悪しき天才“池田大作”巨大な俗物

そこまで“あさましくて”いいんかい!!

サヨナラ.私の池田大作-5

2016-10-14 08:31:16 | Weblog

『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
  創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
              2013/7/3 人間の科学新社 
    ------(29P)---(以下、本文)-------

進行性肺がんその罰と功徳
  九月二十六日、御秘符の申請のために、善福寺に参詣いたしました。
 善福寺へ向かう車内で、「魔と言うのは、人が用心しているところには競わない。思いがけずその人の一番弱いところを突いてくるんだよ。戦いと同じで、敵は手薄の個所を攻めてくるんだ」との夫の言葉を聞き、ハツと胸を突かれました。「ああ、私は魔から攻め込まれていたんだ。だから実感が湧かず、相手が見えなくて戦いになっていなかった」と教えられました。「魔が攻めてきたのであれば、絶対に負けるわけにはいかない。何としても魔を打ち破るのだ!」との強い決意が湧き、思わず身震いが走りました。
 勤行後、木村信龍御住職は「日如上人猊下のがんの患者さんに対する指導を伺う機会がありましたが、『できうる限りの手を尽くし、全てを御本尊様にお任せするのです』とおっしゃっておりました。そのように思いきれるまで題目を唱えて行きましょう」との御指導が、命に響きました。
 十月十一日東京医科大に入院。検査の結果「初期がんではなく、肺がんの2A期です」とのこと。検査を重ねる度にレベルが悪化します。ああ、思ったよりひどいんだ。
 十月二十三日、右肺上葉を切除。
 手術直後佐治久先生の説明によると「実は思つたより深く進行していて3A期でした。二三個リンパ節を隔せいしました。取り残しがあるといけません。抗がん剤の投与にうつります」
 初期がん→2A期→3A期の進行がんと、不都合な真実が次々にあらわれてきたのには驚きました。これは現代の一凶である創価学会との闘いをやり切った功徳だと思いました。それでも術後の苦しいことといったらありません。手術室から出てきたその場から肺の傷口につながった器具をぶら下げて動くのです。痛いこと、息の苦しいこと。トイレはもちろん寝るときも、このパイブがはずれたら命に及びます。
 術後右肺中葉のふくらみが悪く、再手術との診断がなされました。「これ以上切り刻まれてはたまらない!」子供みたいに「治してください」と祈ると、不思議なことに右肺が順調に膨らみ十一月六日に退院することができました。
 それから四日後に、総本山大石寺に参詣しました。手術後二週間余りで感染症が心配な時期でしたが、何としても戒壇の大御本尊様にお会いしたかったのです。大石寺の境内が坂道であることを身をもって味わいました。息苦しさと痛みに耐えながらの苦痛は大変なものでした。
 ところが大御本尊様のご開扉を頂いたあと奉安堂を出ると、普通に歩き普通に呼吸ができていました。信じられません。おもわず「本当に私、肺がんの手術をしたのだろうか。ぜんぜん痛くないし、息苦しくもなく題目も朗々と、唱えられる」と大声で叫んでしまい激しい雨のなか、意を決して丑寅勤行にも参加させていただきました。
 このうえなく清々しく、爽快な気分になり、足取りも軽く下山いたしました。まことに不思議なことがあるものです。
 十二月半ばから杭がん剤治療が始まりました。副作用がひどいと聞いていたのでやりたくありませんでしたが、十一月末の細胞検査の結果、ステ-ジ3Bですと言われればやむを得ません。3クールの治療が終ったのは、平成二十二年三月二十五日でした。長くつらい三ヶ月でした。
  それでも佐治先生は「小川さんの抗がん剤治療の副作用は思ったより軽くすみましたね」と、にこにこ笑っています。そう言えば髪の毛もほとんど抜けませんでした。
  その後、平成二十三年の二月のCT検査で右鎖骨下のリンパ節が肥大しているとの指摘があり、佐治先生から「ペット検査しましょう」と言われました。ペット検査とは放射性物質を点滴で体内に入れて、がん細胞を見つけるというけっこう過酷な検査です。

常住御本尊様と東日本大震災
  三月十一日東日本大震災当日、佐治久先生から呼び出しの電話がかかりました。三月十五日、計画停電で交通マヒのなか大学病院へ主人共々いきました。病状説明では右鎖骨下に二個、気管支付近に一個再発がんが見つかり、イレッサという抗がん剤を使うことにきまりました。不思議なことに、この段階で見つかることの方がまれなのだそうで、佐治先生は「私だけなら、まず問題にはしなかったでしよう。リンパ節に詳しい人がこの写真を見て発見してくれたのです」触診で触ってもまだ分からない段階で、治療が始まりました。「疎開します」というと、その場で九州がんセンターに紹介状を書いてくれました。
 家に帰ると直ちに主人は私と娘達、孫を福岡へ疎開させました。福島原発事故は「メルトダウンの可能性が高い」と考えたからです。「あなたはどうするの?」と聞くと「こちらに残り、善福寺を護る」といい、羽田で別れました。
 福岡につくと毎日イレッサを飲みました。抗がん剤ですから下痢から血便、食欲不振、腫物が体中、いたるところに副作用がでました。でも唱題すると不思議に楽に過ごせるのです。経王殿御返事に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや」と仰せの通りでした。
 三ヶ月経ったあと大震災翌日には福島原発はメルトダウンしていて、東京にもかなりの放射能汚染があったことがわかりました。「政府の言うことは、あてにならない。自分達の身は自分で守るしかない」と言った主人の言葉を思い出し、感謝しました。そして少し落ち着いたというので東京に帰りました。
 五月二十八日、常住御本尊様の入仏式です。木村御住職が台風のなか、我が家へお越しいただきました。
 思えば平成二十一年元旦勤行の折り、日如上人猊下より夫に常住御本尊様の申請をするようにとのお話をいただいてから二年、その間の出来事は私の信仰生活の中で、一番の体験となりました。
 入仏式で常住御本尊様を間近に拝した時の感動は筆舌に尽くしがたく、御本尊様に吸い込まれそうな気持になりました。次の瞬間、首題のお文字が浮き上がって御本尊様が平面ではなく立体に拝され、左下にある願主小川頼宣の文字が眼に飛び込んできました。昔から常住御本尊様を頂くときには大きな現証がでるよと言われたことを思い出しました。
 「ああそうだったのか。私の肺がんがその現証だったのだ」あまりの重大さに胸が震え、広宣流布に対する決意が全身に湧きあがりました。
 入仏式から三日後、CT検査を受けました。私の順番はまだ先なのに佐治先生が「小川さんいる? 小川さんいる?」と探しにきました。悪い知らせかなとドキドキしていました。先生はCT検査の写真を見せながら「ここに有った影がほとんど見えません。消えています。よかったですね。ほとんど大丈夫でしょうが、念のためイレッサは飲み続けてください」と自分のことのように嬉しそうです。進行性の肺がんは再発したら治らない。余命はカウントダウンだと聞いていました。
 なんだか夢のようで信じられませんでした。帰宅して御本尊様に感謝のお題目を唱えたとき、常住御本尊様を我が家にお迎えできたことで肺がんの再発を乗り越えさせていただいたんだ。私は死の床から蘇ることができたんだと思うと、法華題目抄の「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」との一節が胸に浮かびました。あまりのすごさに、ただただ言葉もなく涙が流れました。

結び
 女子部時代、私は「いいかげんなご本尊送りは良くない、御本尊不敬が一番の謗法だ」と言ってきました。他の地区部長、地区担、隊長は私の発言を無視し、皆がんで亡くなりました。私は、警告は発しましたがその罪を止めることができませんでした。
 謗法与同の罪免れがたく私は肺がんになったのです。わずかばかりの信心をめでて頂いたのでしょうか。何故か私だけが命を助けて頂き、何度も危機を乗り越えさせて頂きました。転重軽受で御本尊様さまから頂いた命、現代の一凶禁断のためにおしまず使わせていただきます。
       ---------(35P)-------つづく--

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