○〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、矢野絢也…講談社…2011/10刊〟より
第二章 ブラックボックスだらけの学会会計
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◆学会の経理
料調の調査が入った聖教新聞社の建物は、東京.新宿区信濃町の学会本部から歩いて五分ほ
どのところにある。
創価学会は多数の外郭団体•関連営利企業を抱えており、法人として別人格のものが多い。
聖教新聞社もその名称から、独立した株式会社のように思われがちだが、あくまでも創価学会
という宗教法人の機関紙を発行する本部機構の一部門である。つまり宗教法人創価学会の直営
組織なのである。
だが学会の一部門とはいえ、その事業規模は日本の有名企業に引けを取らない。聖教新聞社
の収入の中心は公称五五○万部とされる新聞の購読料。それだけで年間一〇〇○億円以上の売
り上げがある。この他、銀行やゼネコンなど日本の大手企業が常連の広告料や、聖教新聞社が
出版する本などの売り上げもある。
創価学会の事業は収益事業、公益事業、墓苑事業の三つがあり、それに伴い会計も「収益事
業会計」、「公益事業会計」、「墓苑事業会計」の三つに分かれる。
聖教新聞の事業は課税対象の収益事業会計に計上されている。収益事業とは法人税法施行令
に規定された、物品販売や金銭貸付、不動産販売、運送、食庫、出版業など、三四項目の事業
を指し、宗教法人がこれらの事業を行う場合は法人税が課される。ただし営利を目的とした事
業ではないとして、税率は、企業の三七・五パーセントに対し二七パーセントの軽減税率が適
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用されてきた(現在は企業三○パーセントに対し二○パーセント)。
一方、学会における公益事業の収入は「財務」や「広布基金」と呼ばれる学会員からの寄付
金で、これが学会の最大の収入源になっている。私が八尋氏から聞いたところによると、料調
の税務調査が人る前年の一九八九年、学会には、毎年恒例の「財務」だけで一四○○億円の収
入があったとのことだった。会員からの寄付を中心とした公益事業会計は非課税で、誰がいく
ら寄付をしたかはむろんのこと、寄付金収入の総額や、それを何に使ったかも、いっさい税務
署に詮索されることなく自由に使える。それ以前の問題として、それら経理内容は世間への公
開もしないし、会員にもいっさい報告されないのである。
もう一つの「墓苑事業会計」は学会による墓苑販売事業に関わる会計だが、これについては
後述する。
創価学会の収益事業の中心は聖教新聞社の出版事業である。一九八九年の学会の収益事業の
申告所得は一○○億円あった。この申告所得額は同年の明治製菓や日本交通公社の申告所得を
凌ぐ規模である。また二〇〇三年の収益事業の申告所得一八一億円もイトーヨー力堂(一八六
億円)やKDDI(一八九億円)と肩を並べている。申告所得とは平たく言えば儲け高のこと。
聖教新聞社といぅ学会本部の一部門の事業だけで、学会は有名企業並みの儲けを出しており、
これに軽減税率が適用されているのだ。
聖教新聞社に足を踏み入れた料調の調査官四人は、学会側と交渉し、聖教新聞社一階に調査
のための部屋を一室確保した。だが、聖教新聞社内を歩き回ることは拒否され、必要な資料が
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あれば学会側に頼んで部屋に持ってきてもらうしかなかった。一室に閉じ込められ、手足を縛
られたも同然だった。八尋氏の言葉を借りれば「調査官の対応はこれ以上ないほど丁重だっ
た」そうだが、これは表向きのこと。後で国税庁幹部に聞いたところ「調査官たちのはらわた
は煮えくりかえっていた」という。
料調が学会本部ではなく聖教新聞社から調査に取り掛かったのは彼ら一流の作戦だった。い
きなり学会本部の調査を始めると、学会側は公益事業会計が非課税になっていることを盾に激
しく抵抗したはずだ。公明党も陰に陽に働きかけてくる可能性があった。しかし聖教新聞社の
事業は税金の申告義務があり、料調が税務調査を要求すれば学会が拒むことは難しい。そこで
料調は、聖教新聞社を足がかりに徐々に網を広げ、学会本部という本丸に迫る作戦を考えたの
だ。
料調が最初に手がけたのは聖教新聞社の幹部と職員全員の源泉徴収のチエックだった。源泉
徴収は給与・報酬を支払うときに企業・団体などが所得税などを差し引いて国などに納付する
制度で、企業•団体には全職員の源泉徴収の記録が保管されている。源泉徴収がキチンと行わ
れているかどうかを確認したいと言われれば学会側に断る理由はない。
源泉徴収を記録したものが源泉徴収票だが、それには聖教新聞社の職員や幹部の住所、氏
名、給与、賞与などの支払額と源泉徴収税額の他、役職名も記されており、これを見れば聖教
新聞社の組織の全体像をつかむことが可能だ。
後に料調は聖教新聞社の職員•幹部の源泉徴収票に続き、学会本部全体の職員•幹部の源泉
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徴収票の提出を要求してくるのだが、その狙いは学会本部の人員構成、人件費など経費の大枠
を把握し、学会本部の経理に踏み込む足がかりにするためだった。「マルサより怖い」という
定評どおり、さすがに料調の手口は周到でしたたかだった。
◆「矢野さん、頼む」
税務調査が始まった六月二六日、大蔵省人事会議で新事務次官などの人事が決定した。この
日の人事では平澤事務次官と水野国税庁長官の勇退が決定。後任の事務次官には小粥正巳主計
局長が、国税庁長官には角谷正彦証券局長がそれぞれ昇格することが決まった。また主計局長
には保田博氏が就任し、主税局長は尾崎護氏が留任した。
新しい大蔵省•国税庁首脳陣はいずれも私と旧知の間柄で、彼らと長い間の交流があるのは
学会•公明党では私だけだった。いよいよ私は国税工作の矢面に立たされることになったのだ
が、頼まれる大蔵、国税の幹部は、間違いなく私以上に迷惑千万だったはずだ。
学会が通常のルールに従って粛々と協力すれば税務調査は短期間に終わる。ところが実際
は、学会があれこれ理由をつけて調査を妨害し、調査はいっこうにはかどらない。現場には当
然、不満がたまるので、国税の上層部が現場をなだめなければならない。しかも学会を怒らせ
たら公明党を動かして国会で法案審議の妨害をやりかねない。国税庁にとって税務調查に抵抗
する学会は無理難題を押し付けてくる厄介極まりない相手だったはずだ。
大蔵省高官は私が交渉に関わることを知ると、私のことを心配しながら「放っておいたほう
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が得策ですよ。学会のためにもなる」と力説した。いまから考えると、高官たちの忠告は至極
もっともな話だった。
私は国会議員である。国会議員は国民の代表として、税の徴収や分配の大本となる法律を定
める重要な立場にある。その国会議員が課税問題を巡り国税当局に脱税交渉まがいの裹工作を
するなどということは、国の税制度の根幹を揺るがしかねない犯罪的な行為であり、けっして
許されることではない。
私はそれを承知で、信心の名の下、池田氏を守るために裏工作に携わってしまった。私は自
分のやっていることに煩悶した。いまでも当時のことを思い出すたびに苦い思いが体の中をせ
り上がってくる。だがこのときは池田氏にお世話になったという気持ちが私の背中を押した。
私は三五歳の若輩で衆議院議員に当選し公明党の書記長に就任した。以来二○年もの長きにわ
たって書記長を務め、委員長も三年やった。池田氏に引き立てていただいたお蔭である。私
は、ひとかたならぬご恩を受けてきた池田氏への最後のご奉公のつもりで国税庁との裏交渉を
引き受けてしまったのだ。
大蔵省首脳人事が決まったこの日、私は公明党本部で八尋氏の要請で緊急協議をした。
「完全な準査察であり国税当局の態度は硬化している。聖教新聞がらみの調査が終わり次第、
公益会計と収益会計の決算害と伝票を出せと要求している。対応はこれ以上ないぐらい丁重だ
が、学会のすべての経理を出せと言っているに等しい」
八尋氏は危機感を募らせながら、東京国税局の狙いをこう推察した。
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「第一が学会の経理資料の入手、第二は何か特定の夕ーゲットをもって、その裏付けをやると
いうことではないか。どうも二番目のょうな気がする。というのも四○人もいる学会の責任役
員の中から前経理局長の名前を指して〝いまの役職は何か〟と聞いてきたからだ。学会の役職
などの内情をかなり知っている。夕レコミがあるとしか思えない」
中西氏や江戸川税務署の件は「不思議なくらい出なかった」という。
国税庁は、宗教法人の会計決算書の提出について一九八一年に、収益事業会計だけでなく公
益事業会計の損益計算書または収支計算書の作成と提出を宗教法人に求める通達を出した。し
かし、この通達には強制力がなく事実上、有名無実だった。学会も、国税庁に公益事業会計の
関連資料を提出したことはなかった。
なお、その後の一九九五年の宗教法人法の改正により、すべての宗教法人に対し、「役員名
簿」と「財産目録」の提出(都道府県など所轄庁向け)が義務付けられ、年間収入が八○○○
万円を超えている宗教法人は収支計算書の提出も義務付けられている。ただし、貸借対照表は
「作成している場合のみ」提出することになっていて作成していなければ提出義務はない。
ところがこのときの税務調査では、料調の調査官が公益事業会計の決算書類などを出せと言
ってきた。もちろん、学会にとって初めての経験である。国税当局の本気がうかがえた。
「森田理事長は〝自分の時代にこういうことになり貴任を感じている〟と言っていたが、秋谷
氏は強硬だ。私も決算書などの提出を拒否するつもりだが、もし特別な狙いがあるとしたら強
制調査もあり得る。国税側は続参院議員には丁重だったが本当の狙いはわからない……」
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八尋氏が不安気に続けた。
「料調は七月五日にまた来ると言っていた。その後、夏休みを挟んで九月ごろには伝票を調べ
たいとも言ってきた。今年一杯はかかりそうだ。一七年間も調査がなく、しかも初めて東京国
税局が来た。学会は巨大な組織だし、金額も大きいから税務綢査にくるのは当然とも言えるが
……。秋谷会長に相談したが矢野さんに頼むしかないということだった」
「池田先生を守るためだ。助けてくれ」と頼む八尋氏に、私は「経理処理が正当であれば、池
田先生に迷惑はかからないのでは」と反問した。八尋氏は「それがそうでないから助けてくれ
と言っている」と繰り返した。
また「矢野さんに頼む」か。私は心の中で舌打ちしながら、大蔵省・国税庁の首脳と歓送迎
会をする予定になっていたことを思い出し、「たまたま来週、大蔵•国税首脳と私で新旧歓送
迎会をやることになっているので、そこで少し状況を聞いてみるか」と何気なく話した。する
と八尋氏は身を乗り出して「ぜひそこへ私を連れて行ってほしい」と何度も頼み込んだ。
◆旨みの大きい墓苑事業
私は戸惑った。八尋氏を同行させると大蔵省•国税庁幹部が反発するのは目に見えていた。
税務調査の対象団体の当事者と、その団体の番犬とも言うべき国会議員同席のうえで会うこと
は彼らにとって受け入れがたいはずだ。もしそのことが外に漏れたりすると、とんでもないこ
とになるのは明らかだった。傍目には、八尋氏を私が同行させることは政治家による税務調査
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への圧力以外の何物でもないはずだ。
だが一方で私は、八尋氏に同行してもらったほうがいいかもしれないとも考えた。私には学
会の経理はわからないし税法も詳しくない。専門用語や概念を咀嚼できず、誤った理解をして
国税庁と学会双方に迷惑をかける恐れもあった。また交渉の際、国税庁に学会の特殊な体質を
理解してもらうのは容易でないと予想された。よい話は喜んで聞くが、都合の悪い話には耳栓
をして、何かあると逆恨みするのが学会の体質で、何事も池田氏の判断次第で決まるので道理
が通用しないことも往々にしてある。
こうした学会の体質は外部の人にはなかなか理解できない。たとえ国税庁首脳に学会の事情
を説明し、国税庁案ではまとまらないとの見通しを私が伝えても、学会のこういう体質がわか
らない人には「国税庁を妥協させようとして学会内部の反発や抵抗を実態以上に大袈裟に伝え
て、脅しているだけではないのか」と曲解される恐れが十分にあった。それならいっそのこ
と、国税庁首脳のストレートな考えを八尋氏ら学会首脳が直接聞いたほうが調整がスムーズに
進むように思えた。何よりも学会内部の問題は学会で処理してほしかった。小ズルイと言われ
ればそれまでだが、後のことを考えると八尋氏と国税との間にパイプがあるほうがよいという
判断もあった。私は迷った挙げ句、八尋氏の同行を承諾した。
八尋氏は大喜びだったが、すぐに不安気な顔に戻り、こうつぶやいた。
「学会では墓苑事業会計は公益会計になっているが、他宗教では営業(収益)会計扱いにして
いる。これは今後、問題になるだろうなあ……」
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学会の墓苑事業会計をこれから料調が突いてくるだろうと八尋氏は予想したのだが、これは
私も同意見だった。
先に創価学会の会計には三つあり、その一つが墓苑事業会計だと書いたが、墓苑事業の中に
は、墓石販売など課税対象になるものが含まれていた。ところが、当時、学会は墓苑事業すベ
てを非課税の公益事業扱いにして、墓石販売などについてもいっさい税金を支払ってこなかっ
た。
普通、人が亡くなると、遺族は墓地用の土地を宗教法人などから借り、その対価として永代
使用料を払う。これは税法上「墳墓地の貸付」として非課税になっている。一方、墓石は遺族
が石屋から買い、石屋は墓石を売った収益分の税金を申告納税するのが一般的だ。では学会の
墓苑はどうなっているかというと、非課税の永代使用料(土地の貸付代)に、墓石など本来な
ら課税対象となるものを一緒くたにして販売している。
墓石と地中に埋まったカロート(納骨室)は永代使用料とはまったく別物で、本来なら収益
事業扱いにして税金を納める義務がある。八尋氏が「他宗教では営業会計扱いにしている」と
発言しているょうに、学会側は、これまで税務調査が入らなかったのをいいことに、不正を承
知で税金を払ってこなかったのだ。
学会は一九七七年の戸田記念墓地公園(北海道厚田村〔現石狩市〕・四万五〇○〇基)を第一号
に、税務調査時点で全国に六ヵ所の巨大墓苑を開発、墓の数は合計二四万基に達していた。墓
苑の造成費用は主に学会員の財務(寄付金)で賄い、墓が完成すると永代使用料と墓石代など
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をセットで一基約四○万円から九〇万円ほどで学会員に販売してきた。学会は自腹を切らず丸
儲けである。しかも池田氏が「墓を多く持つほど偉い」と墓地購入を推奨したため、一世帯で
いくつもの墓を購入する学会員も珍しくなく、かくいう矢野家も全国にいくつか墓を持ってい
て、中には遠くて一度も足を運んだことのない墓もある。
まさに墓苑は学会にとって〝金のなる木〟だ。料調がこの問題を黙って見過ごすはずがなか
った。
六月二九日、私は国税庁の水野長官と電話で話した。水野氏はこの日を最後に角谷氏と交替
することになっていた。
学会の税務調査という厄介な問題の引き継ぎを、長官としての最後の仕事にしてしまい、私
は水野氏に対して済まない気持ちで一杯だった。「最後の最後まで申し訳ない」と、私は心か
ら謝った。
水野氏が東京国税局に聞いてくれたところにょると、今回は「公益会計全部の調査のお願い
はしていない。出してほしいのは公益会計の収支計算書だけ。ただし墓苑会計については、か
なり関心があるようだ」ということだった。
水野氏が公益事業会計資料の提出に言及したため、私は八一年の国税庁通達を引き合いに出
して「通達は全面的に資料を提出しろということではないはず」と質したが、水野氏は「通達
は、必要があれば公益会計全体の資料の提出を求めるというのが基本的立場で、それは変わっ
ていない。しかし、いまは部分的に協力してほしいとお願いしている」と、やんわりかわした。
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────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
今回のコメントは〝仏のじっちゃん〟です。元バリ活さんでもありました。
じっちゃん…「〝バリ活〟貶すな来た道ダ!!〝非活〟誹るな、行く道ダ!!‥‥」
‥‥ん?…まだ、あるんですか?‥‥
じっちゃん…「バカは死んでも直らない!!‥池田の勝ち!!‥」
‥‥ありがとうございました。
第二章 ブラックボックスだらけの学会会計
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◆学会の経理
料調の調査が入った聖教新聞社の建物は、東京.新宿区信濃町の学会本部から歩いて五分ほ
どのところにある。
創価学会は多数の外郭団体•関連営利企業を抱えており、法人として別人格のものが多い。
聖教新聞社もその名称から、独立した株式会社のように思われがちだが、あくまでも創価学会
という宗教法人の機関紙を発行する本部機構の一部門である。つまり宗教法人創価学会の直営
組織なのである。
だが学会の一部門とはいえ、その事業規模は日本の有名企業に引けを取らない。聖教新聞社
の収入の中心は公称五五○万部とされる新聞の購読料。それだけで年間一〇〇○億円以上の売
り上げがある。この他、銀行やゼネコンなど日本の大手企業が常連の広告料や、聖教新聞社が
出版する本などの売り上げもある。
創価学会の事業は収益事業、公益事業、墓苑事業の三つがあり、それに伴い会計も「収益事
業会計」、「公益事業会計」、「墓苑事業会計」の三つに分かれる。
聖教新聞の事業は課税対象の収益事業会計に計上されている。収益事業とは法人税法施行令
に規定された、物品販売や金銭貸付、不動産販売、運送、食庫、出版業など、三四項目の事業
を指し、宗教法人がこれらの事業を行う場合は法人税が課される。ただし営利を目的とした事
業ではないとして、税率は、企業の三七・五パーセントに対し二七パーセントの軽減税率が適
────────────────改頁──────65
用されてきた(現在は企業三○パーセントに対し二○パーセント)。
一方、学会における公益事業の収入は「財務」や「広布基金」と呼ばれる学会員からの寄付
金で、これが学会の最大の収入源になっている。私が八尋氏から聞いたところによると、料調
の税務調査が人る前年の一九八九年、学会には、毎年恒例の「財務」だけで一四○○億円の収
入があったとのことだった。会員からの寄付を中心とした公益事業会計は非課税で、誰がいく
ら寄付をしたかはむろんのこと、寄付金収入の総額や、それを何に使ったかも、いっさい税務
署に詮索されることなく自由に使える。それ以前の問題として、それら経理内容は世間への公
開もしないし、会員にもいっさい報告されないのである。
もう一つの「墓苑事業会計」は学会による墓苑販売事業に関わる会計だが、これについては
後述する。
創価学会の収益事業の中心は聖教新聞社の出版事業である。一九八九年の学会の収益事業の
申告所得は一○○億円あった。この申告所得額は同年の明治製菓や日本交通公社の申告所得を
凌ぐ規模である。また二〇〇三年の収益事業の申告所得一八一億円もイトーヨー力堂(一八六
億円)やKDDI(一八九億円)と肩を並べている。申告所得とは平たく言えば儲け高のこと。
聖教新聞社といぅ学会本部の一部門の事業だけで、学会は有名企業並みの儲けを出しており、
これに軽減税率が適用されているのだ。
聖教新聞社に足を踏み入れた料調の調査官四人は、学会側と交渉し、聖教新聞社一階に調査
のための部屋を一室確保した。だが、聖教新聞社内を歩き回ることは拒否され、必要な資料が
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あれば学会側に頼んで部屋に持ってきてもらうしかなかった。一室に閉じ込められ、手足を縛
られたも同然だった。八尋氏の言葉を借りれば「調査官の対応はこれ以上ないほど丁重だっ
た」そうだが、これは表向きのこと。後で国税庁幹部に聞いたところ「調査官たちのはらわた
は煮えくりかえっていた」という。
料調が学会本部ではなく聖教新聞社から調査に取り掛かったのは彼ら一流の作戦だった。い
きなり学会本部の調査を始めると、学会側は公益事業会計が非課税になっていることを盾に激
しく抵抗したはずだ。公明党も陰に陽に働きかけてくる可能性があった。しかし聖教新聞社の
事業は税金の申告義務があり、料調が税務調査を要求すれば学会が拒むことは難しい。そこで
料調は、聖教新聞社を足がかりに徐々に網を広げ、学会本部という本丸に迫る作戦を考えたの
だ。
料調が最初に手がけたのは聖教新聞社の幹部と職員全員の源泉徴収のチエックだった。源泉
徴収は給与・報酬を支払うときに企業・団体などが所得税などを差し引いて国などに納付する
制度で、企業•団体には全職員の源泉徴収の記録が保管されている。源泉徴収がキチンと行わ
れているかどうかを確認したいと言われれば学会側に断る理由はない。
源泉徴収を記録したものが源泉徴収票だが、それには聖教新聞社の職員や幹部の住所、氏
名、給与、賞与などの支払額と源泉徴収税額の他、役職名も記されており、これを見れば聖教
新聞社の組織の全体像をつかむことが可能だ。
後に料調は聖教新聞社の職員•幹部の源泉徴収票に続き、学会本部全体の職員•幹部の源泉
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徴収票の提出を要求してくるのだが、その狙いは学会本部の人員構成、人件費など経費の大枠
を把握し、学会本部の経理に踏み込む足がかりにするためだった。「マルサより怖い」という
定評どおり、さすがに料調の手口は周到でしたたかだった。
◆「矢野さん、頼む」
税務調査が始まった六月二六日、大蔵省人事会議で新事務次官などの人事が決定した。この
日の人事では平澤事務次官と水野国税庁長官の勇退が決定。後任の事務次官には小粥正巳主計
局長が、国税庁長官には角谷正彦証券局長がそれぞれ昇格することが決まった。また主計局長
には保田博氏が就任し、主税局長は尾崎護氏が留任した。
新しい大蔵省•国税庁首脳陣はいずれも私と旧知の間柄で、彼らと長い間の交流があるのは
学会•公明党では私だけだった。いよいよ私は国税工作の矢面に立たされることになったのだ
が、頼まれる大蔵、国税の幹部は、間違いなく私以上に迷惑千万だったはずだ。
学会が通常のルールに従って粛々と協力すれば税務調査は短期間に終わる。ところが実際
は、学会があれこれ理由をつけて調査を妨害し、調査はいっこうにはかどらない。現場には当
然、不満がたまるので、国税の上層部が現場をなだめなければならない。しかも学会を怒らせ
たら公明党を動かして国会で法案審議の妨害をやりかねない。国税庁にとって税務調查に抵抗
する学会は無理難題を押し付けてくる厄介極まりない相手だったはずだ。
大蔵省高官は私が交渉に関わることを知ると、私のことを心配しながら「放っておいたほう
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が得策ですよ。学会のためにもなる」と力説した。いまから考えると、高官たちの忠告は至極
もっともな話だった。
私は国会議員である。国会議員は国民の代表として、税の徴収や分配の大本となる法律を定
める重要な立場にある。その国会議員が課税問題を巡り国税当局に脱税交渉まがいの裹工作を
するなどということは、国の税制度の根幹を揺るがしかねない犯罪的な行為であり、けっして
許されることではない。
私はそれを承知で、信心の名の下、池田氏を守るために裏工作に携わってしまった。私は自
分のやっていることに煩悶した。いまでも当時のことを思い出すたびに苦い思いが体の中をせ
り上がってくる。だがこのときは池田氏にお世話になったという気持ちが私の背中を押した。
私は三五歳の若輩で衆議院議員に当選し公明党の書記長に就任した。以来二○年もの長きにわ
たって書記長を務め、委員長も三年やった。池田氏に引き立てていただいたお蔭である。私
は、ひとかたならぬご恩を受けてきた池田氏への最後のご奉公のつもりで国税庁との裏交渉を
引き受けてしまったのだ。
大蔵省首脳人事が決まったこの日、私は公明党本部で八尋氏の要請で緊急協議をした。
「完全な準査察であり国税当局の態度は硬化している。聖教新聞がらみの調査が終わり次第、
公益会計と収益会計の決算害と伝票を出せと要求している。対応はこれ以上ないぐらい丁重だ
が、学会のすべての経理を出せと言っているに等しい」
八尋氏は危機感を募らせながら、東京国税局の狙いをこう推察した。
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「第一が学会の経理資料の入手、第二は何か特定の夕ーゲットをもって、その裏付けをやると
いうことではないか。どうも二番目のょうな気がする。というのも四○人もいる学会の責任役
員の中から前経理局長の名前を指して〝いまの役職は何か〟と聞いてきたからだ。学会の役職
などの内情をかなり知っている。夕レコミがあるとしか思えない」
中西氏や江戸川税務署の件は「不思議なくらい出なかった」という。
国税庁は、宗教法人の会計決算書の提出について一九八一年に、収益事業会計だけでなく公
益事業会計の損益計算書または収支計算書の作成と提出を宗教法人に求める通達を出した。し
かし、この通達には強制力がなく事実上、有名無実だった。学会も、国税庁に公益事業会計の
関連資料を提出したことはなかった。
なお、その後の一九九五年の宗教法人法の改正により、すべての宗教法人に対し、「役員名
簿」と「財産目録」の提出(都道府県など所轄庁向け)が義務付けられ、年間収入が八○○○
万円を超えている宗教法人は収支計算書の提出も義務付けられている。ただし、貸借対照表は
「作成している場合のみ」提出することになっていて作成していなければ提出義務はない。
ところがこのときの税務調査では、料調の調査官が公益事業会計の決算書類などを出せと言
ってきた。もちろん、学会にとって初めての経験である。国税当局の本気がうかがえた。
「森田理事長は〝自分の時代にこういうことになり貴任を感じている〟と言っていたが、秋谷
氏は強硬だ。私も決算書などの提出を拒否するつもりだが、もし特別な狙いがあるとしたら強
制調査もあり得る。国税側は続参院議員には丁重だったが本当の狙いはわからない……」
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八尋氏が不安気に続けた。
「料調は七月五日にまた来ると言っていた。その後、夏休みを挟んで九月ごろには伝票を調べ
たいとも言ってきた。今年一杯はかかりそうだ。一七年間も調査がなく、しかも初めて東京国
税局が来た。学会は巨大な組織だし、金額も大きいから税務綢査にくるのは当然とも言えるが
……。秋谷会長に相談したが矢野さんに頼むしかないということだった」
「池田先生を守るためだ。助けてくれ」と頼む八尋氏に、私は「経理処理が正当であれば、池
田先生に迷惑はかからないのでは」と反問した。八尋氏は「それがそうでないから助けてくれ
と言っている」と繰り返した。
また「矢野さんに頼む」か。私は心の中で舌打ちしながら、大蔵省・国税庁の首脳と歓送迎
会をする予定になっていたことを思い出し、「たまたま来週、大蔵•国税首脳と私で新旧歓送
迎会をやることになっているので、そこで少し状況を聞いてみるか」と何気なく話した。する
と八尋氏は身を乗り出して「ぜひそこへ私を連れて行ってほしい」と何度も頼み込んだ。
◆旨みの大きい墓苑事業
私は戸惑った。八尋氏を同行させると大蔵省•国税庁幹部が反発するのは目に見えていた。
税務調査の対象団体の当事者と、その団体の番犬とも言うべき国会議員同席のうえで会うこと
は彼らにとって受け入れがたいはずだ。もしそのことが外に漏れたりすると、とんでもないこ
とになるのは明らかだった。傍目には、八尋氏を私が同行させることは政治家による税務調査
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への圧力以外の何物でもないはずだ。
だが一方で私は、八尋氏に同行してもらったほうがいいかもしれないとも考えた。私には学
会の経理はわからないし税法も詳しくない。専門用語や概念を咀嚼できず、誤った理解をして
国税庁と学会双方に迷惑をかける恐れもあった。また交渉の際、国税庁に学会の特殊な体質を
理解してもらうのは容易でないと予想された。よい話は喜んで聞くが、都合の悪い話には耳栓
をして、何かあると逆恨みするのが学会の体質で、何事も池田氏の判断次第で決まるので道理
が通用しないことも往々にしてある。
こうした学会の体質は外部の人にはなかなか理解できない。たとえ国税庁首脳に学会の事情
を説明し、国税庁案ではまとまらないとの見通しを私が伝えても、学会のこういう体質がわか
らない人には「国税庁を妥協させようとして学会内部の反発や抵抗を実態以上に大袈裟に伝え
て、脅しているだけではないのか」と曲解される恐れが十分にあった。それならいっそのこ
と、国税庁首脳のストレートな考えを八尋氏ら学会首脳が直接聞いたほうが調整がスムーズに
進むように思えた。何よりも学会内部の問題は学会で処理してほしかった。小ズルイと言われ
ればそれまでだが、後のことを考えると八尋氏と国税との間にパイプがあるほうがよいという
判断もあった。私は迷った挙げ句、八尋氏の同行を承諾した。
八尋氏は大喜びだったが、すぐに不安気な顔に戻り、こうつぶやいた。
「学会では墓苑事業会計は公益会計になっているが、他宗教では営業(収益)会計扱いにして
いる。これは今後、問題になるだろうなあ……」
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学会の墓苑事業会計をこれから料調が突いてくるだろうと八尋氏は予想したのだが、これは
私も同意見だった。
先に創価学会の会計には三つあり、その一つが墓苑事業会計だと書いたが、墓苑事業の中に
は、墓石販売など課税対象になるものが含まれていた。ところが、当時、学会は墓苑事業すベ
てを非課税の公益事業扱いにして、墓石販売などについてもいっさい税金を支払ってこなかっ
た。
普通、人が亡くなると、遺族は墓地用の土地を宗教法人などから借り、その対価として永代
使用料を払う。これは税法上「墳墓地の貸付」として非課税になっている。一方、墓石は遺族
が石屋から買い、石屋は墓石を売った収益分の税金を申告納税するのが一般的だ。では学会の
墓苑はどうなっているかというと、非課税の永代使用料(土地の貸付代)に、墓石など本来な
ら課税対象となるものを一緒くたにして販売している。
墓石と地中に埋まったカロート(納骨室)は永代使用料とはまったく別物で、本来なら収益
事業扱いにして税金を納める義務がある。八尋氏が「他宗教では営業会計扱いにしている」と
発言しているょうに、学会側は、これまで税務調査が入らなかったのをいいことに、不正を承
知で税金を払ってこなかったのだ。
学会は一九七七年の戸田記念墓地公園(北海道厚田村〔現石狩市〕・四万五〇○〇基)を第一号
に、税務調査時点で全国に六ヵ所の巨大墓苑を開発、墓の数は合計二四万基に達していた。墓
苑の造成費用は主に学会員の財務(寄付金)で賄い、墓が完成すると永代使用料と墓石代など
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をセットで一基約四○万円から九〇万円ほどで学会員に販売してきた。学会は自腹を切らず丸
儲けである。しかも池田氏が「墓を多く持つほど偉い」と墓地購入を推奨したため、一世帯で
いくつもの墓を購入する学会員も珍しくなく、かくいう矢野家も全国にいくつか墓を持ってい
て、中には遠くて一度も足を運んだことのない墓もある。
まさに墓苑は学会にとって〝金のなる木〟だ。料調がこの問題を黙って見過ごすはずがなか
った。
六月二九日、私は国税庁の水野長官と電話で話した。水野氏はこの日を最後に角谷氏と交替
することになっていた。
学会の税務調査という厄介な問題の引き継ぎを、長官としての最後の仕事にしてしまい、私
は水野氏に対して済まない気持ちで一杯だった。「最後の最後まで申し訳ない」と、私は心か
ら謝った。
水野氏が東京国税局に聞いてくれたところにょると、今回は「公益会計全部の調査のお願い
はしていない。出してほしいのは公益会計の収支計算書だけ。ただし墓苑会計については、か
なり関心があるようだ」ということだった。
水野氏が公益事業会計資料の提出に言及したため、私は八一年の国税庁通達を引き合いに出
して「通達は全面的に資料を提出しろということではないはず」と質したが、水野氏は「通達
は、必要があれば公益会計全体の資料の提出を求めるというのが基本的立場で、それは変わっ
ていない。しかし、いまは部分的に協力してほしいとお願いしている」と、やんわりかわした。
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────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
今回のコメントは〝仏のじっちゃん〟です。元バリ活さんでもありました。
じっちゃん…「〝バリ活〟貶すな来た道ダ!!〝非活〟誹るな、行く道ダ!!‥‥」
‥‥ん?…まだ、あるんですか?‥‥
じっちゃん…「バカは死んでも直らない!!‥池田の勝ち!!‥」
‥‥ありがとうございました。