創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田大作と暴力団…2

2014-07-11 09:30:14 | Weblog

○池田大作と暴力団… <=2>…西岡研介他……2012(H/24)/8─宝島社
────(以下、引用)──────◇─────(9頁から)──◇─────
◆池田大作先生殿―内容証明の全文
 富士宮市議会での百条委員会は81年3月、いったん設置されたものの後藤組の学会への〈協力〉
などによって同年12月、何ら機能しないまま終結した。
《一方、山崎は、日蓮正宗と学会に生じた対立の影響などで80年、学会から除名。81年には学会
を恐喝したとして逮捕・起訴され、その後、懲役3年の実刑判決を受けた。出所後は週刊誌上で学会
批判を展開していたが、08(平成20)年に死去した。
 ところが、だ。あいつら(学会)の依頼で協力してやったのに、その後(百条委員会が終結した後)
は知らんぷりだ。それどころか、俺が今まで山崎から柜談を受けて、学会のために協力してきたこ
とを、「それは山崎とあんた(後藤)が勝手にやったことであつて、ウチ(学会)は一切知りません」と
いう態度になった。
 市議、県議といった地元の公明党関係者も、みんな。それは話が違うだろう、と。
 山崎はあくまで学会のパイプ役、池田の使いとして来てたんだ。べつに俺は山崎に使われてたわけ
じゃない。あくまで大石寺、池田のために協力してやったんだ。
 〝あんまり他人様になつちゃいかんぜ〟という話だよ。
 それで地元の学会や公明党の連中に話をしても埒が明かんから、神奈川の「伏木」(和雄・元衆議
院議員・元公明党副委員長)という人間に話をしょうとした。ところが、こいつが逃げを打つて、
門前払いを食らわせた。ならばしょうがないと、竹入(義勝・元衆議院議員。当時は公明党委員長)
さんと、矢野(絢也・元衆議院議員。当時は公明党書記長)さん宛に内容証明(郵便)を出したんだ》
 実は後藤はもう一通、内容証明郵便を送っている。宛て先はほかでもない。当時の創価学会会長
で、現在も実質的なトップ、いや、もはや〝教祖〟といってもいいだろう。池田大作、その人である
 私の手元に、その内容証明の全文がある。
「池田大作先生殿」と記された内容証明書用紙は7枚。日付印は昭和58(1983)年3月8日となっている
創価学会が当時、いかに後藤組を利用してきたかを証明する、これ以上の文書はないので、その一部
をご紹介しよう。【()内は筆者の補足】。
【池田大作先生殿
 貴殿は、昭和五十五年十二月総本山大石寺の膝元、富士宮市、市議会に於ける百条(委員会)問題の
始まりと、その百条が終結をしたその眞相をどれ程知り、又それをどの様に受け止めていたのです
か。(中略)
 確かにあの百条(問題)に関しては、学会にとって大変な出来事でした。斉藤滋与史氏(元自民党衆
議院議員、後に静岡県知事)にしろ、杉山憲夫氏(当時は自民党県議、元自民党衆議院議員)にしろ、
当時の事を思い出すと、百条問題調査打切りに関しては多少なりの力添えはあつたでしょう。
 しかし、現実はその様なその様な甘いものではなかったのです。四方八方に手を尽くしてもどう
にもならなかつた学会側は、以前の富士桜自然墓地霊園(公園)造成の時と同じ樣に、今度は、
百条委員会調査打切り、池田大作先生の名誉市民剥奪を叫ぶ市民会議解散、山崎正友元弁護士の証人
喚問阻止を、土橋(昌訓)公明党富士宮支部長、公明党元代議士高撟繁、公明党稲田(圭佑)市議、の
三氏が学会側の代理人として私の元に依頼して来たのです。(中略)
 土橋、稲田、高橋、三氏の依頼は、学会そのものの依頼と信んじ、私の心五分、学会の依頼五分
と考え合せ、この問題解决のため全力を尽くし解決致しました。
 そして、学会側の依頼に関しては、百パーセントなし得たと断言できます。
 百条委員会に関しては、週刊サンケイにも記されていた中心人物、河原崎(澄雄)市議を自宅に呼び
説得に説得を重ねました。私は常に物事に対処する時は、自分の生命を賭け、明日を考えずその
一事、一事、に全力をぶつけて力一杯生きています。
 ですからこの件にしても、もしこれが刑法二二三条に於ける処の強要罪になつたとしても、私は
自分自身に信念を持ち行動して来ました。又、市民会議の代表者である今村、黒田、の両氏を喫茶店
「ミミ」に呼び、市民会議を解散する樣得々と説得致しましたし、山崎正友元弁護士に対しては、
私自身かなり強い態度で接して私の眞意を伝えました。(中略)
 学会側の、土橋、稲田、高撟氏が、私の元に来て依頼されたと言う事は、私はこの件に関して私と
学会は一心同体のはずです。先にも書いた様に、富士桜自然墓地霊園造成問題に関係して、私の若
い者が学会のために六年もの刑を受け今だに受刑中ですが、(中略)
 それを知りあえて私に百条委調査打切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来
た現実は拭う事の出来ない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分と言うのも判つて頂ける
と思います。(中略)
 しかるに学会側はそんな私の心を踏みにじる問題を投げつけて来たのです。私には地位も名誉も
ありません。しかし仁義は守り、その上での意地があります。(中略)
 学会の指導者は、七百年前に日本を救い数限りない人々に明日えの光明を与えて下さつた日蓮聖
人の教えを冒浣し、己だけの権力指向を欲望に生き、口先だけで勤行を唱えているにすぎない(中略)
私は池田大作氏の眞の声を聞きたい……】

◆創価学会文化会館に銃弾が撃ち込まれる
 ところが後藤が、池田宛てにこの内容証明を出した3ヵ月後の83年6月、突如として、静岡県警
富士宮署に「後藤組壊滅対策本部」が設置されたという。再び後藤の著書から引用しょう。
〈当時はまだ、山一戦争(84年から89年にかけて起こった山口組の分裂抗争)も始まってなかったし、
地元では、それまで散々大暴れしてたのに、そんなもんができたことは一度もなかつたんだ。
この対策本部ができてからというもの、ウチの若い衆が片っ端からパクられていった。それこそ
ションベンしても、屁をひってもしょつ引かれて、1年足らずの間に60人以上がブチ込まれたんだ。
 ガサ(家宅捜索)の時は决まつて、(静岡県警)本部から、わざわざ本部長がヘリに乗って飛んできて
(後藤組の)事務所の上をグルグル回って、本部長自ら、(家宅捜索を)指揮してたんだよ。
 その時、思ったね。ああ、そうか、お前ら(学会)はいざとなるとこんな汚い手使つてきやがるんだ
な、と。そりや、国会だったら公明党使って、警察庁に圧力かけりやあいい話だし、池田のお膝元の
(東京)都議会でも、公明党は昔から与党だったしな。予算握つてるもんで、警視庁に圧力かけるの
も造作はないわ。
 けど、これには本当に頭にきた。「じゃあ、池田先生に直接、ものを言いに行くしかないわな」と
思ったよ。
 そうこうしているうちに、若い衆が、池田が東京女子医大に入院したという話を聞きつけて、俺
より先に「池田先生」に会いに行ったらしいわ(笑)。
 ところが、それを知った池田が急に退院しちやったもんで、若い衆は(東京都新宿区)信濃町の学会
本部(創価学会文化会館)まで出かけていったんだ〉
そして85年11月12、創価学会文化会館で、後藤組系幹部ら3人が銃弾を撃ち込み、銃刀法違反で
現行犯逮捕された。
〈これには池田もビビッただろうな。そりやそうだわ、行く先々で〝パン〟って音がするんだから
(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いのもんが飛んできて、詫びを入れてきたんだ。この
人間は山崎と違ってまだ生きてるし、俺はべつにこの使いのもんが心底憎いとか、嫌いというわけ
じやないから、本人の名誉のためにも「X」とでもしておこうか(笑〕。
 このXが、山崎の後の、俺と学会との〝窓口〟になったわけだ。「陸軍中野学校の出身」とか言っ
て、山崎がいなくなった後はこのXが〝裏〟の仕事を担当してたんだ。このXを通じて池田が詫び
を入れてきたことで、その後はまた学会に協力してやることになったんだ〉
 著書の中で後藤は、「X」の名前はもちろんのこと、その素性についても、詳らかにしていない。
 だが、複数の創価学会関係者の証言から判断して、この「X」は、冒頭で登場する藤井富雄元公明
党東京都議とみて間違いない。
 藤井は、定年制(66歳以上は原則として再度立候補できない制度)を導入した公明党の中で、例外的
に都議を11期まで務め、初代「公明」代表や公明党最高顧問にも就いた同党の重鎮だ。が、それは
あくまで表の顔で、〈裏〉のそれは、後藤の言う通り〈池田のつかいのもん〉、つまりは後藤組をは
じめとするヤクザなど「反社会的勢力」と創価学会との〈窓口〉だった。
 この〈池田のつかい〉である藤井の〝活躍〟で、創価学会は後藤組との〈協力〉関係を再び取り戻す
その一方で創価学会名誉会長だつた池田は91年11月、日蓮正宗から破門され、これ以降、宗門と学会
は激しく対立する。
そして、その池田破門から5ヵ月後の翌92年4月には、学会と対立する大石寺「妙遠坊」で発砲事
が発生。同年5月には大石寺「奉天寮」に火炎瓶が投げつけられるという事件が起こるのだ。まるで
会側の意をくんだかのように、である。
───────(~13頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)

◆日蓮(宗)は《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
 その親分は、史上類なき…(おぞましき)池田大作=(カリスマ王)池田大作。
 <今までも……>多くの「偽善ごっこ!!」「偉ぶりごっこ!!」にダマされた。
 <これからも……>「頭破作七分」病(慧妙)の池田にダマされるのか。

◆矢野よ、一人立て!!‥「黒い手帖は知っていた」「池田大作と暴力団」…早く出せ!!
  池田を〝証人喚問〟せよ!!‥雑言・恐喝に机叩いて…(…20年)税務調査せよ!!‥‥
  池田教創価学会・公明党の解散・消滅に、(池田の)黒い資産放出は矢野の天命ダ……
  池田の犬・ユダとなり、罵詈雑言、懺悔滅罪の矢野!!‥河内親父の恥を知れ!!、
  矢野よ!!‥時は今だ!!…大阪のおばちゃんに信濃町の美女軍団……涙の感動!!
 ――如かず彼の万祈(脱税・政教一致等)を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには――
 公表の 時知りてこそ 平成の 鶏も鶏なれ 矢野も矢野なれ
 つゆと落ち 懺悔滅罪 ワイ(矢野)身かな 池田(創価・公明)カルトは 夢のまた夢
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