創価学会・公明党が日本を亡ぼす

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サヨナラ.私の池田大作-44

2016-11-22 08:35:29 | Weblog

『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
  創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
              2013/7/3 人間の科学新社

16.今生満足の人生に感謝                 野村タツワ
      西大宣寺信徒
      入信 昭和三十一年
      出身 鹿児島県
      元学会支部指導長
    ------(P236)---(以下、本文)-------
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◆ 総本山大石寺をこの目で確かめる
  脱会してからはお寺の参詣はつづけていました。お寺でも色々なことが次ぎつぎと起こり以前にも増して創価学会からの目にあまる行為が続きました。明けて平成四年の市議選も全く同じで、山口さんもよく生きてこれたと思います。私達も片時も気の休まることはありませんでした。脱会はしたものの、まだ日蓮正宗法華講の入講には至らず、長年学会で活動した同志の顔が思い出され、心のどこかに未練もあったようです。どこが正しいのかもわからず、先ず入講するには総本山大石寺の見学が大事と思い、久かたぶりに行くことにしました。
 自分の目で見て、学会が誹謗している総本山を確かめることだと思ったのです。
 平成四年九月十六日、婦人部四名が、御寺の奥様にご案内をしていただきお登山いたしました。あこがれていた本山に着いた途端、今までのモヤモヤもすつきり晴れ、あのすがすがしさは一生忘れない体験をすることができました。
 確かに、その日は、参詣者は少なかったですが、静かな佇まい、今まで見学も出来なかった所や日蓮正宗の色々な話も聞くことができ、これが本当の日蓮正宗法華講なのだと改めて思うことができました。
 心身共に生まれ変った思いで御開扉をいただき、「これで良かったんだ。」と何回も自分にいいきかせ、確信を持って帰ることができました。

主人の末期がんに「現罰」と中傷誹謗
 そして九月二十三日秋の彼岸会の日に親子三人で入講の手続を取り、新しい気持での信仰がはじまりました。その時、主人は七〇歳で仕事もやめ、今後は老後をたのしくと思っていた矢先、「直腸ガンの末期」と診断され、すぐ入院となりました。
 医者の診断では、この末期ガンは時間の問題といわれ、全身から力が抜けてしまいました。今まで病気したこともなく、まして脱会して三ヶ月もたつていないのに、こんなことになってしまい不安が益々つのりました。
 学会にわからないようにと内緒にしていました。が、病院には女子部の学会員も多く、またたく間に「野村はガンの末期だ」との中傷が広がり、「野村に現罰が出た」と大さわぎになりました。
 早速、御住職様に指導を受けたところ、本当に信心のあり方を教えていただき、不安と心細さがなくなり、信心に勇気が湧いてきました。毎日の唱題の中で、御本尊様に全てをおまかせし、信心することができました。そして、心も平静心を取り戻し、「明日からは泣かない自分と、近所にも笑顔でありのままのことを話していこう」と決意したのです。
 更にどんなことがあっても“学会の笑いもの”にはならないと決意しました。

主人の末期がんを克服
 兄弟抄に「女人となる事は物に随つて物を随へる身なり。夫(おとこ)たのしくば妻もさかふべし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。是偏(ひとえ)に今生計(ばか)りの事にはあらず、世々生々(しょうじょう)に影と身と、華(はな)と果(このみ)と、根と葉との如くにておはするぞかし」(新編「御書」九八七頁)とあります。
 何回か拝読するうちに、私にも、本当に主人に対して思いやる妻になれるような気がしてきました。
 今度の「末期ガン」は主人一人の病ではない、「二人で絶対に治して見せる、」と確信して信心に励めば、必ず良い結果が出てくることを、強盛に御本尊様に誓いました。
 今まで家族の健康のことなど思いもしませんでした。このように主人がここまで悪くなつでいたことも気づかず、ひたすら「池田先生の健康」を祈らされて満足し、生き甲斐にしていた自分を心から深く反省し、御本尊様根本の人生をやり直し、一生成仏願って祈念することが信心の要諦であることを思い知ったのです。
 するとどうしたことでしょうか。あれほど、医者から「末期がん」と宣告されていた主人の様態が、手術の結果も良好で、あんなに大きかったがんは再発のおそれもなく、日常生活にも、何ら支障もなくなったのです。
  病気してから二〇年が経過しましたが、現在主人は九〇才になりました。
 今、グルーブホームに入り毎日たのしくおだやかに暮しております。

今生満足の人生に感謝
 生きて行く道のりには色々なことがありました。
 平成十九年には長男の嫁が卵巣ガンで急に亡くなり、当時四年生と幼稚園生の子供二人を、私が面倒をみることになりました。
 今年は、この孫たちが、高校と中学に進学するようになりました。
 私も八〇才を超え、確かに老齢になっての子育ては大変なことでしたが、その子供たちに教えられつつ、母親の居ない子供たちが、明るくたくましく、成長してくれましたことを心から感謝しております。
 私の人生を振り返ってみると、何と得難い人生だったのか感慨深いものがあります。
 すべて御本尊様の功徳のたまものです。母親のいない暗い家庭ではなく、にぎやかで何でも話し合える家庭です。これからもほんとうの法統相続と信心を中心に毎日を送つていきます。また二男の家族をはじめ、親せき等、あらゆる人達に信仰の話をつづけていきま学会の皆さんに申し上げたいと思います。学会で言われることや人のうわさにだまされず、先ずは総本山にお登山して自分の目でたしかめることです。
    ----この項おわり----(240P)----つづく--

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