松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

正座で呼吸導引をしてみた

2006-07-27 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
ひょんなことから正座してみたところ
予想以上に腰が据わるのにビックリしてしまった。
正座は膝に悪いとか、いろいろいわれているけれど、
以前にも腰痛の苦しさに思わず正座してみたら
痛みが軽くなったような感じがしたことも
あったような気も…。

正座では確かに骨盤は立つのだけれど、
骨盤の巻き上げとはちょっと違う感じかもしれない。
自分の場合の正座は足指を重ねず、
坐骨の下に踵がくるように膝を開いたすわり方。
こうすると骨盤の巻き上げた状態を
意識しやすい気がする。
しかも上体の力が自然に抜けている気が…。
どうも骨盤が立つことで肩胛骨が自然に下りるみたい。
このため首の付け根が解放されて
自然に首が頭とのバランスをとっている感じ。
つまりいつもの牽引のイメージが
自然に近い感じで作られているような…。
やはり正座は日本人の伝統だったのかしらん。
日本の武道が正座を重んじるのも
そこに意図的なものがあるのだろうか。

正座で呼吸導引を行ってみると
腹部の緊張が緩和されているらしく、
横隔膜が気持ちよく動く。
そのため深い呼吸ができているような気がする。
ただし最大の難点は足が痺れること。
それと膝が悪い人には不向きなことかな。

これをいつもやろうとまでは思わないけれど、
たとえば緊張感が抜けないときなどに
チェックを兼ねてやってみるのもいいかなと
思ったりしている。


伝統楊式からみえてきたもの

2006-07-23 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
現在、水曜専科クラスでは伝統楊式の套路練習を行っている。
そろそろ半年くらいになるのだろうか。
始めたばかりの頃は同じ動作名称でも
伝統楊式と24式との動きの違いに戸惑ったり、
その動きの細かさに
身動きがとれなくなりそうな感じすらしていた。


伝統楊式の緻密な動きの流れを理解していく上でも
力を抜くことは大事。
無駄な力の存在は体で動きを理解するときに
微妙な感覚の変動を覆い隠してしまう。
そのために意識の加減がうまくいかずに
動きの過不足を生み、
窮屈な思いをしてみたり緊張感となっていくらしい。
力が抜けて、ようやく体で納得できたみたいな気がする。

体の中心から動くということは、
どうやらもともと自然に行っていたものらしい。
今までは単に意識できていなかったということかと。
いまは体が本来持っている動きを
意識していければいいかなとも思ったりしている。

大会を見てきました

2006-07-20 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
先日、東京体育館で
武術太極拳連盟主催の全国大会が開催されました。
なんだかんだといいながら
観覧するのも4回目くらいになるのかも。
今年はあまりゆっくりしていられなかったのですが、
陳式と楊式の一部を見てきました。

陳式は男性しかみられませんでしたが、
それぞれの風格の違いを楽しめたと思います。
ネットで知り合った方は馬虹老師のお弟子さんです。
馬虹老師の演武は映像でしか拝見したことがないのですが、
老師直伝の演武は風格があり素晴らしかったと思います。
ご本人の談によれば、いろいろとあるようですが、
私なんぞ拝見しているときは
おそらく口あんぐり状態だったかも(笑)。

楊式は伝統式を始めたばかりですので、
できれば伝統88式を見たかったのですが、
女子の規定套路しか見られませんでした。

陳式のわかりやすさに対して
楊式の淡々と流れて行く套路は、
ややもすると単調に思えてきてしまうのですが、
それでも目が慣れてくると選手の意識の差がわかってきます。
いま専科クラスの筆頭要求である松と軽についても、
選手の動きを見ていると随分と差があるようです。
それっぽい感じの人とほんとうにその状態にある人とでは
同じように動いていて流れているようにみえても
状態の違いが私でもわかってきます。
おもしろいです。
たぶん自選種目であれば、もっと顕著に現れていたのかも。

翻って自分の場合はまだまだ動作を覚えることで手一杯です。
ですが、松、静の状態にあることが第一義なわけですから
そうもいってはいられません。
放松はやってもやっても
まだ抜ける、まだ抜けるの繰り返し。

ただ最近になって
自分の意識の仕方が変化するにつれて
いままでの身体操作では違うのではないかと
思うこともでてきました。
間違ったことをしていたのかどうなのか、
このあたりになると自分ではよくわかりません。
といって先生に確認するにしても、
あまりに微妙な感覚だったりすると
いったいどのように伝えればいいのかも
わからなかったりして。
とりあえず練習中に目立って注意はされていないので、
こんなものなのかなあと思ったりしています。

やってしまった

2006-07-09 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
久方ぶりの更新です。実は体調を崩しました。
こういうと中には
健康のために太極導引をやってるのにどうして?
といぶかしがる人もいたりするのですが、
崩れる時には崩れます。そういうものなんです。
このあたりの感覚は
日頃から習慣化して行うものを持っている人と
そうでない人とでは
少しばかり印象が違ってくるところかもしれませんね。

体調の崩れは現象です。
たまたまその人が快いと感じる健康状態の範囲を
超えてしまったようなものかもしれません。
今回は蓄積疲労が引き金となって
腰痛を悪化させてしまいました。

休養が足りなかったこと。
睡眠の質がよくありませんでした。
熱帯夜のような寝苦しい日々が続いたこともあります。

また、患部を中心にして
冷えているような感じがあったこと。
これは血行がよくない状態が続いていたと思われます。
暑い日が続くと皮膚に近い表面は
発汗作用によって冷たい感じになりますが、
私の言う冷えた感じとはもっと奥の内部の部分のことです。
意識導引を終えて
自己按摩をするときに腰あたりに手をそえてじっとしていると
じんわりと温かさが伝わっていくのがわかります。
心地よいと感じるのです。
血行がよくないということは、気の巡りも悪くなっていますから
気の循環も滞らせていることになります。
そしてこれがまた宿敵「緊張」の温床となるわけです。はぁ~

この状態を少しでも改善しようとして
ストレッチや導引を行うわけですが、
大本の疲労が残っていますから、
一時的にはラクになった気がしても
結果的には疲労をさらに増大させることになったらしいのです。

筋肉の状態がよくないのでしょう。
一日分の疲労を一晩で回復させられる範囲内に
とどめることが理想ですが、
今は過労の状態ですから極力疲労を避けることにして
休養優先にする必要があるということでしょうか。

今までだったら一日中休んだりしてしまうところですが、
それはある意味では緊急避難的な対処であって、
本来的には生活(生命活動)を行いながら
回復をはかることだと思います。
したがって様子をみながら
生活リズムを整えていくことになります。
そのためには活動範囲や量を控えるためには
いつものアイテムから取捨選択することになりますね。

ここにも多分、カギがあるはずなんです。
おそらくいままでの生活習慣を作ってきた自分の価値観みたいなものが
判断基準になると思うからです。
見直すということは、その基準からとなるのではないのか。
つまり、自分の意に反して
つらい選択をすることになる可能性もあるわけですよね。
これを自分の意志で判断するのが
コントロールなわけです。

すごく意味ある学習チャンスでもあるわけです。
ほんとにピンチの時こそチャンスは巡ってきているのかも。
そう信じて行えるか、それとも…。

これからしばらくの間、新しい価値を見出したり
視野を広げる学びの季節が巡ってきているのかもしれません。
一番考えたくないことが真っ先に浮かんでしまうほど、
臆病でもあるのですが、
考え過ぎもまた不安を呼びおこし七情に影響を及ぼします。

現象は現象であって感情とは切り離すべきものなのです。
ただし感情は無視できませんから、
一気に無にするのではなく、
控えるとかいくつかの段階を経て
移行させるくふうを含めてのコントロールだと思っていますが、
さて、どうなることやら…