創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明のスキャンダル-24

2018-09-03 06:18:56 | Weblog

 <サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
     これでもあなたは信じますか   内藤国夫  (日新報道 1989/06)
    ------(P.148)---(以下、本文)-------

八尋 頼雄、桐ケ谷 章、福島 啓充
          グッと小粒になった学会トラブル処理班
 山崎正友が池田から去った後、学会のトラブル処理を一手に請負っている弁護士がこの三人だ。中でも先頭に立つのが八尋である。八尋頼雄は現在、副会長。仲間の原田稔副会長とともに、学会の実務、特に学会が抱える諸問題の法的な処理、不動産関係などを担当する。昭和四十二年の入信。早稲田大学卆。妻は第一庶務出身。先に紹介した紅梅会の一員でもある。大切なところは池田教の妻でしっかり押えるのが、池田のやり方だ。
                      ☆
 桐ケ谷章は、論文を一つも書かずに創価大学の教授になった。大学での教職経験も一切なし。
 創価大学は「大学と名がついて大学ではない大学」と呼ばれる。論文を書いたことのない者が教授になるあたり、正にその通りといえる。桐ケ谷の場合、山崎正友なき後の学会の裁判関係を主に担当していることから、論功行賞として教授に「させてもらった」というところだ。
 桐ケ谷の他にも、創価大学には論文を何年にも渡って書いていない教授が結構いる。
                      ☆
 福島は、対共産党選挙妨害のために行なった「ニセ一一九番」事件の際、声紋鑑定に関わった人物。先輩の山崎を追って造反するべきかどうか、大いに迷ったことがある。
 これら三入をまとめても、山崎正友なき後、山友並みの策略を張り巡らすことはできないだろう。今の学会の中で山友なみのことをできるとすれば、矢野絢也ぐらいのものだ。三人とも実務家タイプ。山崎正友のような謀略性、政治性をもち合わせていない。

小谷野 三郎、中村 巌、伊達 秋雄
         学会のボロをどこまで隠しきれるか
 学会関連裁判にいつも名前を並べる三人セットの弁護士である。総合法律事務所を三人共同で運営する。世間は学会の顧問弁護士とか御用弁護士と錯覚しがちだが、実は顧問でも何でもない。弁護士としての手腕力量を評価されて、学会や公明党から仕事を頼まれることが多いにすぎないと説明される。
「顧問を引き受けると、顧問料が支払われる反面で、心ならずもイヤな事件を担当しなければならない場合がある。精神的自由を大切にしたいがために、顧問弁護士になっていない」
                      ☆
 “槍の小谷野”と仇名され、弁護を引き受けた事件で負けたことのないのがご自慢の小谷野は、かって筆者にそう説明なさった。
 この小谷野弁護士、矢野前委員長による明電工関連株売買疑惑で名を連ね、明電工の顧問弁護士を務めたり、明電工関連のカロリナ監査役を引き受けていたことが露顕した。場合によっては“矢野スキャンダル”の鍵を握る人物として、今後、騒ぎの主役になるかもしれない。
 そもそも、三弁護士が顔を並べる新橋総合法律事務所からして、大きな矛盾を内部に抱え込む。
                      ☆
 代表格の伊達秋雄弁護士は、砂川事件で有名な“伊達判決”を下したご当人である。社会党や総評そのほか革新団体、労組の顧問弁護士を数多く引き受ける。一方で、中村巌弁護士は公明党から推されて代議士となった。一つの法律事務所で、社会党向けと公明党向けの二つの顔をもっている。おまけに、小谷野はコチコチの反共の闘士として知られる。
 弁護士グループでありながら、動きが、どうしても政治がらみとなりがちである。矢野と小谷野を結びつけたのは、革新陣営のフィクサー・東海大学のドン・松前重義。社公民連合工作抜きでは考えられない、人のつながりである。法律事務所そのものが社公民連合工作の作戦室の様相を呈し、今、その社公民関係が崩れかかり自公民路線へと転換中のため、話がますますややこしくなる。
 おまけに金銭スキャンダルまでが絡んでくると、もう複雑怪奇そのもの。
 学会関連裁判の弁護士を引き受けるうちに、顧問ならざる弁護士たちまでが常識から外れ、判断がおかしくなってしまったのか、との強い疑念が湧いてくる。
 手腕力量が十分にあるとしても、世間への対応の仕方に、どことなく不明瞭さが感じられる。
 顧客の一部にすぎない学会や公明党に、のめりこみすぎているのではなかろうか。
 「池田名誉会長の平和を守る姿勢は大したものです。平和擁護を現在の労働組合にあまり期待できない以上、池田氏に率いられる創価学会の存在は大きいと思うのです」
 小谷野は池田と三回ほどしか会っていないといいながらも、その平和擁護姿勢を信じて疑わない、とこう語る。
 お経を唱えるように「平和」「平和」と口ずさむだけなら、誰にでもできることなのに、はて、さて……。

Ⅱ ネクラ、陰湿…とにかく暗い
◆市川 雄一
    スネに傷もつ嫌われ者・ネクラ人間
 公明党議員の中では、テレビ画面に顔を映し出されるのが最も多い男である。党の国対委員長をしていたため、国会でもめごとが生じる都度、各党の国会対策関係者が集まり善後策が協議される。カメラがとりまき、各党代表の顔を大映しにする。自民の渡部恒三、社会の大出俊、民社の吉田之久、社民連の楢崎弥之助といずれも陽気な表情をした面々がテレビのアップ撮影で映し出される中にあって、公明党の市川雄一だけは飛び抜けてネクラな雰囲気を漂わせ、場違いな印象を視聴者に与えた。しんねり、むっつりそのもの。
 各党の思惑や利害関係が対立し、その調整を図るために開かれる国対委員長会議。丁々発止の議論が操り広げられる。海千山千のベテランが様々な駆引をする場所であるだけに、懐ろが深く、人間的に幅のある元気男が起用される。その点、市川が役不足でありミスキャストであったことは、テレビ映りの陰湿イメージでほぼ察しがつく。
                      ☆
 「オマエ、もっと太れよ|と党創設者の池田が忠告し、「いずれはオマエが委員長になるのだからな」と約束手形を口にしたという。 その池田の後、学会で参謀室長を務めたのは市川雄一ただ一人だけである。頭の回転は速く、それなりの才能はあるのだろう。これまたテレビに出る機会の多かった前書記長の大久保がボンボン育ちの陽性人間であるのに対し、市川はいかにもずる賢い陰性人間。二人はライバル関係にあり、仲も悪い。「なんであんな馬鹿が書記長になれるんだ」と市川が大久保を軽蔑すれば、大久保もまた市川を「国対落第生」と罵った。大久保と市川の不和はマスコミにもしばしば書き立てられた。
 明電工疑惑で矢野委員長が辞任した後の党建て直し人事で、矢野ラインの市川が書記長に昇格、大久保は副委員長にタナ上げされた。二人の葛藤はまだまだ続く。
 党と学会の両組織で市川がどう評されているか。ともかくも、クソミソにけなされる。
 「ラーメン一杯さえ他人にふるまったことがない、超の字が付くドケチ人間」「上にはペコべコし、下には威張り散らす最低男」「愛嬌のアの字もない、嫌われ人間」「本来なら、人前に出ることを憚られる犯罪を背負った男。それで印象が暗いのだ」
 もう時効になった話だが、昭和四十四年、東京・練馬区内で発生した投票所襲撃事件の首謀者。組織ぐるみの犯罪で、警視庁から指名手配寸前の危機に追いこまれた。竹入委員長(当時)らが警視庁首脳部に圧力をかけ事なきを得たが、政治責任に時効はない。「実は、あの市川が」とネクラぶりを解説する話は、書記長就任後もいつまでもついて回るに違いない。
  -----(155P)----つづく--
                          〈目次一覧は、本項第2回「H30/8/12」に登載〉

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