悪しき天才“池田大作”巨大な俗物

そこまで“あさましくて”いいんかい!!

創価学会・婦人部-19

2017-04-21 07:54:44 | Weblog

創価学会・婦人部=最強集票軍団の解剖  創価学会問題研究会
            (2001/7  五月書房) 
    ------(148P)---(以下本文)-------

財務・納金システムの完備
 財務納金が組蛾に定着する直前、同会に造反した原島嵩・元教学部長が、学会がはたして財務で毎年、いくらぐらい集めているのか、内部情報等を参考にして推定したことがある。
 その金額によると、1981年時に、約200億円。82年300億円、83年450億円、84年1500億円、85年1500億円…。創価学会が財務を公開するわけではないから、もちろん、正確な数字は分かっていない。しかし一説、年度によっては集金総額3000億円とも、4000億円ともいわれているのだ。

 福島源次郎・創価学会元副会長は、著書『蘇生への選択』に、こんな記述を残している。
「…毎年、毎年何という暴挙の財務が行われ、そして此れから何年続けるつもりなのでしようか。
 1、地区幹部は少なくとも10万円以上をすべきである。
 1、現在持っている預貯金全部を出すのが当たり前だ。それにどれ程上乗せするかが信心の戦いだ。
 1、各支部で 10万円以上出す人を30人以上作れ。
 1、1口、2口しか出さない人は信心がない証拠だ。
 1、支部内で100円以上の大口を何人作るかが、支部長、婦人部長の戦いだ。
 1、個人指導、家庭指導で3口以下の財務部員がいないようにする。
 このような指導(?)が、県、圏(ゾーン)の幹部から公然と行われています。県(圈)では、目標額が設定され、それが、本部から支部に割り振られ、それを目指して、支部幹部等が悪戦苦闘するという図式が、今や大半の県でなされているようです。…何という醜状でしょうか。あるいは、売上げ目標に向かって社員にノルマを課し、頑張らせている企業の営業活動とどこが違うのでしようか」

 まさに、集金狂騒曲である。10万円以上を納金した会員には、池田の著書が贈呈され、また、大口納金者(1000万円)には池田主催の会食会に招待され、広布功労賞やSGI賞などが表彰されるおまけが付いた。こうして学会に多く財務を納金した会員ほど、“信心が強く”“福運がつき、功徳も受けられ”なおかつ広宣流布の功労者であるという考えが、全創価学会員に浸透したのである。金額至上主義は、信仰とは最も対極にある思想だ。
 毎年の納金日は、7月かあるいは12月。ただし選挙の年にぶつかると、納金日の月日が変わる。
 なにしろ、わずか4日ほどの納金期日に、1000億円単位の金が集まるのである。マスコミも重大な関心を示し、写真週刊誌などは、会館から現金が入った段ボール箱を運び出す劇的な現場写真なども盗み撮りして報じた。 

 そのためかどうか、昭和から平成に時代が変わる1989年を前後して、納金システムが大幅に変更される。それまでは、学会幹部宅や会館が財務の集金会場に指定され、地域の学会員が限られた時間内に納金。受領書(図表7)が手渡されてきた。それが銀行振り込みに変身するのである。あらかじめ財務納金の専用振り込み用紙(図表8)が整理番号付きで個々の学会員に渡されており、指定された期日内に現金を振り込むのである。
  用紙のサンブルを紹介すると、埼玉県に住んでいる学会員の場合、振り込み先は、「創価学会・○○文化会館」。「整理番号」と「氏名」を記入し、振り込み先の銀行は、三菱銀行大宮支店、第一勧業銀行浦和支店、さくら銀行浦和支店、協和銀行浦和営業部、住友銀行浦和支店、武蔵野銀行本店営業部、東和銀行浦和支店などだ。
 地方になると、振り込み先も都市銀行から地方銀行がメインになる。一例では、青森県では、振り込み先が創価学会・青森県文化会館で、銀行はみちのく銀行本店、青森銀行本店、青森信用銀行本店、北奥羽信用金庫本店、東奥信用金庫本店、八戸信用金庫本店、十和田信用金庫本店、下北信用金庫本店、津軽信用金庫本店、青森県信用組合本店というぐあい。
  毎年(近年は、12月が納金日にされている)創価学会が行う財務の納金日はこうして、全国の金融機関がフルに動員され、巨額の金が最終的には創価学会本部で集計、保管されることになる。

集金マシーンと婦人部
 会員に少しでも多額の財務を--。そのために学会では、用意周到な計画が遂行される。なにぶんにも一回で、1000億円をはるかに超える巨額の集金を行うのである。民間企業で1000億円の収益を上げるには、場合によっては必要経費として1兆円を投じなければならない。しかも、学会は宗教法人である。いかに金を集めようとも非課税である。集めた分だけそっくり使えるのだ。それだけに学会にとっては、年一回の財務納金は、どんな行事よりも大切なイベントで、力みも入ることになる。
 例年、財務納金の日程は、納金日の3力月前からスタートする。このあたりの準備の怠りなさは、公明党を支援する選挙活動にも似ているようだ。
 地域によって、財務納金までのスケジュールが若干異なるようだが、最初は地域本部長会が開かれ、財務の大綱が発表される。納金日の決定報告などがそうだ。その後、地域ごとに広布部員会が開催される。秋谷会長名による「広布部員証」が会員に授与。さらに何度か広布部員の会合が開かれ、「金額目標の決意発表」や「前年、納金したおかげでこんなに功徳を貰った」とか、組織全体で財務納金へ扇動し、雰囲気を盛り上げていく。納金半月ほど前になると、会員に振り込み用紙など、財務関係書類が配布される。そうして迎えた納金日、ここでも、選挙活動並みに「連れ出し体制」を行う地域の組織もある。
「納金まだでしょう。銀行に一緒に行きましょう」

 また、納金に先立ち、学会幹部たちによる扇動も半端ではない。
「みなさん今晩わ。この花どかしておいていいわね。私ね、小さいでしょ。顔が花で隠れちやうから、花の方が奇麗なんですけど(笑い)」
 こんなくだけた話で始まる1本の録音テーブがある。録音されたのは1983年、青森文化会館(青森市八ツ役)で開催された「婦人部幹部会」で、声の主は公明党参議院議員の経歴も持つ、創価学会の初代婦人部長・柏原ヤスである。東京から青森までわざわざ足を運び、財務納金について会員に、こう檄を飛ばしているのだ。
「…今、広布基金、いくらやっているの、1万円? 何が1万円なの、365日で割ってごらん(笑い)、1日、30円くらいなものじやない、何が1万円ね! 東京で1万円、青森だつたら、いずまんえん(大爆笑)。…広布基金は、創価学会が欲しいから、皆さんに出してい
ただきたいって言ってるんじやないのよ。創価学会は昔とちっとも変わっていませんね。お金なんかいらないんです。だれが金なんぞもらうものか、バカバカしい! そうじゃないの。でも、広宣流布には金がかかるんです、金を出せ! 出せ! 出せ! 出せ! 出せってつつんだよ!……」
 終わりの頃には、もはや絶叫に近い。
 会員から笑いをとりながら、こうして最高幹部が全国で財務納金の運動を展開していく。

 九州、某県在住の学会員が所属するある地域組織、100人ほどが記録された「1998年財務」一覧表がある。整理番号、組織名、氏名、役職名が書かれ、最後に財務納金の金額が記入されている。一見して驚かせられる。1人1人の納金金額が大きいのだ。一番少ない会員で金額が10万円、最高で2000万円である。中間は20万、50万、100万円が最も多い。そのうちの半数以上は女性名になっており、おそらく所属は婦人部であろう。
 婦人部と推定される女性の財務納金の金額が、意外と大きいところに注目したい。宮崎県某市は、キャリアウーマンが多いとも思えない。同じ名字が並んでいるのは夫婦で納金をしているのだとしても、単独の女性名で30万、50万、100万単位の納金額がずらりと並んでいるのだ。
 一体これは、どのようにして捻出した金なのか。夫婦とも学会員なら、最高幹部といった特例を除き、所属する地域の組織が別々ということはあり得ない。よけいな詮索だが、独身女性であるか、それとも主人が学会に入会していないか、どちらかである。この財務納金行事にも全開して突っ走る、婦人部の壮絶なパワーが見えるのである。
       ---------(156P)-------つづく--

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創価学会・婦人部-18

2017-04-20 08:24:13 | Weblog

創価学会・婦人部=最強集票軍団の解剖  創価学会問題研究会
            (2001/7  五月書房) 
    ------(136P)---(以下本文)-------

第五章 走る婦人部 財務納金
◆ 創価学会の資産
  日本には18万4千件に近い宗教法人が存在する。中には、伊勢神宮や生長の家など広大な山林を所有する法人もあるが、資産形成においては創価学会が抜きん出ている。東京・信濃町の一等地に、七階建の本部ビルを中心に、聖教新聞本社、戸田記念国際会館、SGI国際会議会館、本部第二別館など、その数ざっと25施設。三色旗(青、黄色、赤)がそこかしこの施設にはためく信濃町界隈の学会所有総面積は、ジャーナリスト・野田峯男の調べによると、約五・五へクタールに及ぶという。
 このほかに土地、建物等不動産は、都内に約90力所の会館を含め、全国の県庁所在地を中心に文化会館、講堂、会館、研修道場名目の施設がざっと1千力所。それに、ゴルフ場クラスの巨大墓園が北海道から沖縄まで10力所で運営されている。また法人は別だが、系列機関として学校法人・創価大学、創価女子短期大学、創価高等学校、中学校、小学校、関西創価高等学校、中学校、小学校、札幌創価幼稚園、財団法人,民主音楽協会、同・東京富士美術館、同・富士美術館、同・東洋哲学研究所等々、教育、文化施設もまた多い。
 こうした土地、建物、文化資産のほか、主要銀行に巨額な現金が保管されている。「学会マネー研究会」著による『創価学会財務部の内幕』(2000年7月発行)から引用すると、その総額、約一兆円といわれている。
 世界に冠たるわが国の大企業も、顔色失う宗教法人・創価学会の資産形成。一体、どのように管理、運営されているのか。宗教法人は、企業の年度決算報告書のように、原則として公開する義務は課せられていない。したがって、自ら公にしない限り、正確な資産の実態や運用方法については知るよしもないが、およそどのような決まりになっているのか、「創価学会・規則」から見てみよう。
 同規則、第3章「財務」の項には、このように定められている。

「(資産の区分)
第17条 この法人の資産は、特別財産、基本財産および普通財産とする。
  2、特別財産は、宝物および什物について設定する。
  3、基本財産は、次の財産について設定する。
   (1)土地、建物その他の不動産
   (2)公債、社債その他の有価証券
   (3)永久保存の目的をもって積みたてられた財産
   (4)お基本財産として指定せられた寄付金品
  4、普通財産は、特別財産および基本財産以外の財産、財産から生ずる果実、会員の中から
   選任される広布部員(注:後述)の拠金ならびにその他の収入とする。
  (特別財産、基本財産の設定および変更)
第18条 特別財産または基本財産の設定もしくは変更をしょうとするときは、役員会の
    議決を経なければならない。
 (基本財産の管理)
第19条 基本財産である現金は、確実な銀行へ預け入れ、その他の適切な方法により管理しなけ
    ればならない。(注:以下略)

 現金は、「確実な銀行へ預け入れ、その他の適切な方法により管理」と、ある。創価学会のいう確実な銀行のトップは、メーンバンクとする東京三菱銀行・四ツ谷支店であろう。同店との付き合いは古く、こんなエピソードが残されている。
 戦後間もない時期、信者が五千人足らずで、吹けば飛ぶような弱小教団であった創価学会を、相手にするような銀行はなかった。当時、会長であった戸田城聖は、東京・西神田で「東京建設信用組合」なるものを経営し、さらに大蔵商事を設立し、小口金融、不動産、保険代理業などを営んでいた。そうした事業の流れで金融機関に手形を持ち込んだが、相手にされない。何件か訪ねて、ようやく手形を割ってくれたのが三菱銀行四ツ谷支店(当時は市ケ谷)だったといわれている。
  同銀行と創価学会がさらに親密度を深めたのは、1965年10月、学会が会員から355億円を集めた「正本堂」建設のための大寄進であった。まだ蜜月時代にあった宗門(日蓮正宗総本山)に、学会が「正本堂」の建立寄進を申し出て、会員から供養金を集めたのである。
 集めた総額は、ほぼ半世紀前の355億円である。まだ当時、病人と貧乏人の集まりと揶揄されていた学会員たちが、どれほど無理を強いられて供養金を出費したか、おおよその想像がつく。
 当初、池田大作が打ち出した供養金の目標金額は、30億円であった。三菱銀行も、この学会の大寄進キャンペーンに協力し、学会に、正方形で空色の「正本堂御供養金」貯金箱、500万個を無料で寄付したのである。ところがふたを開けたら、30億どころか預金箱からあふれ出る10倍の355僮円。想像をはるかに越える巨額の金が、三菱銀行の金庫に納まったのである。
 日本の金融機関も、創価学会組織の爆発的なエネルギーに驚いた。以来、三菱銀行との付き合いが深まるだけではなく、ほかの銀行も創価学会に食指を伸ばしはじめる。こんな話がある。
 毎年元旦、各銀行の頭取がまず新年の挨拶に出向くのは、信濃町の創価学会本部であると。優良企業のトヨタ自動車並みに、借り入れはなく、預金するだけの創価学会に、熱い眼差しを向けているのである。

創価学会とカネの変遷財務部員制度
 宗教団体が、信者から金や物を集める(浄財、献金、お布施、寄進、供養等)行為は、神代の昔からである。営利を生むことがない宗教団体の性質上、伽藍等、建物の建設や修理、あるいは組織の維持運営のために、信者の供養物や浄財に頼らざるを得ないのはむしろ当然とも思える。
 ところが、戰後、雨後のタケノコみたいに出来した第二次宗教ブームの中で、金に関する創価学会の姿勢がひときわ関心を集めた。
 戦後の混沌とした社会状況下、いくら学力があっても就職先がなく、腹を空かし、病気になっても病院に行く金がない。こうした荒廃した世の中で、「祈ればすべてが解決する」と、現世利益を訴えた新興宗教が目白押しに誕生した。だが、現世利益を求めて、先を競うように入信した信者たちを待ち構えていたのは、浄財の拠出であった。金を少しでも多く出せば、現世利益はより速く、大きく受けられる。このような詐欺まがいの新興宗教がはびこる中で、現世利益はより速く、大きく受けられる。このような詐欺まがいの振興宗教がはびこる中で、--
「創価学会の施設には賽銭箱を置かない。創価学会は一銭も金のかからない宗教。創価学会は金儲けが目的ではない。それで願えば何でもかなう」と、アピールしながら折伏(布教)を展開したのが創価学会である。
 実際、創価学会が所有するどの施設にも、また、信仰の対象にしていた宗門の総本山や末寺にも、賽銭は見当たらなかった。現在に至るも、宗教施設であるにもかかわらず、賽銭箱類は一切設置していない。
 こうして、金銭的にクリーンな宗教団体であることを強く主張してきた学会は、一方で、ほぼ同じ時期に興隆した立正佼成会や天理教、PL教団等に対し、“宗教成り金”“金儲け宗教”“搾取の宗教”と、罵詈雑言を浴びせてきたのである。
 そうは言っても、創価学会は信者が増えるにつれて、本部の維持費はかかるし、本部の事務職員にも給与を支払わなければいけない。当時、戸田が会員向けに講演していた内容を読むと、「信者に一切の負担をかけない」「必要な金は戸田が稼ぐ」「信者から金を取るなど、赤子の手をひねるよりも簡単なこと」等、語っており、事実、戸田は資金稼ぎのために、多くの事業に着手していた。
 信者が五千世帯を超えたところで、機関紙・聖教新聞も発行を開始したが、しかし、まだ十分な利益が出ない。1951年7月3日、戸田は、信者の活動資金の助けを借りる「財務部員制度」を発足させた。このときの財務部員は78人。初代の財務部長は和泉覚(現・副会長)が就任した。この制度は、信者の中で、信仰心がしっかりしていて、生活にゆとりのある人を面接して任命し、年間、4千円の財務をお願いしたものである。学会の草創期時代、この財務部員を長く務めた元・古参信者がこう回想している。
「学会内で、財務部員に選ばれることが誇りになっていました。ようやく生活をしているような貧乏学会員が集まる会合の中で、名前を呼ばれて財務の領収書が手渡される。周囲の学会員は、羡望の眼で見ていましたね。金持ちだということと、学会組織を支えているのはこの人たちなんだなという尊敬の目ですね。あの頃は、学会員は鶴のマークの胸章をつけていましたが、財務部員のバッジだけは色が違っていたんです。信者の中で、財務部員になることを希望しても、戸田先生は、認めないようなところもありました」
 のちに三代会長を継承する池田大作は、戸田の金銭感覚について著書『人間革命』(第6卷)にこう書いている。
「戸田は、金銭に対しては、あらゆる不純を拒否して、異常なまでの潔癖な姿勢を堅持していた。とはいえ、現代の社会においては、資金なくして、どんな崇高な活動も成立しないことは事実だ。そのための必要経費は、会員の真心の自由意志にまかせ、そのつど浄財を募ることによって賄えばよいというのが、戸田の信念であった。彼は、その必要が生ずると、いつも学会員に、その内容のすべてを提示し、必要経費を確保した…」
 学会に、年間4千円の寄付という財務部員制度が発足した1951年は、公務員の初任給が5500円(人事院調べ)という時代である。4千円を現在の貨幣価値に換算すると、20万円ほどになるだろうか。学会員の中でも、経済的にかなりゆとりのある会員が財務部員に任命されていたらしい。
 こうした「財務部員制度」が、1970年代中頃まで続いた。その間、創価学会が信者に、ご供養の名目で浄財を呼びかけたのは、宗門の総本山・富士大石寺の「大講堂」及び「大客殿」、前述した「正本堂」建立寄進等の3、4回だけである。
 最終的に、財務部員は80万人を数え、年間、本部に30億円前後の寄付金が集まるようになっていた。しかし、これが70年代後半に入って、なし崩しにされていく。

金集めの暴走特別財務のスタート 1975年を前後して学会は、県単位で「特別財務」、通称“特財”を集めるようになった。
 幹部に言わせると「池田先生だけに迷惑はかけられない。私たちの会館は私たちの手で造ろう」という発想が、特財のスタートになったといわれている。
「大分県で13億9千万円、佐賀県で9億7千万円、熊本で20億2千9百万円」(週刊「アエラ」96年7月15日号)
  九州一の貧乏県といわれていた佐賀県でさえも、会員に特財を募ったところ、あっと言う間に10億円が集まったのである。単純に1都1道2府44県を佐賀県の10億円に当てはめたら、最低でも全国で軽く五千億円に近い金を集めることが可能だ。この特財名目の金集めは、他の県でもまねるようになった。「学会は一銭も金のかからない宗教」と誇りにしてきた伝統に、風穴が開けられたのである。
 当然、組織内部に批判も起こった。時あたかも学会は、教義等をめぐって宗門との対立抗争(第一次宗門VS学会紛争)の真っ只中にあり、双方は離反寸前。事態収拾に乗り出した池田大作は、1978年4月15日、埼玉県大宮市にある学会の東大宮会館広間において、宗門僧侶の有志と懇談会を設けている。その席上で池田は、僧侶側から特財の問題を言及されて、こう弁解していた。
「…昨年までは一年間1人4千円の財務費だったが、それでも出した金を返せという者が多く、すべてこれらは円満に返した。今年から1括して1口1万円としたが、たとえば群馬などでは4億円ぐらいかかる会館の建立に2億円しか集まらない。そのため県幹部の強い頼みで特財を許可したところ、他の県からも同じ声が出るのはしかたがない」
 池田が「許可した」という言動を見れば、特財の開始は、少なくとも池田の承認のもとに行われたことが分かる。 なお、池田が言うように、財務部員の名称が「広布部員」(図表6)に変わったのは1978年からで、金額も年間4千円から、1口1万円、上限なし、の納金になった。広布部員の広布とは、広宣流布の略称である。 それまで、創価学会の伝統行事である毎月の「座談会」は、信者の体験発表や、教義の勉強会が中心であつたが、これに金集めという特財に関する話が比重を占めるようになる。全国に点在する地方の組織もすベてそうであった。
 たとえば1977年5月12日、青森県で同年2月に実施された特別財務の納金について、早くも青森本部で開催された「四者大B (ブロック)長会」では、唱題会で始まる会合のあと、幹部による一時間に及ぶ特別財務の話が行われている。「県の中心会館に、池田先生を迎えるようにしておく。小さい建物ではだめ。学会の実力にふさわしい建物を持つ。青森文化会館、4億5千万、八戸文化、土地1億、建物3億、弘前、土地1億、建物2億、三沢、土地5千、建物1億5千…」
 こうして、まるで不動産屋まがいの集会よろしく、学会では会館建設を主たる目標にした特財推進の“幹部指導”が多くなった。当時、秋谷栄之助会長が「広布部員」に行っていた指導内容を見ると,
「日蓮大聖人の仏法を、いよいよ世界宗教、時代精神として世界へ広宣流布していくため、SGI、創価学会の平和、文化、教育運動をいちだんと力強く支えるのが『広布部員』。
 創価大学による学術交流のより一層の充実、拡大、富士美術館を通じての人類の文化遺産ともいうべき、価値ある美術品の収集、展示などを図っていくこと等は個人としては出来ない難事であり、民衆の力、次元の文化構築のため、私たちの真心がこうした大事業に充てられることは、大いに誇りとしてまいりたい」(本部・内部資料から)
 と、いったもの。それでも財務の納金日などは県によってまちまちで、納金する広布部員もまだ創価学会全員ではなかった。
 それが、いつの間にか財務という寄付金行為が信仰上の「供養に通じる貴い行為」とされるようになり、財務を多く出せば出すほど功徳があるという最高幹部たちの指導に切り替わった。
 さらに組織で、聖教新聞の啓蒙運動に匹敵する広布部員啓蒙運動が展開され、学会員イコール広布部員になる。財務の納金日も全国統一され、財務納金は1981年の頃から組織行事として定着する。
       ---------(147P)-------つづく--

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創価学会・婦人部-17

2017-04-19 09:00:12 | Weblog

創価学会・婦人部=最強集票軍団の解剖  創価学会問題研究会
            (2001/7  五月書房) 
    ------(126P)---(以下本文)-------

元・学会幹部の回想
 都内某区に住む、元,婦人部幹部のXさんは、1991年、主人と一緒に学会を退会した。
 両親が学会員だった開係で、Xさんも独身のOL時代に入会。当初、学会活動はそれほど熱心ではなかったが、会合で知り合った男子部の幹部と結婚し、所属が婦人部に移ったあたりから学会活動に目覚めた。
 役職は会員からブロック担当員になったあと、大ブロック担当員(現在、この組織名はない)、地区担当員を務め、長年、支部幹部の役職も果たしてきた。その間、地区組織の民音、聖教新聞、書籍等の各責任者も担当した。教学(教義)の資格は助教授。
 そんな学会組織にどっぶりつかった人生であったが、1991年、学会が宗門と対立し、同会が破門されたことが最大の動機になり、ほぼ30年にわたって在籍した学会組織を夫婦一緒に退会した。

 --聖教新聞を読みはじめたのは、いつからですか。
X--私が独身のOL時代、両親は幹部ではありませんでしたが学会員でしたので、聖教新聞を2部定期購読をしておりました。なぜ、一家庭に同じ新聞が2部もあるのかと思いましたが、親の話だと、幹部から1人1部と言われ、購読したのだそうです。その親の勧めで私も学会に入りましたが、その当時、宗教などに興味がなかったんです。勤め先の会社の人たちも、学会をバ力にしていましたし、私が入信(入会)したことは内緒にしておりました。その頃、時々、聖教新聞を読んだかしら。
 --自ら、聖教新聞を定期購読したのは?
X--入信してすぐです。直属の女子部幹部からほぽ強引に定期購読をさせられました。その頃、自宅で聖教新聞を2部も購読していましたから、そのうえ、わざわざ新たに購読する必要もなかったのですけど、断れるような雰囲気ではなかったんですね。毎日、池田先生が贈ってくれる聖教新聞を読むことが信心の第一歩とか、福運が積めるとか。学会女子部の○○さんは1人で5部もとっていて、境涯を開いたとか、そんな話をされてね。昭和40年代初頭の頃ですが、一般紙と違って、聖教新聞は特別扱いだったんです。会合などに参加して、聖教新聞を畳の上などに置くと、「池田先生のお手紙と思って、大切に扱いなさい」と、目を吊り上げて怒る幹部もいましたよ。
(X--主人)そうそう。聖教新聞で弁当箱を包むことや、聖教新聞を足で踏みつけたりすることももってのほか。隣国の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で、偉大なる金正日さんの写真が掲載されている新聞を破ったりすると、国家反逆罪で逮捕されるそうですが、聖教新聞も、それと似た時期がありました。今思えばお笑いものですが。
 --Xさんが婦人部に移られて、学会活動が活発になった?
X--結婚した当時、主人は男子部に所属し、役職が隊長(現在、この役職はなし)でしたから、その奥さんが学会活動をしないのはおかしいという雰囲気がありました。それでも結婚してすぐ子供が生まれましたから、婦人部で活動するのは、子供が年少の幼椎園に通いはじめた頃からですね。
 --聖教新聞の購読はやはり1部でしたか。
X--主入は2部。私は1部でしたが、婦人部のブロック担当員に任命されて、2部になりました。池田大作さんが聖教新聞に小説「人間革命」を連載しておりまして、それを切り取ってノートにスクラップしたりします。それと、毎月、会合で教学の勉強会があるんですが、その教材が聖教新聞に掲載されるんです。すると、切り取って穴の空いた聖教新聞を会合に持ち込めないでしょう。だから、どうしても2部の購読になってしまうんです。主人は安サラリーマンで家計の苦しいところに、聖教新聞の購読代金が主人と合わせて4部でしょう。ほか「大白蓮華」、「聖教グラフ」(現在「グラフSGI」)、公明新聞などいろんな機関紙や、続々と押し付けられる大作さんの書籍類、民音の券なども買わなくちやなりませんから生活は大変でしたね。
 私ばかりではなく、ほとんどの学会員がこの調子ですから、福運が積めるどころか、どんどん減る一方でした(笑い)。
 --幹部には反発できないのですか?
X--反発はしません。池田先生のためというか、広宣流布というか、自分の境涯を開くために進んでやっていましたから。それが信仰でしょう。疑うなんて、これっぽちもありませんでしたね。
(X--主人)俺たち夫婦などはまだいいほうで、もう少し幹部になると、1人で5部ぐらいは当たり前でしたよ。折伏(布教)用に使うという意味でね。それに幹部も悪い。座談会などで、○○さんは聖教新聞を10部もとってます、拍手!! なんて、おだてるし。聖教新聞を多くとっている人は“信心が強い人だ”とか、“ご本尊様や池田先生は全部知っている”とか、そんな指導をするんですから。幹部にとっては、所属の組織が聖教新聞を多くとることが点数になるんです。○○支部はすごいとか、強情な信者ばかりがいるとかね。
 --それで、聖教新聞をよく読んでいましたか。
X--読まない(笑い)。読む暇なんてありませんよ。学会活動が忙しくて。ただ、部員の指導をしなくちやなりませんので、池田会長(当時)の講演が掲載されている記事は、さっと目を通していました。

外部の啓蒙、新聞勧誘
 --読み終わった新聞の処理は?
X--この始末には困りました。幹部指導で1部でも折伏に使え、大切に扱えでしょう。だから、隣近所の郵便受けにほうり込んだり、電車に乗ったときなど、わざと車内の網棚に置いてきたり、病院に行ったときなど、待合室にそっと置いてきました。あとはチリ紙交換かしら。チリ紙交換で、最も多いのが聖教新聞なんていわれていたくらいですから。最初チリ紙交換に出すとき、上と下に一般紙を置き、その間に聖教新聞を入れて、分からないように出していたんです。でもそのうち堂々と出すようになりました(笑い)。
 --Xさんも新聞啓蒙をやったんでしよう?
X--それはやりましたよ。内部と外部に分けて、まず内部は、自分の部員に1部でも多くとらせること。1部しかとっていない部員には、“そんなことでは福運はっかないわよ”とか、“池田先生のために、もう1部頑張りましょう”など、私が幹部から言われたことを、そっくり部員に言うんです。でもあの頃、外部に啓蒙するのは容易なことではありませんでしたね。学会の評判が悪いから、友人に勧めても、“宗教新聞”なんていらないなんて、けんもほろろでしたね。
 --毎月、新聞の啓蒙は幹部に報告するわけでしょう。
X--私は聖教新聞の地区担当もやってましたし、毎月末に統監という会合があるんです。部員増加とか、新しく信者になった数とか、聖教新聞の部数を報告するわけですけど、いつも、この統監には頭を悩まされました。目標数に届いていないと、“あなたの信心が足りないから、いい結果が出ないのよ”なんて幹部から怒られる。学会員は、この「信心が足りない」という言葉に弱いんです。それと,池田先生におこたえしていない、それで、統監直前になって、どうしても聖教新開の啓蒙数が足りないと、自腹を切ってもう1部をとってしまう。でもそのうち、学会内で、聖教新聞の多部数とりが問題になって、1人で5部以上はとらなくてもいいといつた指導があったんです。
〈X--主人)あれは言論問題(1970年)が起こったとき。聖教新聞の多部数とりも、社会問題になった。それで、本部がやはりこれはまずいということになり、社会批判をかわすために多部数とりを自重したんですよ。学会員は喜んだでしよう。
X--それで、しばらくは聖教新聞の啓蒙運動が下火になっていましたが、いつの間にか再燃していましたね。とくに昭和60年(1980年代後半)あたりから、外部の購読者運動が盛んになりました。もう内部では信者は増えないから、部数増加にも限界があります。だから、新しい購読者を外部に向けたんです。
 --でも、宗教の機関紙なんて、学会員以外、そう読む人がいないでしょう。
X--購読させるには相手の弱みを突くの(笑い)。私の経験では、よく利用する美容院とか、近所の八百屋、それにガソリンスタンドなど。いつも顔を合わせているし、相手も私が地域の幹部と知っていますから、「ね、一カ月付き合って」と、お願いすると、本心はいやなんでしようが、付き合ってくれるの。断ったら学会員のお客が減る、と思う商売の判断でしょう。組織の無言の圧力ね。実際、断られると、会員が多く集まった会合などで“あの店は、学会をよく思っていない”なんて話すから、客が減ります。学会の口コミってすごいのよ。実際、学会とケン力した法華講信者が経営していた日蓮正宗の仏具屋さんなんか、学会員は絶対に買わないから潰れちやったしね。
 --そのほかに外部の啓蒙はどうやって。
(X--主人)一般紙の定期購読料金が高いでしょ。だから、新聞でテレビ番組表しか見ないような隣近所の住民に“聖教新閉は値段が半分だからとってください”と勧誘する。団地に住む人などはそれで聖教新聞をとってくれる。だから、団地をお得意にしている一般紙の販売店店主などは“競合するのは聖教新聞だ”なんて恐れているんです。
X--また、自腹を切って購読料は私が払って、聖教新聞の販売店から直接知人、友人に配達してもらったりします。中には“読まないから送らないでくれ”と、受け取りを拒否されたこともありましたね。それと、やはり啓蒙の目標に届かないと、知人に“読まなくてもいいから購読して、料金は私が払うから”と、お願いするんです。聖教新聞は500万部とか、550万部と発表していますが、あの新聞を500万人が読んでいるという意味じやないの。学会員で役職を持っている人は、最低2部以上はとっていますから、購読者数は発行部数の半分くらいね。池田さんはブラジルの自然を大事にしたいなんて、公園まで作ったそうだけど、木を切り倒し、紙の無駄遣いをしているのは聖教新開が一番じやないかしら。
 --今は聖教新聞を読んでいない?
X--読まなくなって10年近くなります。最初の頃、正直、なんとなく寂しさみたいなものを感じました。聖教新聞を読めば功徳があるとか、読まなければ罰を受けるとか、そんな事ばっかり朝から晩まで30年も聞かされてきたでしょう。知らず知らずのうちに、どっぶりと洗脳されていたのよね。
 そこから抜け出すまでが大変でした。この精神的苦しみは、経験者でなくては分かりませんよね。学会をやめて初めて口に出せるのですが、毎日、毎日、来る日も来る日も、学会が世界で最高の組織だ、世界平和が来る、池田先生ほすごい指導者だ、なんて書かれている変わり映えのない新聞を3部も、4部もとって、なんてバ力な浪費をしていたものだと思っています。
(X--主人)恥ずかしい話、聖教新聞を多部数とつていた頃は、経済的理由で一般紙や雑誌など購読する余裕がありませんでした。だから頭の中は学会のことだけで、対外的な思考がストッブしていたんですね。これは意外と怖いことですね。物事の尺度を全部、学会を中心に考えてしまうからです。それがまた正しいと思い込み、学会以外の現象がすべてバ力に見えてくるんですね。そんな人間を作っていくのは、聖教新聞の力が大きいですね。私は、聖教新聞をやめてから、初めて一般紙を購読するようになりまして(笑い)、知識や行動も、ほか思考能力、社会への発言にしても、人間の幅が広くなったような気がしています。
X--婦人部は純粋といわれますけど、単純なんです。学会のことは知っていても、一般紙はほとんど読まないし、学会員以外の人の言うことには耳を傾けない。人生や生活も学会がすべてなんです。私がそうでしたから…。
       ---------(135P)-------つづく--

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創価学会・婦人部-16

2017-04-18 07:11:40 | Weblog

創価学会・婦人部=最強集票軍団の解剖  創価学会問題研究会
            (2001/7  五月書房) 
    ------(119P)---(以下本文)-------

一般紙にはとてもかなわぬ聖教新聞の“拡販”
「聖教新聞」を発行部数550万部に成長させ支えてきたのは、次の二つである。一つは会員の多部数購読と、もう一点は、拡販の原助力になっている1年365日の啓蒙運動だ。
 一般紙の感覚ではおよそ想像がつかないが、会員が一人で2部も3部も定期購読をするのである。極端な例では1人で50部、100部というケースもあり、こうした多部数購読者が学会を退会し、定期購読を止める際に、裁判になった事例も過去にあった。なぜ、多部数購読なのか。学会には、聖教新聞を多くとればとるほど功徳がある、福運が積めるという指導が定着していたからである。
 会員にこうした指導をする手前、幹部の定期購読が1部だけでは顔が立たない。2部、3部と購読をするのだ。また、聖教新聞を布教用として利用し、知人や友人に自前で無料郵送している会員も少なくない。この多部数購読について詳しくは後述するとして、聖教新聞の啓蒙運動について婦人部の活動ぶりを見てみよう。
 関東某県内にあるZ支部が作成した2001年某月の「聖教新聞啓蒙成果報告書という一枚の用紙がある。」(図表5)
   (図表5)     
 この種の報告書は毎月、全国の各支部で作成されているもので、一般紙並みに言うと、拡販月報といったところか。
 同報告書の中身を紹介する前に、Z支部の組織概要を紹介しておく。 Z支部所属の学会世帯総数は約350世帯。その世帯を、平均60世帯ずつ五つの地区で割り、一地区当たり25世帯前後のブロック組織が三つある。
 さて中身は、こんな報告書だ。各地区ごとに、啓蒙成果が報告されているもので、極めて詳細なデータである。例証として一つの地区を紹介してみょう。()内に説明を加えた。

M地区ブ口ック
 世帯        24 (学会員が、Hブロックに24世帯)
 内部購読世帯  23 (1月の学会員購読者数は23世帯)
 内部購読 %   96 (学会員の中で1世帯が未購読)
 ポイント数  内  12 (聖教新聞の定期購読者獲得の一カ月を1ポイントにする)
              外   33 (同。ただし、学会員以外の外部定期購読者)
              計   45
 ポイント  累計   57 (これまでの定期購読獲得数)
            目標   350 (年間の啓蒙目標は350ポイント)
 啓蒙・部数 内   66 (地区会員の啓蒙は6部)
           外   14 (外部の啓蒙は14部)
  長期            7 (年間といった、長期の定期購読者)
  啓蒙人口
      壮年 部員   9 (地区所属の壮年部が9人)
           人口   0(壮年部9人のうち、1月の聖教新聞啓蒙はゼロポイント)
   婦人 部員   24 (地区所属の婦人部は24人)
        人口   16 (24人のうち、1月の聖教新聞啓蒙は16ポイント)
   男子 部員   5 (地区所属の男子部は5人)
        人口   0 (啓蒙はゼロ)
   女子 部員   4 (地区所属の女子部員は4人)
        人口   0 (啓蒙はゼロ)
   四者部員数  42(四者とは創価学会の独特の組織用語で、壮年、婦人、
               男子=学生部も含まれる、女子を合わせた会員)
        人口   16(四者、42人のうち、1月に聖教新聞を啓蒙した会員は16人)
  婦人啓蒙人口%  67%(婦人部会員のうち、67%が啓蒙)
  四者啓蒙人口%   38%(四者の啓蒙率は38%)

婦人部の啓蒙パワー
 この報告書から明らかなように、学会員で、聖教新聞の啓蒙成果をあげているのはこのブロックでは婦人部だけで、ほか、壮年、男子、女子はゼロである。ここでも、婦人部のパワーが発揮されているのだ。
 ちなみにZ支部のほかの地区も見てみると、例外なく14地区とも婦人部が、壮年、男子、女子部に比べて、聖教新聞の啓蒙率がダントツである。Z支部全体の合計を見ると、購読(内部294)、購読率(87%)、ポイント数 内部(139) 外部(286) 計(425〕、ポイント累計(578)、目標(3795)、啓蒙 内(39) 外(103) 合計(142)、長期(60)、啓蒙人口、壮年部員(48) 人口 (13)、婦人部員(258) 人口 (119)、男子部員(109)人口 (5)、女子部員(50) 人口 (3)、四者部員数(565) 人口 (139)、婦人部啓蒙率(46%)、四者啓蒙人口 (41%)になっている。
 読売新聞に代表される一般紙の強引な拡販員たちは、男性である。洗剤などを持ち歩くほかの一般紙拡販員もほとんどが男性だ。だが、聖教新聞の啓蒙は、婦人部の独壇場になっている。
 一カ月の間にZ支部では、壮年、男子、女子部員とも数えるほどしか啓蒙成果をあげていないのに、婦人部は258人の部員のうち、119人(46%)が新たな啓蒙の成果を記録しているのだ。
 婦人部の成果を主軸にするZ支部の月間ポイント総数は578。一カ月の聖教新聞購読科に換算すると、ざっと104万円分の販売収人になる。年間にして、1248万円。
 しかも、全国で毎月のように展開されている聖教新聞の啓蒙運動には、一般紙では決してまねのできない大きな特徴が2つある。
 まず、日々、啓蒙で奔走するすべての学会員は、無給であること。厳しいノルマはあるが、啓蒙の成果を何部あげようとも、一般紙の拡販員のように歩合支給がないのだ。いわゆる拡販の必要経費がゼロなのである。近年では、池田大作撮影の写真が印刷されたカレンダーや、メモ用紙程度は配るが、購読をしてくれたからといつて洗剤など景品をばらまくこともない。
 それにしても婦人部はなぜこれほど聖教新聞の啓蒙に熱中するのか。
 理由の第一は、聖教新聞の啓蒙行為は、ただの拡阪目的ではなく、立派な「信心活動」のひとつであること。啓蒙する行為が、徳を積むことに結ぶということだ。また、布教の目的もあり、一人でも多くの人に聖教新聞を読ませることによって、広宣流布を達成させようという会員たちの悲願がある。組組織内で同紙を「広宣流布のミサイル」と言っているのはこのためだ。
 もちろん、最高幹部(本部職員)たちが会員に、二言目には聖教新聞の啓蒙をと呼びかける本心は少し違うような気がする。販売収益の向上も念頭においているようだ。でも、信仰に純枠な婦人部員たちは、そんなよこしまな疑いを持つことはない。ハンドバッグの中に常に聖教新聞の購読申し込み用紙を入れ、連日、啓蒙にしのぎを削っているのだ。
 第二の特徴は、新聞配達員の薄給である。配達は朝刊だけだが、一般紙の配達員の人件費に比較して、聖教新聞の配達員給与は、比べものにならないほど低い。小遣い程度の賃金といわれている。30年ぐらい前までは、無給であったことはすでに述べた。これは550万部発行の聖教新聞社にとってはたまらない経費節滅であり、収益の効率を高めることになる。
 つまり、婦人部隊を拡販の戦力に立てた公称800万世帯の全学会員が、聖教新聞の無給の拡販員ということになり、加えて、配達の人件費も最小限しかかからない。例年、100億円の申告所得を生み続けるこれが土台になっているのだ。こうした聖教新聞を毎朝配達し、こつこつと啓蒙に励む婦人部に対し、池田が与えた称号は、「無冠の友」である。
       ---------(125P)-------つづく--

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創価学会・婦人部-15

2017-04-17 08:18:39 | Weblog

創価学会・婦人部=最強集票軍団の解剖  創価学会問題研究会
            (2001/7  五月書房) 
    ------(111P)---(以下本文)-------

第4章 走る婦人部 聖教新聞の啓蒙
◆ 「聖教新聞」年間売上げ1236億円
 公称発行部数、550万部といわれる「聖教新聞」は、2001年4月、創立50周年を迎えた。1951年4月20日に創刊された同紙は、月3回の旬刊で、サイズはブランケット版で2ぺージ建て。発行部数は5千部からスタート。二代会長の戸田が編集兼発行人になり、自ら創刊1号の一面に「信念とは何ぞや?」と題して執筆し、合わせて、妙悟空のペンネームで「人間革命」の連載(~54年8月1日まで)を開始した。
 創刊2年後に週刊になり、日刊になったのは1965年7月からである。宗教法人による機関紙の日刊発行は、日本では初めてで、おそらく世界でも例がない。同紙は会員の組織情報紙として、絶大な力を発揮し、また経済的には創価学会の“ドル箱”的存在でもある。
 発行部数が毎日新聞を勝る聖教新聞は、一体どれほどの販売収入を誇っているのか。
 宗教法人・創価学会は、二種類の収益事業を行っている。
 一つは「出版業」。機関紙・聖教新聞の発行、及び同新聞社から刊行される月刊「大白蓮華」(発行部数、約280万部)、月刊「グラフSGI」(同、約120万部)などの売上げだ。
 もう一つは、「物品販売業」。墓苑事業に付随する墓石販売である。
 その中でも、定期購読料金が月額1882円の聖教新聞は、販売売上げだけで月に103億円。年間トータルでは1236億円になる。ほか毎日、一般紙並みに銀行、建設、デバート、出版社など一流企業の広告が入稿されているのだ。
 以下の金額(単位100万円)は、過去30年間に見る、聖教新聞の販売を核にした「収益事業」部門の申告所得高である。
 1969年      5285
 1970年      6190
 1971年      6000
 1972年      6153
 1973年      5994
 1974年      8320
 1975年      9260
 1976年      9688
 1977年      9412
 1978年      7782
 1979年      9683
  ----(省略)------
 1996年      9336
 1997年     11711
 1998年      9138 

  こうしてみると年間平均100億円前後が、創価学会が行っている収益事業の利益ということになる。年間100億円の申告所得額は、民間企業にたとえたら最良法人に属する。毎年、経済誌が発表している法人企業べスト10万社の中で、申告所得高のランクは優に500番前後の位置を占めているのだ。

◆ 創立五〇周年の聖教新聞
 その聖教新聞社が2001年春に創立五〇周年を迎え、1月24日、東京・千代田区の「ホテルニューオータニ」で、2月1日、北海道・札幌の「京王ブラザ札幌」で、8日、大阪「帝国ホテル大阪」、21日、九州・福岡の「ホテルオークラ」で、それぞれ祝賀パーティを開いている。一宗教新聞の機関紙にしては、突出した大仰な祝賀会だ。景気もいいのだろうが、出席した顔ぶれもハンパではない。東京で行われた祝賀会では財界、マスコミ、大使綰閧係者など1700人が顏を見せた。毎日新聞社社長、紀伊国屋書店社長、凸版印刷会長、旭化成会長、東宝会長等で、聖教新聞社から印刷を任されている東日印刷の親会社の毎日新聞社・斎藤明社長は、以下のような来賓祝辞を述べている。
「創刊五〇周年、おめでとうございます。新聞は二〇世紀の大衆社会が生み出した文化ともいわれます。戦争の世紀から決別し『平和の世紀』を築くことが新聞に課せられた使命です。『人間主義』を掲げて大きな節目の紙齢を刻まれた貴紙の一段の繁栄を祈念いたします」
 半世紀の発行に気をよくしたのか、全国の大都市で軒並みに祝賀パーティが開催されていた途中の第三回本部総会(2月27日、東京・八王子、牧口記念講堂)で、秋谷栄之助会長は、「日本中の人に、聖教新聞を読ませたい!」
 と、語った。
  近年、同紙の一面は連日のように、池田大作受賞のニュースで埋め尽くされている。よくもこんなに世界に勲章の数々があるかと思うほどで、平和賞、人道賞、社会貢献賞、人権賞、教育賞、芸術賞、それに世界の名も無き各市から名誉市民号、大学からは名誉教授号、名誉顧問位…。池田をこれでもかと宣揚するこの宗教機関紙を、日本中の人に読ませたいと、学会の最高幹部。
 そんな聖教新聞の「基本理念」を紹介しておくと、--
 1、世界一流の新聞社を目指せ
 2、社員は常に原点に立て
 3、常に伸びのびと広宣流布のために縦横無尽に活躍せよ
 4、一旦緩急の時は、学会の全責任を担って立て
 5、永遠に世界の庶民の味方たれ

 ついでに「聖教新聞社永遠の指針」も紹介しておくと、--
 1、聖教は広宣流布のために
 1、聖教は一生成仏のために
 1、聖教は破邪顕正のために
 1、聖教は異体同心のために
 1、聖教は人間革命のために
 1、聖教は末法万年のために

 こうした永遠の指針を持ち、世界一流の新聞社を目指す「聖教新聞」の本社は、東京・信濃町の創価学会本部から徒歩2、3分のところにある。地下3階、地上7階。同社のビル落成は1970年9月だが、83年に最上階の7階、1346平方メートルを大改造している。総額約9億円を投じ、豪華なペルシャ絨毯を敷き詰めたフロア、白木をふんだんに使った和室。ときに、海外から要人を招く貴賓室としても使用されるが、同フロアは池田の専用室として、地下から直行するエレべー夕ーも設置されている。
 名誉社主である池田は、聖教新聞を「広宣流布のミサイル」と命名し、全国に販売のネットワークを持たせた。北海道、東北、東京、中部、関西、中国、四国、九州に支社を置き、さらに業務支局が全国・都道府県の学会会館内にあり、販売店は全国に約1500ヶ所。
 ほとんどの販売店店長は、地元の幹部が務め、毎朝、学会員宅に配布する新聞配達員は主として婦人部である。
 1970年あたりまでは、その新聞配達も無給であった。池田先生のお手紙といわれた聖教新聞を会員に配達することも仏道修行とされ、配達員は功徳を受けると指導されていたからである。
       ---------(118P)-------つづく--

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