松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

緊張とつきあう

2013-10-29 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
緊張とのつきあいは、もの心ついた頃から
すでに始まっていたように思いますが、
自分の緊張体質を明確に意識し始めたのは
過呼吸の発作をおこした頃からでした。


太極拳導引を始めた当初
師から毎回のように指導されてきたのが
リラックス、力を抜くことでした。
まったくできませんでした。
そもそも力の抜けた状態がどのようなものなのか
想像もつかないし、わかりませんでした。
緊張で凝り固まってしまってたから
感覚もマヒしていたのかもしれません。
そんな解決の糸口さえも見つけられない状態が
何年も続きました。
そしてあるとき、いつもと何だか違う感じがする
今までに味わったことのない感覚に
ふと気づいたのです。
自分の緊張をはじめて自覚できた瞬間です。

師から受けた指導を改めて振り返ってみると、
形、姿勢をととのえることで
うまく機能できずにいた緊張への意識を
目覚めさせようとしていたのかなと想像しています。
(師に確認したわけではないので
これはあくまで私の個人的見解です)

まずは見た目の緊張感が緩和されるような
姿勢や形態に改める(変える)。
外見の変化は鏡などを利用することで
自分でもチェックしやすくなります。
指導前と指導後の型の違いや
見た目の雰囲気の変化などから
体感ではわからなくても
とりあえず何かが違って見えることを
確認できるようになってきます。
このような練習を重ねているうちに
本人が内なる変化に気づくまでの変化を
師はみているのかもしれません。


こうして自身の緊張ぐあいを
自覚できる段階には到達しましたが、
今度は緊張状態を自覚できてはいても
その対処法がつかめてない段階に突入です。

緊張はどうも頭(脳)が
つくってるのではないのかなと
最近の私は想定していたりします。
すべての緊張が悪い訳じゃない。
たとえば集中力も緊張状態のひとつですが
一般的には好感をもって
受容されているような気がします。
他者に緊張感を与えるかどうかで
緊張の好感度は変わってくるのでしょうか。
ならば緊張を目の敵にせず
利用すればいいのです。
こうした発想、視点の転換は
身体的な練功だけでなく
頭の練功も必要だろうなと考えています。


導引的なみかたをすれば
ほどよい緊張にととのえるとでも
いえばよいのでしょうか。
そのような意識の働かせ方を
探求することになるのかななどと
思ったりもしてますが
さて、どうなることやら…


練習メモ(部位06)

2013-10-20 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今月の課題は「部と位」。
もう何度となく繰り返しているが
それでもまだまだ気づくことは多い。
理解したつもりでいたことが
振り出しに戻ったり
再確認することで深まったり。
じつに愉しい。


師からかけられた一言から
左の腸腰筋を意識して動いてみている。
広くとらえるとするなら左下肢。
もともと緊張感が出易い質なのだが
身体の左側にその傾向が強くみられる。


部としては
腸腰筋、下肢の動き方の観察かな。
筋肉の状態によって関節の動き方も決まる。
位としては
筋膜に包まれた塊レベルとしてのイメージか。
収縮、伸展をイメージしてみる。
どうやらこのイメージ力が進化してきたらしく
意識とイメージの連携がスムースになってきたのかも。


頭では左右差をなくそうと考えていたが
観察しているうちに
じつは左右の役割が違ってるんじゃないかという
発想がでてきた。

例えば指先のケース。
キャップや蓋を開けるなど、
強い力を要す動きは右の方が得意
物に触れたときの繊細な感覚は左の方が敏感(得意)
というようなみかた(分析)をしている自分に
気づいたのだった。

これまでなら握力の弱い左を使いこむことで
右に近づけようとすることに意識が向いてたと思う。
だが、もし握力の強さを得るのと引き換えに
繊細な触覚が鈍るのだとしたら…?
そんな発想がうまれ意識するようになってきた。

バランスのみかたが多面的になってきたというか、
現況を受けいれやすくする見え方・捉え方(思考)を
ひとつの思考回路として獲得しつつあるのかな。
だとしたらこれは何だかうれしいぞ。

おそらく観察し続けているうちに
腸腰筋の事情なり方策もわかってくるのではないか。
なんとかしなくちゃという切実さや焦りはない。
心持ちのランク?が違うような気がする。


これまで「伸びしろ」なんてことを
実感したことはなかったけれど
どうやらまだ進化できそうな気がしてきた。
ここにきて師に確認したいことが
いろいろと出てきているのもなんだか久しぶり。
そろそろ新たな(課題の)種を蒔きたくなっているのかな。



練習メモ(雑感あれこれ)

2013-10-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
導引的視点による鍛錬の内容、要求に対する理解が
また少し変わってきたように感じている。

内への意識という表現で要求されるものが
太極拳の要諦を理解する上で
基礎となる感覚を磨けるような土壌を
ゆっくりじっくり養ってくれているようだ。
太極拳は心身の整合性の機微を
動き方を通して感じることができる。

太極拳を理解する上で武術的要素も欠かせないが
体鬆心静の状態を味わうことを第一とするのが
太極拳導引の神髄なのかもしれない。
もしかしたら太極拳導引には
敵という概念がないのかも。
意は協調に用いる。
ことばにするのはなかなか難しい感覚的な思考。
師に言わせれば哲学といわれる類いとのこと。


師の動きを見て真似ることが学びだった。
いまは師の意を感じ取ろうとしている。
師がいま何をしようとして動いているのか、
師が何を考え求めているかを味わいたいと思う。
そして自分は何をしようとして動くのかを
明確にしてから動くことを繰り返す。
無意識に行う所作を減らそうと
日常的に意識しようとつとめてみる。
こうした日々の繰り返しが
習慣化した所作や思考回路に気づかせてくれる。
クセは個性。己を知る好機。

仲間の練習や表演でもそこをみている。
それぞれの“らしさ”が表れていて
しかも毎回違ったみえかたをする。
日々変わる天候や
時々刻々と姿を変える雲にも
もしかしたら天の意があるのでは?と思ったりする。
自然界と自分との共通性を思い巡らす。
たのしみ方も増えてきたな。

昨今の陽気の変動の激しさに
心身が翻弄されているのを感じている。
自分の場合は緊張の程度で
それがわかる。

感覚が敏感になっても
それに振り回されているようでは
まだまだ意識が足りないのだなと思う。