創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田大作と原島家-51

2015-11-12 09:54:02 | Weblog

◎ 池田大作と原島家 池田大作を会長にした原島宏治とその家族 原島昭 2014/3
    池田大作の創価学会乗っ取り作戦…<人間の科学新社 1800¥>…より
       ----------改頁----------232--本文

●醜い責任逃れの姿
 昭和四十一年、私は創価学会の傘下の東洋学術研究所に就職しましたが、私の父はその二年前に病死しており、すでに池田会長の独裁体制が完成していました。口伝えで、「私たちの使用する鉛筆一本、紙一枚に至るまで、全て池田先生の物だ」と言われ、会長から数個のみかんなど、戴き物があるたびに礼状を書かされました。
 また、本部・聖教新聞社の各勤務室はもとより、私たちの仕事場の壁にまで監視カメラが据え付けられ、会長室から私たち本部職員の仕事ぶりが全て見られるようになりました。
 それゆえ、本部職員なら誰もが、会長の許可・決裁なしには何も実行できないことを知っていました。
 したがって、昭和四十四年から翌四十五年にかけて起きた「言論・出版妨害事件」も、会長の命令・指図がなければ、起きようのない事件だったのです。ところが『破滅』では、あの事件があれほど大きく広く社会問題化したことの主たる責任は、事態の収拾にあたった教義部長(教学部長)の島原(原島嵩)にあるとされました。
 しかし、嵩だけでなく、山崎正友氏、最近では元公明党委員長の矢野絢也氏の『私が愛した池田大作』など、また学会外部の識者などの数々の著作により、あの出版妨害工作の大もとの責任者は池田会長であり、嵩はそのような工作には全く関わつていないことが明らかですので、ここではこの事件を蒸し返すことはいたしますまい。ただ、『破滅』の嵩に責任を転化した部分を挙げ、続けて矢野氏の著作から、自民党幹事長(当時)の田中角栄氏に係わる部分を少々引用したいと思います。
「四十四年から四十五年にかけて、聖道学会は言論問題で苦境に立たされていた。
 聖道学会にとっても、また教義部長の島原にとっても大きな試練だつたが、島原はその対応に社会的な未熟さを露呈してしまった。(中略)教義部長だった島原は、いわば責任者という立場でこの問題にかかわってきた。だが、島原の判断は甘くそれほど大きな問題に広がるとは考えず見当違いの意見を述べることもたびたびだった」
「(池島は)島原に言論問題の展望、解決方向などについて意見を求めた。島原は、考え考えしゃべったが、そのどれもがマトを射ていなかった。池島はやや鋭い口調で語った。『観念的、非現実論ではダメだ!』」(以上、『破滅』より)

 一方、矢野絢也氏(昭和四十四、五年当時は公明党書記長)は、当時を次のように回顧しています(部分的に省略して引用します)。
「昭和四十四年の八月、政治評論家の藤原弘達氏が、日新報道(出版社)から『この日本をどうする』というシリーズの第一卷『日本教育改造案』という本を出版、続いてシリーズで第二弾として『創価学会を斬る』という本を出すことになった。学会側では、作者や出版社に抗議すると同時に、池田会長から直接の命を受けた公明党都議の藤原行正氏や当時聖教新聞主幹だつた秋谷栄之助氏から指示を受けた公明党委員長(当時)の竹入義勝氏らが、『創価学会を斬る』の著者に会って、出版差し止めや書き直しを求めた。とくに竹入氏は、田中角栄自民党幹事長を使って、著者を説得することになった。
 しかし、田中氏が著者の藤原弘達氏とひざを突きあわせて、いくら説得しても、弘達氏は頑として首を縦に振らない。とうとう、角栄氏が別の部屋に待機していた竹入氏と矢野氏の所へ泣きついてくる。
『おい。弘達、ダメなんだよ。固くてダメだ。全然聞き人れようとしないよ』
竹入氏から「もう一押し、二押ししてみてくれ」と懇願されて、再び弘達氏の部屋へ。
『おい、やっぱりダメだあ』
 今にして思えば、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの天下の自民党幹事長を、なんともひどい役どころでコキ使ったものである。ただ角栄氏、本当に気の良い、親切な男だった。」(以上、矢野絢也氏の著書より)

 田中角栄氏については、私も思い出があります。私の父が死去したその通夜に、田中氏が私の家へ来訪し、しばし合掌した後、私に向かって、「本当に惜しい方を亡くされましたなあ」と、絞り出すような声で話しかけられました。その眼の縁が、かすかに涙でぬれているようにも見え、心から悲しんでくれているのだと私には感じられました。
 そして同時に、その日の午(ひる)に遺体と対面し、悔やみの言葉としては「長い間御苦労様でした」と言っただけの、とても冷静に見えた池田会長の姿が、対照的に私の脳裏に浮かんでいました。
       --------改頁--------236--つづく--

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