創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

サヨナラ 私の池田大作-№Ⅱ-19

2017-06-15 08:30:59 | Weblog

サヨナラ 私の池田大作-パートⅡ 創価学会・公明党を糾すOB有志の会・編者
                 <2016/5・人間の科学新社、1,512->
 ------(115P)---(以下本文)-------
3-2
〈コラム〉②
風化させてはいけない言論出版妨害事件
 この歴史に刻印された事件は、昭和44年8月に明治大学教授であり人気評論家の藤原弘達氏が「創価学会を斬る」を出版したことから始まりました。
 出版元の日新報道は、この「創価学会を斬る」というセンセーショナルな題名を、電車の中吊り広告に出稿したところ、大変な騒ぎとなりました。世間の通説では、創価学会に関する報道などは“タブー”であり、ましてや中吊りで大きく取り上げられたのですから…
 創価学会側では、激しく反応し、著者や出版社に対して圧力をかけ始めました。
 この「言論出版妨害事件」は、連日のようにマスコミで取り上げられ、どんどん撹拌し炎上していきました。何故これほどまでに騒ぎ立てられたのでしようか。
 矢野絢也元公明党委員長は「ことの本質は創価学会の批判拒否体質に原因がある」と述べています。(日新報道・「創価学会を斬る」41年目の検証)この創価学会を“池田大作”と置き換えると分かりやすくなります。
 すなわち、”池田無謬説”を長年に亘り作り上げてきた弊害が批判拒否体質となって病的なまでに反応していきます。
 繰り返しますが、問題の本質は、全て池田大作の一人芝居から周りが振り回され、これがこじれにこじれ大きくなっていったのです。公明党の竹入氏や矢野氏に命じ自民党の田中角栄幹事長まで出版妨害に動かしたのです。「私を守れ!」「私を守れ!」と子飼いの公明党の国会議員を動かして、身をすくめて批判をかわそうとする永遠指導者・池田の姑息で卑怯な有り様がその原因なのです。
 また池田は会長就任後、ほどなくして評論家の高瀬広居氏のインタビューに答え「日本の最高権力者になる」と豪語していました。日本の最高権力者とは、国権の最高の内閣総理大臣になるということです。
 その頃、池田は真剣に総理大臣を夢想していました。その証拠に、内閣の組閣名簿を作成していましたから冗談ごとではなく、“北条(後に4代会長)さんは警視総監がお似合い”と悦に入っていました。
 その野望(天下取り)は止まることがありませんでした。
 言論問題の最中、本部職員であった筆者は、毎日のように切迫した雰囲気を感じていました。
 毎月池田が出席する本部全体会議は、やがて池田の体調不良という理由で欠席が続き、残された最高幹部は、職員や学会員が動揺しないようにと、今こそ「池田先生を守ろう」「敵が入り込まぬように」などなどの檄を飛ばし、厳戒体制をしいていました。
 一方の池田は箱根研修所に籠り事実上の逃避行をしていました。特別書籍の原島嵩氏ら数人と池田の身の回りを世話する女性たちも一緒でした。池田の女性スキャンダルが噂になりました。
 国会では、池田の喚問も取りざたされ、連日のようにテレビ・新聞・週刊誌がこの言論問題を取り上げていました。現場では聖教・潮等の本部職員が書店周りのチーム(19名)を編成し、「創価学会を斬る」の本を置かないよう書店に圧力をかけていました。(本稿参照・言論出版妨害事件の当事者として)
 昭和45年5月3日創価学会第33回本部総会において池田大作は国会やマスコミの厳しい追及に謝罪講演を行い二度と「言論問題を起こさない」「政教分離を行う」と社会にお詫びしました。
 当初は“こんな本は邪魔だから押さえろ”との命令を聞き、当時の渉外部長、東京都議会議員の藤原行正氏が、藤原弘達氏の自宅を2回訪問し、出版を止めるよう交渉したと、自身の本「池田大作の素顔」に詳しく述べています。加えて私は藤原行正氏と交流があったので、生々しい池田の発言や言論問題の裏の話まで直接聞く機会がありました。
 しかし猛反省したのはポーズだけでした。池田の無反省の性癖は創価に多大な負の遺産になったといえましょう。
 平成13年7月10日の「聖教新聞」に掲載された「随筆新・人間革命」には池田の「言論出版妨害事件」に対する悔しさと怨念の想いが凝縮されています。その一部を引用すると、--
「昭和45年の言論問題の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、演説会を使い避難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈を煽り立てられた」
「何という悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!」
「私自身も、愛知県の代議士から国会喚問の要求を初めてされた」
「“信教の自由”を侵害する凶暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった」と。
池田はこうした質問をした議員らを「仏敵」「卑劣な強敵」だと規定しています。
 はたして、池田の主張の通りでしょうか。矢野氏は、「41年目の検証」の中で、昭和45年に起こした創価学会による「言論出版妨害事件」により、「これをさかいに、創価学会は興から亡の過程に入った…」と述べています。創価学会にとって決定的な影響を及ぼした事件であったといえます。
 来るべき7月の参議員選挙は、創価公明党にとって正念場の選挙です。日本社会にとって創価公明党の存在は、百害あって一利なしと決定して関心を持っていきたいものです。
                             (小多仁伯)
   ---------(118P)-------つづく--

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