創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

これが創価学会だ-16

2014-04-24 09:12:00 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あゆみ出版社…S45.2.10(1970)
──────(125頁から)────◇────────◇────────(以下、援用)
◆世界の創価学会
 〇月×日─。
 台東体育館で開催された婦人部幹部会の帰りに、地区へ立ち寄った班担さんたちが、地区担さん
を中心に黄色い気焔をあげていた。御本尊さまに題目を三唱し終らないうちに、この話題の渦につ
かまってしまった。
「班長、まあとにかくここへきて坐んなさいよ。聞いてよ。すごかったわよ。素晴らしかったわよ、
ねえーみんな、素晴しかったわね」
 上気した地区担さんの顔に、歓喜と生命力が溢れている。
「そうよ、本当に素晴らしかったよ」
班担さんたちが異口同音に歓喜のつぶやきをもらしている。
「まあ、待って。とにかくこれが先決だからね」
 赤のマジックインキを持って折伏成果表に近づくと、
 「班長、やったわね。待ってたわよ」
 と一瞬、ものすごい拍手を送ってくれた。毎夜の結果報告だが、こうタイミング良く拍手して貰
えるとうれしい。もったいをつけて、成果表に赤丸を一つつける。更に一つ。だまつてみんなの顔
を見る。
「いったい、いくつやったのよ。じらさないで早く教えてよ」
 菊池班担がじれったそうに呼ぶ。
「班長のことだから、少なくとも三世帯はやつたでしょう」
地区担さんも眼を輝やかせているし
「そうね、いくつでしょう」
赤丸をまた一つ、更に一つ、絞けてまた一つ。
「うわーッ、すごい」
 みんなの歓声を尻目に、また一つ。地区は割れかえるような大拍手である。
「よし、良いわ。明日こそやったる。班長、見てらっしやいよ。うちは明日十世带やってみせます
からね」
伊藤班担が闘志満まんで宣言した。
「どうぞ、どうぞ、遠慮なく邪宗のやつらをなで切りして下さい。わたしのところは、すでに十二
世帯、『决(入信を決すること)』をとつてありますからね。なんなら今日のうちに、あと十二、赤
丸をつけておきましょうか」
「くやしいーっ。良いわよ、負けるものですか」
 全員が拍手で激励する。伊藤班担の闘志は大したものだ。これでこそわが地区は万万歳だ。
「班長はやると言ったら、必らずやるからね。とにかくものすごい力だよね。他の班も負けては駄
目よ。とくに零班のところは、どんどん班長に応援して貰って、ぼんぽん成果を出して頂戴よ。班
長頼むわよ」
 地区担さんの力み方もものすごい。
「良いですよ。いつでもどこへでも応援するから、どんどん下種を持って来て下さい。どんな下種
でも『决』させますからね」
 今日くらいは威ばっても良いはずだ。〝折伏した人を上座に据えろ〟とはこんな時のことだろう。
「ところで班長聞いてよ。今日の婦人部幹部会でね。笠原副婦人部長さんが素晴しい指導をされた
のよ。良くおぼえておいて、末端指導にも流して下さいよ。〝今や創価学会は世界の創価学会だ〟
という指導なのよ。
の御供養終わって、その大成果を見届けられてから、会長池田先生はヨーロッパ指導にお
でかけになったけど、その帰り道でね、あるおみやげ品店へお買い物にいらっしやったんだって。
その時にね、何千万円というおお買い物をされたそうなのよ。素晴しいじやないの。会長先生だって、
財産のすべてを正本堂に御供養してしまったでしょうに、それから何ヵ月も経たないのに、何千万円
もお買物できるんだから。
 私たちは、貯金もなにもみんなはたいちゃったけど、明日のおかず代にも困っているじやないの、
信心の違いよね。鈴木班担が明日子どもたちに食わせる米は無いし、質に入れるものも、みんな質
人れして正本堂に御供養してしまった後で、どうにもならなくて、本当に困って御本尊さまに一万
べんの題目をあげて、道を歩いていた。そうしたら人通りの激しい商店街で、誰も気ずかないのに、鈴本班担にだけはそこにおちていた五千円::^がはつきり見えたって。御本尊さまからのさずかりものだったのよ。その拾った五千円でお米もおかずも買えたって、御本尊さまの功徳はものすごいと思つていたけど、さすが会長先生は私たちとは境涯が違うわね。何千万円よ。仏法は勝負だわね。しかも会長先生はおみやげを買われたのよ。私たちみたいに、おかず代だなんて、そん
なみみっちいものじやないのよ。素晴しいじやないの。もっとしつかり信心しようね。班長。
 それでね、そこのおみやげ品店の主人が、今まで旅行者の中で、こんなに豪勢な買物をした人は
一人もいないので、この方はてつきり日本の皇族だと、そう思ってわざわざ自家用車を仕立てて、
会長先生をその地方の名所にご案內したんだって。今や創価学会は日本の創価学会ではなくて世界
の創価学会だって。素晴しいじゃないの"信心如何では私たちもそうした境涯になれるのよ。御本
尊さまは絶対じやないの匸すごいじやないの。頑張ろうよ、班長」
熱のこもった地区担さんの話に、今日の婦人部幹部会の歓喜も新たに、班担さんたちはみんな泣
きながらうなづいていた。素晴しい御本尊さまだ。不自惜身命の信心を、決意も新たにやり切ろう。

◆鼓笛隊
 〇月××日─。
 月給日まで一万円貸してくれと、山田班担がいってきた。中学二年生の娘さんが鼓笛隊に入隊し
て、ドラムを買うために必要な金だという。
 鼓笛隊員は、信心強盛な学会幹部の子弟の中からよりすぐって、本部で鼓笛隊長の面接を受けて
决定される。信心強盛な学会幹部の子弟であるから、経済的に困っているはずがない。従ってドラ
ムの購入に分割支払いは認められない。学会指定の楽器商が、出張販売するそうである。だからそ
の当日に、楽器代金は現金で支払わなければならない。
ドラムは一万円だそうだ。一万円のドラムを買うのに、鼓笛隊員の親たちの劳苦は大変だつた。
楽器商は驚いたという。"「さすがは創価学会、大し
たものである。指定当日に一人残らず現金で楽器を購人した……」と。
 在京を含めて関東地区の鼓笛隊は赤隊と隊にわけられる。これは制服の色わけである。このほかに小学生によつて編制されるジュニア隊がある。ジュニア隊の制服は黄色である。もちろん、自弁の制服である。
 鼓笛隊の訓練は、まさにものすごいの一語に尽きる。ウルトラスパルタシステムだ。ドンジャ
ガ、ピーピーやるのに適当な練習場がない。そこで四ッ木橋の荒川土手を練習場にした。真夏の炎
天も、木枯し吹きすさぶ冬の日も連日午後三時から、深夜すぎまで、星明りを頼りの猛練習が何ヵ
月も統いた。ローティーンの娘たちの帰宅は、遠い人なら午前二時を過ぎる人も少くないという。
 しかし、会長池田先生にお聞きいただくために、血のにじむような練習が続けられた。信心して
ない人は非常識だというだろう。だが、深夜の郊外を一人家路をたどる娘たちに、これを犯罪者か
ら守る諸天善神の加護は、厳然たる事実であった。
 鼓笛隊員は、たとえどんな理由があろうとも、一日も本むことは許されない。一人休むことによ
って、隊の編成が乱れ、団体行動に大きな支障を来すからだ。末法の仏道修業の厳しい一面である。
この厳しさによって、天下に名声をはせる大鼓笛隊が誕生した。一糸乱れぬ演奏ぶり、隊伍堂々た
るパレードは、衆目を驚かせるにじゅうぶんだった。山田班担の娘さんの見事な雄姿に、思わずも
眼頭の熱くなるのをおぼえた。よくも今日までやり切った。鼓笛隊万歳!
 こんな話もある。菊池という中学三年生の鼓笛隊員が、高校受験のため、途中で休隊を願い出た。
この時、大幹部は、
「もしあなたに、高校へ進学する能力と適性があれば、勉強はしなくとも、鼓笛隊の練習をやり抜
き、しっかり題目をあげ切っていけば、必ず高校に合格する。一切を御本尊さまにお任かせして、
しっかり鼓笛隊をやり抜きなさい。『女子部に鼓笛隊をつくってあげよう』と、そうおっしやって下
さった、会長池田先生のお慈悲にお応えする意味からも、今、選ばれて鼓笛隊としてやり抜くこ
とが高校進学より、はるかに、何倍も価値があります。
 あなたには、鼓笛隊員であるという、重大な使命がある。現在では鼓笛隊も、世界広布のための
偉大な武器だ。こうして誇りと使命感をもつて、しっかりやり切りなさい」
 と菊池さんに指導した。菊池さんは高校受験には落第したが、今では立派な鼓笛隊員として育ち、
役職も女子部の班長として、立派に後輩を指導している。学会にしてのみ為し得る人間革命である。
実に素晴らしいではないか。

◆商取引と題目
 〇月X日—。
 鈴本組長が井出地区部長宅の増築工事を請負って完成させたが、五ヵ月経った今になつても工事
代金を支払って貰えないというので、鈴本組長に同行して井出地区部.おを訪ねた。井出地区部長の
返答は、きわめて簡単明瞭なものだった。
「やあ、また来て貰って悪いな。今日は中村班長も一緒かね。御苦労さま"どうも題目が足りない
のかな、一生懸命あげているつもりだが、まだまだ題目が足りないとみえて、今日も払えないんだ。
 六十万円くらいの金は、どうにでもなると思ったが。百円の金も払えないよ。鈴本さんもひとつ、
もっとがっちり題目をあげて、一日も早くわたしから金を受けとってくれ。こうなつたら題目以外
ないよ」
 解決方法は題目以外にないというが、確かにそれは絶対の方法といえる」だが、井出地区部長に
支払いの意思があるのだろうか)こうなつてしまったからは、大幹部の指導を殳けて解决するほか
に解決の道はない。さっそく吉田総支部長に指導を受ける。開口一番吉田総支部長は眼をむいて、
わたしたちを怒鳴りつけた。
「会長池田先生の教えにそむくから、だからこういうことになるのだ。会長先生が、学会員相互問
の金銭貸借はいけないと、そうおっしゃっているではないか。会長池田先生がやってはいけないと
いうことを、それをやるから罰を受けるのだ」
売り掛けと金銭貸惜は別問題ではないか、それを同じだとは、どういう意味だろう。
「金がとれないんだろう。それでは金銭貸借と変りがないではないか。わたしが同じだといつたら
同じだ。わたしの指導に疑問があるというのか。わたしの指導を批判するのか」
 大変なことになってしまった。吉田総支部長の顔面は興奮で青ざめ、眼はつりあがって、思わず
身ぶるいするほどのすさまじい形相である。わたしが鈴木さんに代わって弁明した。
「けっして総支部長さんにたてつくつもりはありません」ただ、鈴木さんは仕事をしたんで、金を
貸したわけではないので、そこのところを判っていただきたいのです」
「そんなこと判っている。学会員間の仕事もやってはいけないのだ。会長池田先生はそうおっしゃ
っている」
 そんな馬鹿な、今のように学会員が増えてくると、どうしても学会員相互の商取引が生じ易くな
る。
「学会を利用して商売をすることは、それは利用信心だ。ほかの人がやっていても、君はやっては
いかん。ほかの入は、どんなことがあっても、ぐちぐちいって来やしない。ぐちぐちいって来るこ
とが謗法なのだ。だから君は今後一切、学会員の仕事をしてはいけない。学会員の仕事をするなら、
金が貰えなくとも、文句をいうな」
 鈴木組長は、相当にあわてていた。あわてるはずである。鈴木組長の仕事先は、その八割が学会
員経営の工務店である。鈴木組長は学会を利用して、商取引をしたことはないといっている。そう
した意味で学会に入信したのではないから、だから決して利用信心ではないと弁明した"吉田総支
部長は、ますます怒り狂ってしまった。
「まだ判らんのか。判らんというなら、たった今から信心させてやらんぞ、それでも良いのか。き
さまの家へ乗り込んで御本尊さまをひっぱがして来るぞ、それでも良いのか」
 それは恐ろしい事である。御本尊さまを無くしてしまったら、生命を亡くした事と同じである。
それにしても、すっきりしない指導である。吉田総支部長は、青年部の部隊長あがりの折伏の常
勝将軍である。将来は副理事長級の大物ともいわれている若い人材である。それなのに、何故か何
時の場合でも社会常識はゼロに近い。一体これはどうしたことであろうか。
 受持即勧心とは、人間革命とは……判らなくなってきた。これは学会批判ではない。素直に判ら
ないだけだ。并出地区部長との問題はあきらめると、鈴本組長はそういっていた。しかし鈴木組長
にとつて、六十万円という金は大金である。どうするつもりだろうか。

◆出陣の日
 ○月X日—。
 「大白蓮華」に掲載された辻副理事長の論文を読み、会長池田先生の深いお心にふれて、思わず涙がこみあげてきた。会長池田先生は正本堂御供養の達成を祈って、三百五十五億へんもの題目をあ
げられたという。
 先生のこの深いお心を思う時、わずか十二万円の御供養しかできなかった自分が恥かしい。月給
三万八千円の三人家族のサラリーマンとしては、これでも力いっぱい、御供養に参加したつもりで
いたが、まだまだたるんでいた。報恩の道はただ一つ、折伏のみだ。今日の班長会で、
「今回の正本堂御供養のために、会長池田先生は三百五十五億へんもの題目をあげぬかれたという。
この会長先生のお心に対して報恩感謝をお誓いしない者は、会長池田先生の弟子とはいえない。今
月こそは、どんなことをしてでも、なにがなんでも五十世帯の折伏をやり抜こう!!」
とゲキをとばし、決意を述べた。
「よーし、やるぞ!! やり抜こう!!」山本班長がたちあがって叫んだ。
「さあ、勝鬨だ」
 みんな歓喜し、力の限り天も突き抜けよとばかりに「エイエイオウ!! エイエイオウ!」と大勝
鬨をあげた。折伏の月にふさわしい出陣式だった。出陣式の後で、
「しかし、いくら会長池田先生でも三百五十五億へんもの題目をあげられるだろうか?」
などと、大野班長がとんでもないことをいいだした。よりによって大闘争への出陣の日に、会長
池田先生を疑うなど、破和合僧も甚だしい。厳罰を受けずに済んだのが不思議なくらいだ。大野班
長は、さっそく支部に呼びつけられて、支部長から目玉の飛び出るほど厳しく指導され、男泣きに
泣いていた。これで良かった。辻副理事長が、大白蓮華に嘘を書くはずがないではないか。

◆三百五十五億へんの題目
※創価学会総務室長(当時は副理事長公明党元委員長)辻武寿氏は、学会機関誌「大白蓮華」の昭和四十一年一月号に六頁にわたって〝正本堂建立と化儀の広宣流布〟という論文を書いている。
 この論文の一節に『かくして、全国から集まった真心の浄財は、三百五十五億円余であり、政界財界に大きな話題となっている。この不況下に,いかに信仰とはいえ、創価学会にして、はじめて実現できる放なれわざであるとは、ひとしく內外の賛嘆するところである。
 御供養の参加人員が七百七十七万人ということも広布の瑞相としか思われない。さらに池田会長が御供養のために題目をあげられたその数と金額が、ほぼ一致されたということを聞くに及んで、いよいよ先生の偉大さと、王仏冥合実現の不思議なリズムを感ずるのは私一人ではあるまい』とある。
 辻総務室長はこの文中で、池田会長のあげた題目の数と御供養金額三百五十五億円余がほぼ一致したといっている。つまり池田会長が正本堂御供養の達成を祈念してあげた題目は、ほぼ三百五十五億へんだつたといっているわけである。
 学会でいうことには絶対間違いはないという日頃の訓練、罰論におびやかされた慣習の中で、大部分の学会員は『池田会長のあげた三百五十五億へんの題目』を事実として信じ、また信心指導の素材として用いてもきた。したがって、大野班長のようにこの事実を疑う者は、鼻もちならぬ学会員として、大幹部から激しく叱責指導され、あらためて罰の恐怖の前におののきふるえさせられたのである。
だが大野班長の抱いた疑問は客観的にこれをみた時に、学会大幹部が目をつりあげて怒りつけ、罰論でしごかなければならないほど非宗教的で、非科学的な愚かな疑問だったのだろうか。
 学会ではしばしば題目を数で数えて『一万べんの題目をあげる』などという。この一万べんの題目をあげるのには、題目をあげつけている学会幹部が早口であげても、普通、四時問から四時間半はかかる。
 池田会長を超人として考えて、一万べんの題目を三時問であげることができると仮定しても、一日二十四時間を不眠不休であげつづけても、あげられる題目はわずかに八万べんである。一日八万べんの題目をあげつづけても、三百五十五億へんの題目をあげ終るのには、なんと九百七十余年かかる計算になる。
 九百七十年のあいだ、一人の人が飲まず食わずに一睡もせず、一秒も休まずに、しかもその早さを変えずに題目をあげつづけることが、現実問題としてできるはずはない。第一、そんなに生きることができないではないか。
 大野班長の疑問は、人間として極めて当然な、また科学的根拠をもつ正当な疑問であるといわざるを得ない。
 辻総務室長は、この不可能な事実を可能なことであるとして、こともあろうに「大白蓮華」に堂々と書き、学会員は無条件でこれを信じさせられてきたのである。
 辻総務室長はさらにこの文中で、学会員らむしり取るようにして強制的に拠出させた金を真心の浄財と呼び、班長以上の親類縁者の、それも学会に関心のない人々の名前までも借り集めた、その入員のトータルを七百七十七万人だといって、これを広布の瑞相とさえいっている。この嘘、この誤魔化し。恐ろしいのは、こうした学会員の一方通行的直線思考が、国民の直線思考とならざるを得ない時が、若しも来たら、そうした恐慌政治下の、国民生活はどうなるかということだ。
───────(~137頁)───────◇─────────(引用ここまで、つづく)
◆信仰と宗教
 前回の〝御秘符〟に関連してコメントもらいました。信仰と宗教に関しては図書館イッパイの本が‥‥
あると思いますね。
 ところで、一部賛同している次の記載を紹介します。
───────創価学会Xデー……2008/6……島田裕他‥‥別冊宝島────
田原総一朗‥と聞き手・島田裕巳   21頁
 (省略)‥創価学会のドキュメンタリーを作る少し前に、やはりテレビ東京でがんに
ついて取材したことがありました。その時に親しくなつた国立がんセンターの肺がん
の先生から聞いた体験談なのですが、その数年前に学会員の患者さんを診断して肺が
んであると告知したところ、「私は信心で治してみせます」と言って帰ったそうです。
二年後、その人を再度診断したら、がんがなくなっていたそうで、「宗教っていうの
は、病気を治す効果があるんじゃないか」と言っていましたね。これには私も同感で
す。 おそらく信心で病気が治る人もいるんでしょう。そういう人がいないと、そも
そも新與宗教は成立しませんから。病は気からとも言いますから、信仰を持つことで
元気になる人がいてもおかしくはない。
 しかし、もちろん宗教ではどうしょうもない人々の方が圧倒的に多く、だから医学
があるわけですよ。(この項おわり)

私も、最初の2~3年‥‥病気の記憶もありません。勿論、20代初期ですが‥‥。
気とか元気は宗教に限らないが、戸田・池田は‥お賽銭不要で万能の〝幸福製造機(病気・金等)〟
だとして、金儲けと政治権力に日蓮を利用した。
‥‥私はその演技にはまった。若かった時の自分を思い出しヘドがでます。
普通なら離れて忘れられるのですが、私の場合カミサンが婦人部の〝グループ長〟に任命され‥‥
認知症まがいの〝池田を夢見る〟おばあちゃん‥です。

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
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2 コメント

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Unknown (本堂)
2014-04-24 18:27:19
確かに信仰で癒されるのはエマーソンとか結核を生命の実相を読んで治した橋本建博士(電光掲示板とかの開発者)とか例はありますね。橋本博士曰く信仰の御蔭は脳波のアルファー派が関係してるとか。

島田裕巳氏は中沢新一、池田昭、丸山実らと同じくオウムの援護絶賛した事例があるので好意持てません。

道を歩いていて5千円見つけてそれでお米、オカズ買えたのが功徳って・・・セコイし遺失物横領が功徳??

三百五十五億へんの題目が出ましたね。何でも流石にマズイ?と感じたのか?新人間革命では「三百五十五万へん」に改変?されてるとか?

地区の大幹部の勝手解釈?で高校受験の夢を潰した
指導?は罪重いですね。
しかし今は学会ではなく顕正会がこの本の内容と同じ行動してる(政治活動が無いだけで昔の学会と同)とか。
会が違うだけで事例が似てくるのだから、組織信仰は怖いですね。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-06-23 02:54:11
一編の題目を1秒で唱えると仮定すると三百五十五億遍を唱えるには41万日もしくは1125年かかる計算ですね。あまりのバカバカしさに笑ってしまいました。
返信する

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