動き方にも
少しずつ変化がでてきたような気が。
過度の緊張が解けると
こんなにも自由度が増すのかなと
思っていたところへ、再び大変化が。

しばらくお休みしている歯科通い。
噛み合わせの調整をしているのですが
緊張が強くてあまり調整が進まずにいました。
ところがこの変化が引き金になったのか
なんだか噛み合わせが
変わってしまったみたいなのです。

どうもいままで当たっていた所と違う所が
当たり出したようで
あちこち痛みに似た刺激が出てきました。
歯医者さんで調整をしてもらった後に
しばらく感じるものと、よく似ています。
首筋や肩にも緊張が現れています。

そういえば、土曜の教室での練習では
体が気持ち悪いくらいに勝手に動いてしまい
変だなぁ、いつもと違うなぁと思ったし。

噛み合わせの変化が一連の現象の要因(背景?)とは
一概には決められませんが、
何かしらのきっかけにはなっているみたいです。
連鎖反応というのかしらん。
しかも変化が勝手にというか
自然に起こってます。
自分が直接変化させたわけじゃない。
主体的にしたことといったら
たぶん意識し続けてたことくらい?

それにしてもゆるむってすごい

柔と痛との狭間

2009-09-05 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
今週からちょっとトライしている
ストレッチ(といっていいのかなぁ)があります。


仰向けに寝て両足を肩幅に開き、
両腕は体の横に自然に伸ばしておきます。

まず片足の膝を折り曲げて立てます。
(もう片方の足はそのまま伸ばした状態)

つぎに折り曲げた足の踵で床を押します
(床を踏みつける感じ)。

すると折り曲げた足側の骨盤から腰、背中と
徐々に上に持ち上がってきます。
(床から離れて持ち上がってくるにつれ
ちょうど脊柱を軸にして体を回転したくなってきます)


適当なところで踵の力を抜くと
持ち上がっていた部位がストンと床に落ちます。



すごく単純な動作なんですが
腰痛や坐骨神経痛が出る左側は
思いのほか動けませんでした。
つまり踵を踏みつけても
骨盤帯や股関節周りが強ばっていて
持ち上がるときに突っ張る
(筋肉が縮こまっている=緊張している)感じです。
だから動きもぎこちなくて
ひっかかりのある動きになります。
ちなみに右足側は難なく自然に持ち上がり
ストンと落ちます。

やっぱりこれかぁ…
いつも気になっているところです。

ここがゆるみかけてくると
突然に腰や膝が抜けそうになって
足指まで針で刺すような痛みが走るのです。
それはそれは、気持ちの悪い
いや~な感じです。

それでもこの動作を何日か続けていたら
腰部や臀部が柔らかくなってきましたが、
それに呼応するように
針を刺すような痛みも感じやすくなったり。
つまり、この部位をかためることで
可動域を狭くさせて痛みを感じにくくさせていた
ともいえるわけです。
それを柔らかくするということは
いままでよりも痛みを感じやすくさせてるようなもの。
表裏一体だからこその平衡感覚(バランス)。

陽気もあまりよいとはいえない時期ですし、
それ相応に慎重に。
ただしのぐことに徹することも
またひとつの選択です。

状況は刻々と変わるのですから
不都合が不都合でなくなる可能性は
いくらでもあるということです。

状況の見方・捉え方しだいで
良好だったりそうでなかったりするのなら
愉快になれる方がいいですもんね。
日日是好日って
そんなことの積み重ねなのかも。

やっぱり一日に一度は
自身と向き合う時間を持ちたいなぁ

しのげばいい

2009-09-01 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
練習メモのかたすみに
書き残されていた数行のことばです。


 何もできないなら しのげばいい
 そのうちに何か起こるし
 起きなければ しのぎきったってことです



しのぐイメージとして真っ先に浮かぶのは
私ならば暴風に晒されている樹木でしょうか。
風の勢いを直接受ける部分では
抵抗せずに風の赴くままに
枝葉をなびかせながらやりすごし、
根っこにかかる負荷を減らして
倒れないように(生き延びようと)します。
そして根っこの部分も可能な限り耐えています。

粘っこい感じ。
もしくは節度ある抵抗とでも
いえばよいのでしょうか。



それにしても…
誰のことばなのかしらん。
いつ、どこで(このことばと)出会い、
どうして書き留めようと思ったのか
さっぱり思い出せません。
だけど間違いなくそのときのわたしは
このことばに何かを感じ、
忘れたくなくて書き留めたのだと思います。

うーん、こんなことが
だんだん多くなっていくのね…orz